全速蛇行ー追わせない船
船が速度を上げながら蛇行するのは、
進路を乱すためだけではありません。
自らの航跡に大きな波を生み、
接近する小型船を近づけさせないための行動でもあります。
けたたましい警報が、ブリッジに鳴り響いた。
リヒトは船長室から飛び出す。
「状況!」
「不明船接近。AISなし、距離急速に縮小中!」
一瞬で空気が引き締まる。
リヒトは即座に判断を下した。
「速度を上げろ。可能な限り全速力だ。蛇行を続けろ」
フレデリクがわずかに頷く。
「なるほど、航波で弾き飛ばすつもりですね」
すでに手はコンソールへ走っていた。
「出力上昇、全速前進」
「出力上昇、全速前進」
「右20度、左20度」
「右20、左30」
クリスタニアが大きく進路を振る。
船体が左右へ切り返されるたび、側面に巨大な航波が立ち上がる。
水の壁が連続して生まれ、後方へと叩きつけられていく。
その瞬間。
短音五声の汽笛が、夜の海に轟いた。
威嚇とも、警告とも取れる鋭い音。
――どけ、と言わんばかりに。
「不明船、減速……離脱!」
ブリッジの空気が、わずかに緩む。
だが、リヒトは視線を外さない。
「監視を怠るな。暗視ドローンを上げろ。速度維持」
「了解」
小型ドローンが夜空へ放たれる。
暗闇の中で、いくつもの微かな光が海上へ散っていく。
クリスタニアはなおも速度を落とさない。
蛇行を続けながら、不明船との距離を一気に引き離していく。
やがて、その影は完全に闇へと沈んだ。
残されたのは、荒い航跡と、まだ消えない緊張だけ。
白い船体はそのまま、
何事もなかったかのように、夜の海へ溶け込んでいく。
大きな船は、ただ逃げるだけではありません。
近づこうとするものにとって、
その航跡そのものが、
ひとつの障壁になります。




