#89 夢の休日
――翌日。
1月7日、土曜日の朝のことだ。
東の空から昇った太陽が、東京都内のマンション『グランド・ホライズン』に日の光を注ぐ。
その21階の一角が破瀬家の住居だ。
ここ数日より少し遅い時刻に、さららは目覚めた。
昨日、一昨日のアルバイトはいつもと勝手が違ったので、思ったより体が休養を求めていたのかもしれない。
さららの目元には、涙のあとがあった。
――夢を見ていたのだ、とさららは気づいた。
夢の内容は、もう記憶から消え去っていた。
……けれど、さららはなんとなく、夢の中で亡くなった両親に会えたような気がした。
――トントントン……
キッチンから、包丁がまな板を打つ音が聴こえて来る。
さららの兄――鋼侍が、朝食を作っているのだろう。
4年間の2人暮らしの中で、鋼侍もかなり料理の腕を上げていた。
――自分の好物だといいな。
と、さららは思った。
さららはベッドを下りると、パジャマ姿のまま部屋を出る。
「おはよー……」
まだ重たいまぶたをこすりながら、キッチンに気だるげな声を投げかける。
包丁の音が止まり、キッチンの主がさららに視線を向ける。
「おや、もう起きたのかい」
「うん」
さららは振り向かずに返事をして、リビングへ向かう。
テレビの音が聴こえて来る。
誰かがソファに座っているようだ。
「やあ、さらら。――おはよう」
「おはよ」
あいさつを返し、そのまま洗面所へ向かおうとして――――
「――――えっ……!?」
さららは一気に目を覚ました。
そんなさららの驚いた声を聞いて、リビングとキッチンから2人分の視線が向けられる。
どちらの人物もきょとんとした様子で、「何かおかしなことでもあったのか?」とでも問いたげだ。
――それもわずかな時間のことだった。
2人はすぐに顔を見合わせ、いたずらが成功したような笑顔を浮かべた。
さららの両目に熱い涙が湧き上がる。
「――――お父さん! お母さん!」
「――久しぶり、さらら」
「……ずいぶん立派になったねえ」
鋼侍と両親の再会から、遅れること2日――――
さららもまた、今ここで守と祭離の2人と再会を果たした。
……ちなみに、このとき鋼侍はまだ自分のベッドの中でいびきをかいていた。
†
「裏切り者ぉ……お父さんたちと会ってたこと、私に隠してたのね……」
ひと通り、嬉し涙を流し終えた後。
――さららは起きてきた鋼侍に対して、恨みがましい目を向けた。
頭に寝グセをつけた鋼侍は、あわてて平謝りする。
「ごめん! 母さんたちに口止めされてたんだよ! 『サプライズだから』って……」
すると、母――祭離は首をかしげる。
「ええっ? そんなこと言ったっけなぁ〜?」
「……さあ、どうだったかな」
「――母さん! 親父! そりゃないだろぉっ!」
便乗して父――守がとぼけると、鋼侍は悲鳴のような声を上げた。
そのとき、さららはすぐに両親の目が笑っていることに気づいた。――が、このままにしておいた方が面白そうだと思い、黙っていることにした。
「……鋼侍、もっと言葉の裏を読むことも覚えた方がいい」
「俺が悪いのかよっ!」
理不尽な守の指摘に鋼侍が叫ぶ様子をながめながら、さららはつい噴き出してしまった。
「――……2人は、生き返ったわけじゃないんだよね?」
朝食を終え、やや空気が落ち着いたころ――
さららは少しためらいながら、テーブルの対面に座る両親に質問した。
祭離は若干さびしそうに微笑み、守はコーヒーをすすりながら片眉を上げた。
「――この3日間だけ、現世に戻ることを許してもらった」
「……そういうわけさ」
守も祭離も、あえて詳細を語ることはしなかった。
死後の世界や前世の神々との関わりについて、いたずらに生者に語るべきではないという判断だ。
それは今回、2人が一時的に現世に帰還する上での条件でもあった。
守たちがたった3日間とはいえ黄泉返りを果たせた背景には、主に2柱の神――ヘリオスとニュクスのはたらきがあった。
2神は『霊界』の管理者と粘り強く交渉し、今回の特別対応を認めてもらったのだ。
『霊界』側は当初、特例を作ることに後ろ向きだった。が、レグラという神に過失があった点、期間を短く限定する点、そして偉大な2神たっての希望という3点を考慮し、このささやかな願いを叶えることを認めた。
2人が現世で活動するための肉体を用意したのは、この世界の現在の管理者である神テラだ。無論、テラにはこの対応に関する拒否権などなかった。
「――4年前は、ちゃんとお別れできなかったからねえ。こんな機会がもらえて良かったよ」
「……さすがに、鋼侍にだけ会っておいてこのままというのも、心苦しかったからな……」
祭離と守は、口々にそう言った。
そこに、洗い物をしていた鋼侍がキッチンから口をはさむ。
「――俺もまだ、2人とはあんまり話せてなかったから、良かったよ」
「あのときは『さららが危ない』……って、あわててたからねえ」
このとき2人の頭にあったのは、2日前に鋼侍があせって龍ノ顎ダンジョンに戻ろうとしていたときのことだ。
「それって、お兄が転移させられてたときの話?」
さららの疑問に、祭離と守がうなずいた。
「そうそう。その話がまだだったね。――鋼侍、初めから話してあげなよ」
「おう、そうだな。……えーっと、俺が龍ノ顎ダンジョンでレグラに転移魔法を食らったあと――――」
この日1日、親子4人はマンションで水入らずの時間を過ごした。
聞きたいこと、話したいことは山ほどあった。
朝から晩まで話しても、話題が尽きることはなかった。
††
――ピンポーン
翌日の午後、破瀬家のマンションを訪ねる者たちがいた。
「はーい」
祭離が玄関のドアを開けると、年齢差のある1組の男女がそこに立っていた。
「いらっしゃい。――天王寺さんね」
「は、はじめまして! 天王寺叶純です」
「……天王寺和馬です。本日はお世話になります」
その男女とは、叶純と和馬の父娘である。
守と祭離の2人に会えるのはこの3日間限り――ということで、鋼侍は家族の了承を得た上で、叶純にも事情を明かした。
叶純は驚きながらも鋼侍の話を信じ、このタイミングであいさつに来ることを決めたのだ。
鋼侍としても、それはやぶさかではなかった。
――ただし、まさか父親の和馬まで一緒に来るとは思っていなかったので、内心ではかなり動揺していた。
「どうぞ、こちらへ」
さららを除く両家の親子合わせて5名が、破瀬家のダイニングテーブルをはさんで対面する形になった。
(まるで、お見合いみたいだな……)
両親の間にはさまれながら、鋼侍はそう思った。
さららが人数分のお茶を配り終え、両家の対話が始まる――――
「あの……守さんって以前、私とどこかでお会いしていませんか?」
その冒頭、自信なさげに問いを発したのは叶純だった。
守はゆっくりと首を左右に振る。
「いいや……。もちろん、私はあなたのことを存じ上げているが、こうして現世で直接会うのは初めてだよ」
「そうですか……。すいません、おかしなことを聞いてしまって」
叶純は、テーブルの上でぺこりと頭を下げた。
――物は言いようだねぇ……
祭離はそれを声に出さず、こっそりと口の中だけでつぶやいた。
「……それにしても、亡くなった方とこうしてお話しができるとは驚きです」
和馬がそう感じるのは当然のことだ。
対面に座った祭離は、あいまいな笑みを浮かべる。
「あたしらの事情はちょっと特別なもので……。あまり詳しいことは話せませんが」
「ええ。そこには立ち入らない方がいいのでしょうね」
和馬はその返答に理解を示した。
祭離は叶純をちらっと見てから、右隣の鋼侍に話しかける。
「――で、2人はどこまで進んでるんだい?」
「ブッ!」
鋼侍がお茶を噴き出した。
――ピシッと、和馬の表情が凍りつく。
和馬はすでに、叶純から鋼侍と交際していることを聞いていたが、まだそれを素直に受け入れられずにいた。
「か、母さん! いきなり何言い出すんだよ!」
「なんだい? 今日はそういう話じゃないのかい?」
「いや……そりゃ、ないとは言わないけどさあ……」
鋼侍は、続けて弁解の言葉を述べる。
「だって、付き合い始めてまだ2週間だぜ? どこまでも何もないだろ」
そのセリフを聞いて、和馬の顔に血色が戻って来る。
「なあんだ。――じゃあ、キスもまだなのかい?」
なにげない祭離の問いに、鋼侍と叶純の顔が赤く染まる。
――その反応を見て、和馬の目がくわっと見開く。
「……キスは、しました」
「……うん、したな」
恥ずかしそうに肯定する2人の様子を見て、祭離は口笛を吹き、和馬は愕然とした。
祭離が鋼侍の背を叩く。
「やるじゃないか! こんなべっぴんさんを捕まえて」
「痛っ! いや、まあ……俺にはもったいないくらいの彼女だよ」
祭離が声を上げて笑う中、鋼侍はそっぽを向いてそう言った。
祭離はすっと正面に向き直る。
憤怒の表情を浮かべかけていた和馬は、なんとかそれを真顔に戻した。
「――と、2人の恋愛はこんな具合で、まだ初々しいもんだね」
「え、ええ……そうですね」
和馬は、内心の動揺をこらえながら返事をした。
「……あたしら大人にできることは、2人を温かく見守ることなんじゃないかい?」
「――――」
微笑とともにそう問われ、和馬はハッと目を見開いた。
祭離の言葉は続く――
「――別に、今すぐ結婚するってわけじゃあるまいし」
ガタンッと、鋼侍の椅子が音を立てた。
「け、結婚〜〜ッ!?」
「け、結婚だなんて、そんな……っッ!」
鋼侍は大声を上げ、叶純はますます顔を赤くした。
「……おっと、口がすべったかね」
そう言いながらも、祭離の顔は笑っていた。
和馬は会話の急展開にめまいをおぼえ、つい額を手で押さえた。
――そのとき、奥の席から守が和馬に向かって言葉を投げかける。
「和馬さん。同じ娘を持つ父親として、あなたの気持ちは少し理解できるつもりです」
和馬は少し驚きながら守の方を向いた。
「――大事な愛娘がこのような唐変木に奪われるかもしれないと思えば、きっと八つ裂きにしたいほどのお気持ちでしょうね」
「親父ぃ! それが愛息子に言うことかっ!」
「いや、そこまでは……」
鋼侍が目をむいて怒鳴る一方、和馬はあまりに過激な言葉に引いていた。
守は言葉を続ける。
「2人が将来結婚するにせよ、しないにせよ、私と妻がその場に居合わせることはないでしょう」
「…………っ」
それを聞いて、鋼侍が悲しげな表情を浮かべるのを和馬は見た。
「――ですから、愚息がもし何かそちらにご迷惑をお掛けするようなことがあれば、どうぞガツンとやってしまってください」
「…………は?」
鋼侍は信じられないといった顔つきで守を見たが、守は意に介さなかった。
「――――」
目を丸くした和馬だったが、やがてフッと口元を緩める。
「わかりました。――ガツンとですな」
「ええ。幸い、愚息は頑丈ですから」
「……えっ? えっ?」
2人の父親が笑みを交わし合う中、鋼侍は左右を見比べて青い顔をしていた。
その後はしばらく、なごやかな歓談の時間が続いた。
††
幸福な時間は、あっという間に過ぎ去ってしまう。
さららや鋼侍にとって夢のようだった3日間は、またたく間に終わりつつあった。
1月9日月曜の夜、4人はマンションのリビングで「そのとき」を迎えていた。
「――さて……。そろそろ、『あっち』に帰らないとだね」
なんでもないことのようにそう言って、祭離がソファから腰を浮かせる。
そうだな、と言って守がその後に続く。
「ウソっ! ――もうそんな時間……?」
両親の間に座っていたさららもあわてて立ち上がり、2人と手をつなぐ。
鋼侍も合流し、4人で窓際へと向かう。
「――これで、本当に最後なんだよね……?」
涙目で問うさららの頭に守が手を置き、祭離がその肩を抱く。
「ああ……」
「そうだね……」
さららの目から涙があふれ、しずくとなってぽたぽたと床に落ちる。
「……もっど、2人とこの先も一緒に生きだかっだ……!」
肩を震わせるさららを前に、他の3人の目にも涙が浮かぶ。
「あたしたちもだよ……」
祭離は両腕をさららの背に回し、さららは母の首筋に顔をうずめた。
「……現世ではこれで最後だが、しばらく向こうから見守っているつもりだ」
「そうだねぇ。せめて孫の顔ぐらいは拝んでおきたいねぇ」
守の言葉の後、祭離が追従してそう言った。
鋼侍がポリポリと後ろ手で頭をかく。
「恥ずかしいところ見せないようにしないとなぁ……」
それを聞いて、さららが少し顔を上げる。
「……お兄、それもう手遅れ」
リビングに4人の笑い声が響いた。
「――幸せになりなさい、さらら」
守の言葉に、さららは力強くうなずく。
「……う゛ん、わがっだ」
その直後、祭離も鋼侍に言う。
「鋼侍は……まあ、大丈夫だろ」
「なんだよ、それ!」
再び、笑いの花が咲く。
さららはゴシゴシと目元をぬぐった。
「お父さんとお母さんも、来世では幸せに生きてね……!」
両親は微笑みを返す。
「ああ」
「約束するよ」
家族4人で抱き合った後、鋼侍とさららは窓を背に立つ両親と向かい合う。
東京の夜景を背景に、守と祭離の体が光に包まれていく。
「――親父! ――母さん!」
「――お父さん! ――お母さん!」
「「さよなら!」」
さよなら
――口の動きでそう応えながら、
2人の姿はゆっくりと、夜闇に溶け込むように消えていった。
鋼侍とさららの目には、2人の笑顔がいつまでも焼きついていた。




