第四話 オタケの手当て
「痛いよぉ」
薬屋たぬきの店先で、一人の少年がポロポロ涙をこぼしているのを、母親と客として訪れていた冒険者が周りを取り囲んでいる。
「こりゃひでぇ」
ベテラン冒険者のハヌマンが、少年の柔らかい皮膚が大きく擦り剥けていることに、悲しげな表情を浮かべた。
「目を離した隙に、こんなことになってしまって」
わが子以上につらそうな顔をする母親は、自分が食事を作っている間に、息子が庭に遊びに出ていることに気付かなかったらしい。
夕闇の薄暗い中、木登りに興じていた少年は、足を滑らせ身長の三倍もの高さから落ちた。
運よく頭は打たなかったが、上半身から地面に叩きつけられ、両腕に大きな擦り傷が出来ている。
ただ、ここは薬屋。
教会の治療院のように治癒魔法を使える聖職者は居ない。
消毒をして、傷薬を塗り、包帯を巻いてやるくらいしかできないだろう。
ハヌマンは、自分の鞄から治癒薬を出そうかと悩んだ。
これは、大金を積んで、いざと言うときのために買った特別な薬だ。
日中なら、治癒魔法で直ぐにでも傷を癒してもらえるだろうが、一晩子供が泣き続ける声を聞くのも辛い。
ただ、薬の効果が強すぎて、傷程度にどれくらいの量を使えばよいのかも分からない。
どうしたらよいのかと思案に暮れていると、
「皆さん、少し後ろに下がっていただけますか?」
薬の準備をしていたオタケが、湯を入れた桶と薬箱を持って戻ってきた。
「さぁ、これを口に入れて」
オタケは、飴を一つ取り出すと、少年の口に入れた。
口に広がる、ほんのりとした甘みに、少年の嗚咽が止まる。
柔らかな布と温かい湯で傷口を洗うと、オタケは、やや緑がかった塗り薬を指に取り、薄く広げていった。
ヨモギの成分をオイルで煮出し、蜜蝋を加えて固めたものだ。
即効性はないが、止血効果や消炎効果があり、次の朝まで傷を悪化させないことくらいは出来るだろう。
「いたいの、いたいの、とんでいけ」
オタケが、不思議な言葉を唱えながら包帯を巻いた腕の上に手を置くと、何故か痛くないような気がしてくるから不思議だ。
彼女が、よく、母からしてもらっていたおまじないのようなものだが、少年は、目をパチパチと瞬かせながら、母親を見上げた。
「ママ、いたいの、とんでった」
コロコロと飴玉を口の中で転がして、さっきまでの泣き顔からは想像できないような笑顔を見せる息子に、母親のほうが驚く。
「本当に、痛くないの?」
「うん、いたくない」
「まぁ」
母親がオタケを見ると、オタケも首を傾げている。
「そこまでの効き目は、この薬には、ありませんけど」
もしや、薬の調合を間違え、麻酔のような効果が生まれていたのなら、逆に、恐ろしい。
こんな小さな体の子供に、どのような悪影響が起こるか分からないからだ。
しかし、オタケは、そのようなことが起こらないよう、万全の注意を払っている。
確かに、この薬は、ただのヨモギを原料とした塗り薬だし、それ以上の効能はない。
「まぁ、いいじゃねぇか。良かった、良かった」
子供が泣きやんだことに、その場にいた冒険者たちは、全員が安堵していた。
その場の空気が祝うようなものになり、オタケも、深く考えずに全員に茶と菓子を振舞ってその場は終った。
ただ、このような事が、数度続けば、皆おかしいと思い始める。
効果は大したものではないが、確かに、オタケが手を当てて呪文を唱えると腹痛が軽くなったり、眩暈が治まったりする。
薬との相乗効果もあるだろうが、助けられた者達は、その摩訶不思議な体験を口々に広めていった。
そして、ある日、教会から来た聖職者のヨハンが調査のために薬屋たぬきを訪れることとなった。
白髪の老司教を前に、オタケは恐縮仕切りで身を縮めている。
「私、怖いんです。何故か理由も分かりませんし、思わぬ作用があって症状を悪化させてはいけないので、出来れば、もう止めようかと」
皆が「オタケの手当て」と呼び始めた行為は、呪文を唱えて手を当てるというだけのものだ。
しかし、ヨハンは、この店に入ってから、既に空気が驚くほど澄んでいることに驚いていた。
「ここは、大聖堂とよく似ています」
悪しいものを踏み入れさせないよう結界が張られた教会の総本山は、常に、清浄な空気に満ちている。
そこに似た茅葺き屋根の家は、いつまでも留まりたい気持ちにさせる居心地のよさがあった。
出された茶は、麦を炒って作ったものだという。
確かに麦の稲穂を濃くしたような色合いで、香ばしく、体に染み渡るような美味しさがあった。
「すこし、お手を拝借しても?」
「はい」
オタが右手を差し出すと、ヨハンも右手を出し、握手をする。
「ほぉ、なるほど、なるほど」
ヨハンは、オタケの温かな手から、微量ながら治癒魔法に近い波動を感じた。
しかし、完全に一致するのかと言えば、そうではない。
もっと緩やかで、そして温かい。
まるで、母親に抱き締められた幼児のような気分にさせられる優しいエネルギーだ。
「これは、確かに『手当て』と呼ぶに相応しいものですね。我らも、医療行為を手当てと呼びます。それは、人の温かな手が触れるだけで、痛みが軽減されることがあるからです。貴女は、その力が、他の人より少し強いようです。決して悪いものではありません。強すぎる力でもありませんので、これからも、人々の役に立てられたら良いかと思います」
治癒魔法のような即効性がある強力なものならば、封印も考えなければならないとヨハンは思っていた。
何故ならば、使い方を間違えると、施された相手の命すら脅かすものになるからだ。
聖職者は、この力をコントロールするために、幼い頃から訓練を受ける。
しかし、オタケの力は、愛情から来る思いの力であり、他者を害するようなものではなった。
「良かった」
安堵するオタケの様子に、彼女の心根の良さを感じたヨハンも敵対せずに済んだ事を喜んだ。
『いや、この少女なら、もし強大な力だった場合でも、自分から封印を望みそうだ』
こうして、ホッと無出を撫で下ろしながら麦茶と一緒に出された饅頭を口に入れた瞬間、その美味さに、ヨハンは、『薬屋たぬき』の熱烈なファンになった。
「中の舌触りの良い具は、豆を磨り潰した物ですね?あぁ、なんと上品な甘みでしょうか。このように美味しい菓子は、王都でもなかなかありません!」
熱く語った彼は、店頭に甘味が並ぶと噂を聞きつけると、歳若い部下を走らせるようになった。
だが、両隣の冒険者と商人に先を越され、手に入れることがなかなか出来ない。
とうとう業を煮やしたヨハンは、オタケと直接交渉をし、週に一度の約束で治癒院に甘味を卸してもらうことに成功した。
無論、冒険者ギルドと商業者ギルドも黙っているはずもなく、日をずらして同じように甘味を手に入れたのは言うまでもない。
ただ、この甘味、定期的に食べるようになると、ある効果が付与された特別な物だと分かるようになった。
団体の運営でストレスを多く抱えるヨハンやギルド長は、時々胃が痛くなることがあったのだが、その頻度が明らかに減ったのだ。
美味しい菓子を食べて胃痛が減るなら、胃薬よりもはるかに良い。
ただ、オタケの手作り和菓子は大量生産できない。
そのため、恩恵にあずかる者達は、他に広めないよう固く口を閉ざし、製作者である本人すら、この事実を知らないという逆転現象がおきるのだった。




