赤い月ー狂気の夜
幼い頃の記憶と、心の傷が抉られ続けたクリストファーは…
それからのクリスタニア
次の話
クリストファーがノルウェーに来て、三ヶ月ほどが過ぎた頃。
彼はヴェガルド社長とWEB会議をしていた。
『Preceptを手に入れようとはしないのだな。今までなら、我が息子ながら無慈悲に手に入れてきたというのに。何故だ』
画面越しの父は、感情を排した声で問う。
クリストファーは淡々と答えた。
「我が社では、Preceptと同じ仕組みは作れないでしょう。そこに時間と資金を充てるなら、もっとスピーディーに収益を上げられるクルーズ会社を買収した方が合理的です」
ヴェガルドは、じっと画面を見つめたまま言う。
『まさか……エヴェリーナに絆されたのではあるまいな』
その言葉に、クリストファーはふっと笑った。
『何がおかしい』
苛立ちを隠さない視線。
「私は父上の息子です。愛や慈悲ほど無意味なものはない。それに女ならいくらでもいます。父上がよく知っているはずです」
一瞬の沈黙。
ヴェガルドは楽しげに笑った。
『そうだったな。それでこそ我が息子だ。お前の好きにしろ』
通信が切れる。
静寂が戻る。
クリストファーは部屋に用意されたワインに手を伸ばした。
「……そうだ。愛も優しさも温もりも、全て不要だ」
グラスを傾ける。
「エヴェリーナを手に入れるのも悪くない。光など、最初から存在しないのだからな」
数日後。
事件は起きた。
市内の教会を訪れた、その夜。
クリストファーは苛立っていた。
(神とはなんだ。救いとはなんだ)
(そんなものは、存在しない)
それでも。
夜毎、幼い頃の夢を見る。
魘され、目を覚ます。
「……過去など、通り過ぎた場所だ。俺には振り返る必要はない」
ウイスキーグラスを傾ける。
強い酒が、喉を焼く。
ふと、
赤ん坊をあやしていたエヴェリーナの姿が浮かぶ。
(ここに来なければ、あの女がいなければ)
グラスを強く握る。
「これほど悩む必要はなかった……」
低く、吐き捨てるように。
「俺の心を揺さぶる存在は、消えればいい……何もかも」
その時、ノックの音がした。
「クリストファー様、明日の予定について」
扉が開く。
エヴェリーナだった。
部屋に満ちる、強い酒の匂い。
「クリストファー様、いけません!飲み過ぎですわ!ビブロストをそのように飲んでは……」
ビブロストは度数五十度を超える酒だ。
水のように飲んでいいものではない。
クリストファーはふらつきながら立ち上がり、エヴェリーナに近づく。
「……俺に指図するのか」
低く、濁った声。
「愛や慈悲など、俺には不要だ。信じたところで何になる……?お前の優しさも慈悲も、所詮偽善だ」
じり、と距離を詰める。
逃げ場はない。
エヴェリーナは壁際に追い詰められる。
その顔は、
“魔王”と呼ばれる理由を、疑う余地もなく示していた。
冷たく、鋭く、容赦がない。
それでもエヴェリーナは、目を逸らさない。
静かに言った。
「傷を負った狼のようですね」
一瞬、静寂が落ちる。
次の瞬間。
「お前に何が分かる!!」
クリストファーは激昂した。
「お前が俺の何を知っている!何もかもが気に入らん!!」
拳が壁に叩きつけられる。
鈍い音。
震える空気。
それでも、エヴェリーナは動じない。
そっと、クリストファーの頬に手を添えた。
まるで哀れむように優しく。
「やめろ……!」
その手を振り払うように叫ぶ。
「そんな目で俺を見るな!!」
その夜。
月は異様なほど赤く。
ノルウェーの海を、静かに染めていた。
いくつもの花を手折ることで、心の傷を隠してきたクリストファー。エヴェリーナにだけは、支配は通じませんでした。




