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エピローグ

『きっと、邪魔になったんでしょうね。理由は、多分、それだと思います』


そもそも母はなぜ、林の中に埋められてしまったのか。

その疑問に答えてくれたのは、予想外の人物だった。


―――――棚道である。


『代表は、王様になりたかったんです。だけど、そこには王妃様なんて必要なかったんでしょう。すなわち、自分だけが崇められる世界を夢見ていたということです。だからこそ、子供たちに慕われている美里さんが邪魔だんでしょう。……成長した子供たちは、王国を支える人間になる予定だったのですから』


村田の事務所に顔を出してから更に数日が経過した頃のことだ。

自宅に引いている固定電話がけたたましく鳴り響いた。

普段は営業の電話くらいしか掛かってこないから、そのときも、恐らくそういった類のものだろうと思っていた。だから、何の警戒もせずに受話器を取ったのだった。

けれど、営業の電話は大抵が女性だから、聞こえてきた声が男性だったことにまず戸惑う。

しかも、「きわこちゃん?」と名前を呼ばれては、おのずと相手が誰だか推測できるというものだ。

驚きのあまりに返事さえできなかった。


『きわこちゃん、美里さんはね、確かに代表と……関係を持っていたと思う。だけど、それだけが理由であの施設に留まっていたわけじゃないと思うんだ』


突然、母のことを語りだした棚道に、曖昧に相槌を打つことしかできない。

言いたいことがたくさんあったはずなのに、あまりに突然のことで、呆然としてしまう。

もしもし、というお決まりの文句から始まった会話は、互いの名乗りも挨拶らしきものもなかったと思う。

はっきりとしないのは、それだけ動揺していたからだ。

反して、棚道は冷静そのものであり、さして躊躇うこともなく母のことを語りだした。

そんな彼に瞠目しながら、それでも、耳を澄ませる。

なぜ、自宅の電話番号を知っているのかという疑問も過ぎったけれど、調べる手段ならいくらでもあるのだろうと思い直す。

村田のような人間を知っているからこそ、そう考えるのだ。


『施設に入っていた子供たちのことが単純に気になったんじゃないかと思います。だから、他の大人たちと違い、とても親身になってくれました。後から聞いた話ですが、施設の経営にもかなり……口を出していたようです。結局、それが仇となってしまったようですが……』


棚道から聞かされる「美里さん」という人間は、叔母から聞かされた「母」とは全く別の人間のようだ。

叔母は、母のことを「少し大人しい感じで、自分の意見をはっきり言える人ではなかった」と評していた。

けれど、棚道や……あるいは純一の語った母はもっと快活で物怖じしない人のように思える。

叔母の前では猫を被っていたのか、それとも、団体に入って変わったのか。


『代表は他人の意見を素直に受け入れるような人間ではありませんでしたからね。美里さんのことが気に食わなかったはずです。それに、代表にとっての一番は今も昔も同じ女性で、それは美里さんではなありませんでした。だから、単純に、美里さんのことが目障りだったのでしょう』


いつの間にか相槌も忘れて棚道の話に聞き入っていた。

彼の言葉を否定することもなく受け入れることができたのは、友人が言っていたことを思い出したからだ。


―――――男ってね、女に反論を許さないようなところあるじゃない? まぁ人それぞれだとは思うけど。反論したり諌めたり、あるいは行動を修正するような行いは「正妻」か「本命」だけに許されることなの。


それに彼女は言っていた。二番手、三番手は男にとって都合の良い女でなければならないと。

男女の間に存在する複雑な心理模様は私にはよく分からない。何かを語れるほど恋愛経験が豊富なわけではないから。

けれど、目障りな人間を排除しようとする集団の心理は分かるような気がした。

母のことが、邪魔だったのだ。それだけだろう。でも、


「たった、それだけのことで……、そんなことで、私の母は、」


林の中に埋められるようなことになってしまったのか。

そう口にしようとしたけれど、言葉にはならず、温もりの感じられない空気が唇から漏れるだけだった。

黙り込んだ私に何を思ったのか、棚道は、


『私はね、あの団体から抜けられなかったわけではないんですよ』と言った。


代表の下から離れたくなかっただけです、と。

一体何を言い出すのかと、受話器を持つ手が震える。電話を置いている棚がリビングの隅にあるから、私は壁に向かって立っていた。だからそこには当然、誰も居ない。だというのに、棚道と対峙しているような気分になる。思わず見上げた視線の先には、カレンダーがかけられているだけだが、睨みつけているような目をしていたはずだ。

けれど、次の言葉で、身の内に篭った熱が霧散する。


『もちろん、代表のことを慕っていたわけではありません。ただ、……はっきりとさせたかっただけです』


未だに、自分を捨てた両親が迎えに来るような気がしていたのも事実だと、棚道はほんの少しだけ声を震わせた。だけど、次の瞬間にはそれまでと同じく抑揚の感じられない話し方に戻っていたので、私の勘違いだったかもしれない。


『だけど、ああいう団体は結束力が硬いですから。上まで登り詰めたところで、肝心なことは教えてもらえませんでした。……だから、正直、あなた方が来るまではそろそろ潮時かと考えていたんです』


ちょうど荷物をまとめていたところだったのだと聞かされて、息が詰まる。


『―――――でも、出て行かなくて良かったと思っています。私がずっとずっと探し続けていたものを、貴女が持ってきてくれたのだから。きっと、そういう運命だったのです』


棚道は、いっそ清清しいほどの声音で言った。


「探し続けていたもの、ですか……?」

『ええ、そうです』

「……」

『……私は、林の中に埋めたものが何なのか当たりをつけていたけれど、確証を得ることができなかったんです。……いや、それは少し違うかもしれません。確証を得ることができなくて、ほっとしていた部分もありました』


毎日、ほっとするためにあの団体に居座り続けていたのかもしれないと、棚道は言う。

確証を得られないからこそ、林の中に埋めたものの正体が分からない。――――-分からない、と思い込むことができる。


『だから、貴女が宗司の妹だと分かったときに、ああ、とうとうこのときが来たのだと思いました』


棚道はそう言いきって、深く、それは深く息を吐いた。


「―――――それで、あの日確証を得て、……棚道さんは、どう思ったんですか」

『……』

「棚道さん、」


本当は、本人に確認するまでもなく分かっている。

施設の子供たちは皆、私の母を慕っていたと告白した彼は、ひどく苦しそうな顔をしていたのだ。

本当の母親だったら良かったのにと言いながら微笑を浮かべたけれど、確かに、今にも泣き出しそうだった。


『ねぇ、きわこちゃん。宗司はね、あの後―――――、林の中に神様を埋めた後、よく右手を開いたり閉じたりしていたんですよ』

「……え?」

『ただの癖だと思っていたんですけど、もしかしたら怪我をしている可能性もある。だから心配になって、どうしたのか聞いてみたんです』

「……、」


『そしたらね、妹の手の大きさを思い出しているんだって、そう言っていたんです』


忘れそうになるから、その柔らかな手の感触を思い出すようにしているんだって。と、棚道は掠れた声で続ける。泣くのを、我慢しているのだと思った。

そして、


『―――――あのクマのキーホルダーを見て私は思いました。知らないことは、罪だと』


今度こそ、はっきりと声を震わせた棚道は、『知らずにいられれば良かったけれど、それでは駄目だったのだと、思い知っただけでした』と、小さく嗚咽を漏らした。


『罪は贖わなければ、』

「……待ってください……、待って。だって、知らなかったことが罪だと言うのなら、私だって、そうです!……私だって何も知らずに、のうのうと生きてきた……!」

『きわこちゃん……、』

「だけど、だけど……、私が罪を負うことを、兄は望みません。そういう兄だと、もう分かっています」

『うん、うん……、そうですね、』

「だから……っ、私は、私を許すしかない。私は、私を、許します……!」


―――――そうするしかないから。

私に会うことを躊躇った兄は、真実が露呈することを恐れた。

それはきっと、何もかもが暴かれたときに、私が傷つくと理解していたからだ。


「そして私は、棚道さん―――――、貴方を、許します……っ、他の誰も、貴方自身が許さなかったとしても、私は、私だけは貴方を許します、だから……、だから貴方も、自分を、許してあげて……っ、」


息が上がって、自分でも何を言っているか分からなかった。

喉の奥に大きな塊があって、気道を塞いでいる。その塊の正体を知っているような気がしたけれど、取り除く術はない。


誰もが、こういう苦しみを背負って生きているのだろうか。

誰もが、こんな風に、苦しんだりするのだろうか。


「貴方がどんな人間であっても、貴方が何をしたとしても、私は、貴方を許したい……、」


棚道は何も言わず、ただ、電話の向こうで泣いているようだった。

そして小さく有難うと言い、


『きわこちゃん、私たちはあの日、神様を失ってしまったけれど……、君はどうか、見失わないで』


『君は、どうか、信じ続けて』


『そして、いつか、年をとってそのときが来たなら……、今度は、宗司を、捜し出してやってくれないか……、今度は、あいつを、見つけてやって、』


と、切れ切れに告げた後、静かに電話を置いた。

無機質な、ツー、ツー、という音を聞きながら「……分かりました」と返事をする。

立っていられなくなって、フローリングに膝をついた。

膝の上に、ぽつり、ぽつりと、水滴が落ちる。


「きっと、いいえ、絶対に、」


「今度は兄を捜し出してみせます」と、両手を合わせて強く握り締めた。


棚道がどこまで兄のことを知っていたのかわからない。

だけど、以前「私と宗司はよく似ているから」と言っていた彼のことだ。兄がどういう行動をとるのか分かっていたのかもしれない。

そしてきっと、私のことも、想像がついたのだろう。

村田には「捜索願は出さないのか」と問われたけれど。

兄の望みを果たすのなら、そうすべきではないと思った。

きっとそれは人道に反することなのだろう。誰もに批判されることだ。だけど、私は選んだ。

正しい道ではなく、兄の望んだ道を行くことを。

もしも警察に捜索願を出すのなら、事細かに事情を聞かれるはずだ。そしてきっと、私が話すまでもなく、いつかは団体の存在まで嗅ぎつけ、創造の家まで辿り着き、兄と3人の幼馴染のことまで暴かれるはずだ。だって、私と村田が辿り着いたくらいである。

他の人間が辿り着けないとは言えない。


だから、私は目を閉じ、耳を塞ぎ、口を噤もう。


水底に沈んだ兄のために。

母は私のことを恨むかもしれないけれど、棚道の願い通り、いつかそのときが来たなら兄を捜し出して一緒に謝りに行けばいい。


天に召された後、そういう世界があるかもしれないと信じ続けて生きていく。


それまでは兄の言葉を支えに、歩いていこう。




親愛なる妹よ、君よ。


会いに行きたい。















本当は、いつでも会える距離に居た。

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