#85 神への反逆(前編)
「「――鋼侍ッ!!」」「――ハセコー!?」
龍ノ顎ダンジョンの最深階、「守護者の間」に3名の驚きの声が響いた。
その3名とは、日本トップの探索者である天王寺叶純と四方津世音、そしてダンジョン対応戦隊に属する雨江輝人だ。
――さかのぼること約35分前。
地下10階でレグラが行使した転移魔法によって、破瀬鋼侍はこの世界から外界へと追放された。
……にも関わらず、そんな事実などなかったかのように、この場にふっと現れた。
まるで、最愛の妹であるさららの危機に、反応したかのようなタイミングで。
――〝奇跡〟が起こった。
裏側で動いていた神々のはたらきを知らない3者にとっては、そうとしか思えなかった。
その場にはまだ、【管理者】レグラが生み出した顔無しの複製体――偽レグラが10体以上残っていた。
だが、強化された守護者である赤金龍と、特殊スキル【比翼連理】の効力を発揮した叶純の参戦によって、それらはわずかな時間で殲滅されることになる。
その後3者は各々、鋼侍とレグラの対決を見守る形となる――。
(――――装備が変わってる……?)
鋼侍の背中にかばわれたさららは、その事実に真っ先に気づいた。
以前の鋼侍の装備は、叶純の注文によって作られた『破天荒地』――ガントレットとグリーブの4点セット装備が主体だった。全身をカバーする魔鋼素材製のボディスーツも着用していたが、あとの防具らしい防具はヘルメットぐらいだった。
今はそこに、黒騎士――2人の母親である祭離――の魔法によって形成された胸鎧と腰当てが加わっている。
更にデザインも一新され、黒色をメインに白色を取り入れたカラーリングに変化していた。
(――いったい、この短時間でお兄に何が…………?)
この世界でレグラとの戦いに集中していたさららにとって、それは知るよしもないことだった。
「――――ぶぼうぇッ!?」
グシャッという音とともに、レグラの体が10メートルほど後方に吹き飛び、大きく地面上でバウンドした。
鋼侍が全力の拳で殴りつけたのだ。――その拳はなんと、S級魔鋼合金よりも硬いガントレットで覆われている。
鋼侍のパンチには、火山が爆発したような怒りが込められていた。それはもちろん、愛する妹に危害を加えられたことに対するものだ。
「ぐごガっ、ががぎぐげ……ッ」
レグラの顔は大きく変形し、首はねじ切れそうなほど曲がっていた。
常人なら死んでいるところだが、神レグラの肉体は特別製だ。数秒ほどで無事に完治した。
――しかし、レグラの精神は無事ではない。
その内側では、動揺が嵐のように吹き荒れていた。
それは、この世界から追放したはずの〝ハセコー〟が思いがけずこの場に帰って来たから……――だけではない。
(――――バカな……! 今ノ攻撃、まるで見えなかっタ…………)
鋼侍の動きの質が、ほんの30分前までとは別人のように変わっていた。
その変化は、単に怒りでリミッターが外れた――などという理由で説明がつくレベルのものではなかった。
――その理由を、レグラは知らない。
まさかランダム転移した先で、神をも倒し得るほどの歴戦の戦士2名に鍛え上げられ、実戦を経て大きく成長するとは夢にも思わない。
ましてや、そのお膳立てをレグラ自身がしてしまったとは――――
たとえ事実をありのままに告げられたとしても、レグラの精神はきっと理解を拒絶したことだろう。
「――――レグラぁ、てめぇ……、〝覚悟〟はできてんだろうなぁ!?」
たった1撃殴った程度で、鋼侍の激しい怒りが収まることはなかった。
その怒りの火口からは、いまだぐつぐつと煮えたぎったマグマがあふれ続けていた。
――――ブルッ……
レグラの肉体が無意識に震え上がる。
(――怯えてイル……? ……神である我が、タカガ下界の民に……?)
自身の精神に芽生えた、かすかな恐怖に気づいたレグラは――
(――アリ得ナイ……!!)
それを強く否定した。
神としてのプライドから、それを認めるわけには行かなかった。
「……フ、フンッ! マ、マグレは2度は起こらナイ。……今度こそ、無限の彼方へ消し飛ばシテ――――」
レグラは言葉を最後まで言い切ることができなかった。
まばたきすらできないほどの刹那の内に、鋼侍が眼前に迫っていたからだ。
「――ヒッ」
レグラは、のどの奥で小さな悲鳴を漏らした。
「――オラァッ!!」
「ぐぼぉぁッ!!」
鋼侍の重いボディアッパーを食らい、レグラの体が「く」の字に折れる。
「うおりゃあぁっッ!!」
――その直後、レグラの体はボス部屋の上空を舞っていた。
鋼侍のグリーブによって蹴り飛ばされたのだ。
「――――あああアァァぁぁッ……!!」
(…………クッ! ――不覚!)
思わず叫び声を上げたレグラだったが、なんとか空中でピタッと動きを止める。
それから、鋼侍の正面20メートルの位置にふわりと着地した。
鋼侍が右手を前に出し、2本の指を立てて見せる。
「2回目だぜ。――これで、マグレじゃねえってことでいいか?」
「――――オノレ……ッ!!」
レグラの白い顔に青筋が浮かんだ。
†
「――――すごい……。あのレグラが、一方的にやられてる……」
さららのそばに立った叶純が呆然と言った。
いち早く3体の偽レグラを斬って捨てた彼女は、護衛のドラゴニュートを失ったさららに寄り添うようにして、鋼侍とレグラの対決を固唾をのんで見守っていた。
「――――いや、ダメだ!」
そんな声をはさんだのは、すぐ近くで1体の偽レグラと戦っている雨江だ。
「レグラには、『物理無効』特性があるんだ! 物理攻撃だけじゃ倒せないはずだっ!」
――このときの雨江に、他意はない。
ただ、自身の持つ【原作知識】に基づく事実を述べただけだ。
別に、場の空気を壊そう、などといった悪意は一切なかった。
……ただし、それを近くで聞いていた叶純とさららにとって、印象は最悪だった。
2人はそろって半眼になり、急速に心が冷えていくのを感じた。
しかし――――
『――――彼の言葉は事実です。レグラの今の肉体は、言わば粘土細工の人形のようなもの。いくら物理的な傷を与えても、意味はありません』
さららに宿った神リヴィエの分霊が、雨江の言葉を支持する内容を告げた。
――その声は、さらら以外の耳には届かない。
「そうなんだ……」
さららにとって、リヴィエは慈愛に満ちた尊敬に値する神だ。さららはすでに、リヴィエを敬愛し信頼していた。
そのリヴィエに鋼侍の優位を否定されたことは、雨江に言われるよりも100万倍はショックだった。
「――――さららちゃん、大丈夫だよ」
「……え?」
さららを安心させるように言ったのは、彼女の隣に立つ叶純だ。
叶純には当然、リヴィエの声は届いていない。だから、さららが雨江の言葉を受けて意気消沈した――と、勘違いしていた。
――しかし、たとえリヴィエの意見を聞いていたとしても、叶純の判断は変わらなかったかもしれない。
「――――鋼侍は、きっと勝つ」
叶純の瞳は、鋼侍の姿をただまっすぐに映していた。
その言葉に、根拠はなかったかもしれない。
しかし、叶純には強い確信があった。
そんな叶純のひたむきな姿を見て、さららもまた認識を改める。
(――――叶純さんの言う通りだ…………)
――物理無効?
……それなら、レグラはなんであんなに無様にやられてるの?
(それに、レグラはきっと今、お兄のことを〝怖い〟って思ってる……。……伝わって来る。レグラの恐怖が――――)
知識よりも、状況の方が事実を物語っている――。
叶純に感化されるようにして、さららもまた確信を得た。
「――――そうですよね、叶純さん!」
さららはそう言葉を返すと、兄に声援を送るべく、大きく息を吸い込んだ。
†
「――お兄、そんなヤツ、ぶっ飛ばしちゃえーっ!!」
「応ッ! 任せとけっ!」
さららの声援に、鋼侍は片手を振り上げることで応えた。
――ここで、憤怒の形相を浮かべていたレグラの口元がニヤリとゆがむ。
鋼侍は、そんなレグラを見て眉根を寄せた。
「……何がおかしい? ボコられて、おかしくなっちまったか?」
レグラは鋼侍の疑問を鼻で笑う。
「フッ……愚かダナ、〝ハセコー〟。今ここにいる我は、下界で活動するための仮初めの肉体に過ぎナイ。多少虫に刺されようが、痛くもかゆくもナイ」
そう。レグラは、雨江やリヴィエの言葉にあった自身の性質を思い出したことで、余裕を取り戻したのだ。
「――――ん…………?」
鋼侍はそれを聞いて、更に眉間にしわを寄せる。
(…………あれ? おかしくね?)
――あの不思議なダンジョンで、両親から聞いた話と違うような……
そして、鋼侍はやっとそれに気づく――
(あ…………、忘れてた…………)
――そう……。
鋼侍は、両親から継承した重要な〝力〟を行使することを、なんと今この瞬間まで忘れていた。
――それはひとえに、鋼侍がこの場に転移した直後に見た光景によって、カッと頭に血が上ったためだ。
レグラがさららに剣を突きつけているのを見た瞬間、鋼侍の心は怒りであふれ返り、他の全てが吹き飛んでしまった。
「――あッ! あああぁぁーーーっッ!!」
それに気づいた瞬間、鋼侍は悔しそうに大声を上げて両手で頭を抱え込んだ。
鋼侍の突然の奇行に、一同は――レグラも含めて――ギョッと驚く。
〝――まるで、レグラの発言にショックを受けているかのようだ〟
本人以外の全員にとって、鋼侍の態度はそう受け取れなくもなかった。
実際にレグラはそう認識し、再び表情に笑みを浮かべる。
「……フ、フフッ! どうやっても我には勝てナイと理解したカ――」
そんな両者の様子を見比べて、さすがの叶純も動揺を隠せなかった。
その叶純に、さららが横から不安そうな声で問う。
「――か、叶純さん! お兄は、勝てますよね?」
「……あ、あぁ……鋼侍ならきっと――…………いや、たぶん…………」
先ほどまで自信に満ちていた叶純だったが、今では冷や汗をかいていた。
そして、その直後――――
鋼侍はいきなり、「ハハハハハッ……!」と天を仰いで大きな笑い声を響かせる。
――それはまるで、全てを諦めて投げやりになってしまったかのように、周囲の一同には映った。
「か、叶純さんっ!!」
「いや、えーっと……これは、ダメかもしれないね……」
さららや叶純がますます動揺する一方で、レグラの表情はすっかり余裕を取り戻した。
「――哀レ……。〝ハセコー〟は気が狂っタ。これより我が引導を渡ス」
そう言ってレグラは両手を剣に変える。
さすがにだまって見ていられなくなった叶純は、鋼侍に助太刀すべく愛刀の柄に手を掛ける。
――そんなとき、鋼侍が再び大声を上げる。
「いやー、悪いわるい! すっかり忘れてたよ!」
「「「「――――…………はぁっ?」」」」
一同の――レグラも含めて――ツッコミがシンクロした。
……が、そんな周囲の空気に構うことなく、鋼侍は改めて両の拳を打ち鳴らし、気合を入れる。
「――じゃあこっから、本気で行くからッ!」
――――ゾクッ…………
レグラはその瞬間、全神経が逆なでされたかのような恐怖に襲われた。
「チョ、チョット待っ――――」
その言葉を言い終えるよりも早く、レグラは再び急接近した鋼侍の拳を顔面に食らい、大きく後方に吹き飛んだ。
(((――――なんだ、結局ただ殴るだけか…………)))
叶純やさららたちは、それを見て初めはそう思った。
しかし、次の瞬間――――
「――――ぴぃギャアアあああ゛あ゛ぁぁァァっっッッッ!!」
金切り声のようなレグラの絶叫が、初めてボス部屋中に響き渡った。




