#66 決戦前夜【鋼侍視点】
ベヒーモスを倒してからの約10日間は、あっという間だった。
その間に俺たちダンジョン攻略チームは、最深階――地下30階層にまで到達していた。
もちろん、決して楽な道のりではなかった。
特に地下20階からは、遂にX級モンスターが群れを成して襲いかかって来るようになった。
さすがにあのベヒーモス級の化け物は出なかったが、アシュラ級のモンスター――というか、アシュラそのもの――も割とふつうに出現するようになった。
『お兄、後ろからアシュラが2体近づいて来てる!』
「げえっ! またあいつらかよ……」
……まあ、アシュラは核があることがわかっているから、比較的対処が楽な方だった。幸い、あの『鬼哭峠ダンジョン』で戦ったボスほど強い個体が現れることは少なかった。
パーティーの陣形としては、俺――破瀬鋼侍とリタが前衛、ベンが中衛、叶純とナジャが後衛。これがほぼ固定のものとなった。
――後衛の2人には、X級モンスターの攻撃を通してはならない。
俺は常に、そんな危機感を持ちながら戦っていた。
「コージ、そんなに後ろに下がらないで! 攻撃の手が足りなくなるわ!」
「ああ、すまん! つい……」
時折、後ろを気にしすぎてリタに怒られることもあった。
――ベンがある程度防御を受け持ってくれなかったら、探索のペースは半減していたんじゃないかな?
「今日もコージにキルスコアで負けたわ……」
「探索は順調だろう? 勝ち負けは重要ではないと思うが」
「そうね。そろそろ張り合うのがバカバカしくなってきたわ」
ある日、リタとナジャがそんな会話をしていたのが、スマートコンタクトレンズに映った日本語の翻訳テキストでわかった。
……キルスコアなんて、気にしたことなかったな。
リタはリーダーで周りを見る立場だから、仕方ないんじゃないのか?
……なんだろう。
日を追うごとに、周囲の俺を見る目が、どこか得体の知れないモノを見るような目つきに変わってきたような……。
1回基地でオペレーターのカナダ人女性に話しかけたら、メチャクチャ驚かれて距離取られたんだよなあ。……アレはショックだった。
「――毎日せっせと駆除したおかげか、モンスターの数もめっきり減ったな」
「ああ。行き帰りが楽になったよ」
ハンヴィーという軍用車両に乗ってダンジョンに通う道中、アメリカ人探索者のウィリアム・ブローニングとそんな会話をした。
ここ数日は、地上でモンスターが湧くことも少なくなった。
「ダンジョンブレイク」が起こった場所だとは思えないぐらいだ。
どうやら、ダンジョン周辺で観測される魔素の量も減ってきているそうだ。
俺にそれを教えてくれたのは、メディカルスタッフの如月綺花先生だった。
「――魔素による汚染の害を減らすことができたのは間違いない。攻略チームの大きな成果の1つだよ」
それはきっと、ダンジョンによって土地が荒れてしまったバルディア国にとって大きな朗報となっただろう。
すべてが順調に進んでいる。そんな感じだった。
地下30階層でボス部屋を見つけたことで、俺たち攻略チームのミッションは最終段階を迎えた。
――そして、守護者との決戦の前日。
この日は丸1日、休養日となった。
「ミンナ、しっかり英気を養ってね」
「応!」「ええ」「了解」「……」
リタのねぎらいにそれぞれ返事をしてから、思い思いの時間を過ごすことになった。
――決戦の準備は万全だ。
……でも、なぜか俺の胸の内には、これまでの出来事がすべて嵐の前の静けさのような――そんな一抹の不安が生じていた。
†††
――決戦前夜。アル・ガイブ基地内にて。
入浴や歯みがきを終えた俺は、宿舎内で割り当てられた個室に戻って来ていた。……後はもう寝るだけだな。
俺は部屋の明かりを消し、カーテンを全開にして夜空を見上げた。
雲ひとつない澄んだ夜空に、1つの月と無数の星々が輝いていた。
……本当に明日、すべてが終わるんだろうか。
まだ俺たちがバルディアに入国してから、20日ほどしか経っていない。
『――1か月以内に、X級ダンジョンの攻略を目指します』
入国翌日のダンジョン攻略会議で、ダンジョン庁の恵良長官が発した言葉。――それが、現実のものとなりつつあった。
……あの人は、こうなることが予想できていたんだろうか……?
とりとめのない思考を打ち切り、そろそろ寝ようかとベッドに向かおうとしたそのとき、
――コンコン
個室の入り口のドアを、誰かがノックした。
「はい」
……誰だろう? さららあたりかな?
返事をしてすぐに入り口に向かい、ドアを開ける。
――トクンと、心臓の鼓動が跳ねた。
「叶純?」
そこに立っていたのは、なんと同じ日本人のチームメイト、叶純だった。
「鋼侍……」
叶純ももう入浴は済んだようで、髪がややしっとりとしていた。
化粧を落とし、薄手の室内着をまとった彼女は、いつもより無防備に映った。
――そんな彼女を、不意に抱きしめたくなった衝動と俺は内心で戦わなければならなかった。
「……ど、どうかしたのか?」
平静を装ってたずねると、叶純はちらっと俺の部屋の中をのぞく。
――マズいか……? いや、見られてヤバい物は出してないはず……
「――中に入ってもいい?」
「えっ? あ、ああ……」
――年頃の男女が個室で2人きりって、それはどうなんだろう……?
一瞬、そんな考えが頭をよぎったが、以前もマンションで同じようなことがあったし――……とりあえず気にしないことにした。
バタン、と音を立ててドアが閉まる。
「ええっと……」
宿舎の個室は、学生寮みたいなせまい間取りだ。
俺がどこに叶純を座らせたものかと迷っていると、叶純はぽすっと俺のベッドの上に腰を下ろした。
「鋼侍、こっちに来て」
ポンポンと、叶純は自分の隣の場所を手でたたいて示す。
「あ、あぁ……」
――え……いいんですか?
内心でそう思いつつ、俺は示された通り、ベッド上の叶純の隣に腰を下ろした。くっつくかくっつかないかぐらいの至近距離だ。
……せ、せっけんのいい匂いが……!
ドキドキと自分の心臓が高鳴っているのがわかる。持ってくれよ、俺の理性……
いつぞやのマンションのときと近い状況だが、より小さな個室の中で、夜、湯上がりというコンボがヤバい。
完全に俺の脳を破壊しに来ている。
……あっ! そういえば、部屋の明かりも消したままじゃないか……!
あれは、何日前のことだっただろうか――
――――知ってるかい? 動物は命の危機を前にすると、生存本能が強く刺激されるという――――
……たまたま綺花先生がそんなことを言っていたのを、このとき、なぜかはっきりと思い出した。
――か、叶純っ! ま、まさかっ、ひょっとしてっ……!?
そんな俺の心境に気づくような気配を見せず、叶純がぽつりぽつりと語りだす。
「いよいよ、明日ね……」
「ああ……」
このとき、俺の心はジェットコースターに乗って走り出していたのだが、表面上は何事もないように装って応えた。
「X級ダンジョンの守護者、きっとすごい強敵よね。ひょっとしたら、あのベヒーモス以上かも」
「かもな……」
11階層以降は、中ボスのようなモンスターは出現しなかった。
だが、30階層にあったのは明確なボス部屋だ。
ベヒーモスより弱い、なんて期待するのは楽観的すぎるだろう。
「――鋼侍はともかく、私は生きて帰れないかもって思ってる……」
一瞬、思考がフリーズした。
「……やめろよ。そんなこと言うの」
冗談でもやめてほしい。
……たとえダンジョンを攻略できても、叶純が死んじゃったら意味ないじゃん。
そんなことになるぐらいなら――
「叶純のことは、俺が――」
「言わないで!」
守る――そう言いかけたとき、叶純は大声でそれを拒絶した。
…………なんで?
俺は隣を見たが、少し低い位置にある叶純の顔はうつむき、表情を読み取ることはできなかった。
「ゴメン……その先の言葉は、言わないで……。――私、甘えてダメになっちゃうから……」
「――――……そっか……」
ああ、そういうことか。
守られるような気持ちでいたら、戦う心が鈍ってしまう。
――きっと、そういう意味なんだろう。
叶純は強い人間だと思うけど、明日の決戦はそんな叶純でもナーバスになるレベルの戦いなんだ。……なにせ、前人未踏だもんな。
言いかけた言葉を拒否された俺は、その代わりに掛けるべき別の言葉を探す。
「わかった……特別に『守る』なんてことは言わないよ」
代わりに、こう言おう。
「――その代わり、みんなが無事に帰れるように全力を尽くすよ。……これならいいだろ?」
叶純の頭が縦に揺れた。
「うん。ありがとう」
そのまま、しばらく無言の時間が流れた。
その間、俺は左手を叶純の腰に回そうか回すまいかと、ずっとさ迷わせ続けていた。
……回したい……。いやでも、不謹慎かなぁ……。うーん……
「……鋼侍」
「! な、なに?」
呼びかけられて反射的に答え、少し声が上ずったかもしれない。
「……少しの間だけ、抱きしめてもらってもいい?」
「! お、おう……」
思わぬ肉体的接触の機会を得て、俺の心臓はまたドキドキと高鳴り始めた。
ハグか……
ちょっとだけ誰かに寄りかかっておきたい、的な……?
……まあ、きっとそれ以上の意味はないんだろうな。
以前、叶純がサプライズでマンションに突撃してきたとき、俺がX級探索者になったお祝いにハグされたことは鮮明に覚えている。
きっと、叶純にとってハグは日常のことなんだろう。
……うん、いいね。俺も叶純となら大歓迎さ。
ベッド脇に立ち上がった叶純に続き、俺も彼女の正面に立つ。
彼女が広げた両腕の下の位置で、ゆっくりと背中に腕を回した。
叶純が俺の肩に顔をうずめる。それと同時に――
――――むにゅ。
柔らかい感触が、俺の胸にダイレクトに――――
ああああ゛あ゛ッ! ヤバいヤバいヤバいぃっッ!!
叶純、まさかブラジャー着けてない!? スポブラさえも!?
……ど、どうやってその大きさで形を維持してるんだっ? ――っていうか、俺の理性がヤバいッ!!
――その直接攻撃は俺の理性に対して、以前のマンションのときの20倍の破壊力があった。
「…………」
「――――」
叶純からふわりとただよう湯上がりの香りを吸い込みながら、俺はなけなしの理性を総動員していた。
……ぐおぉぉぉっ! 鎮まれ、俺の分身っっ!!
――暴走しなかったのは奇跡だと言っていいだろう。
いったい、そのままどれだけの時間が過ぎたのだろうか……?
1時間のようでもあり、一瞬の出来事のようでもあった。
やがて、叶純が俺の背に回した手をほどき、密着していた体の前面がゆっくりと離れていく。
「……ありがとう、鋼侍」
「――もう、いいのか?」
俺はもう無理だが。
「うん。もう大丈夫」
薄闇の中、叶純は柔らかくほほ笑んだ。
確かに、心なしか来たときよりも元気そうだ。
「――じゃあ、また。明日もよろしくね」
「こっちこそ」
2人で「おやすみ」と言い合って、叶純を部屋の入り口で見送った。
叶純がいなくなった後も、室内にはしばらくその余韻が残っているように感じた。
……うん。
やっぱり俺は、何があっても叶純のことを守ろうと思う。
――――決して、おっぱいのためじゃないからな!




