#61 魔の階層【叶純視点】
――12月7日、水曜。
X級ダンジョンの攻略作戦が始まってから、早5日が過ぎていた。
私――天王寺叶純は、ダンジョン攻略チームの一員として、ダンジョンの地下9階層にいた。
「あー……やっぱ厳しいな。『EX-Pile』があと少ししかない」
ようやく次の階層への下り階段が見えてきた頃、鋼侍がボヤいた。
その発言は、今回の探索行の終わりを意味していた。
「そう――……なら、今日の探索はこの階層までね」
リタは少し残念そうだったが、さすがに探索の続行を唱えることはなかった。
ダンジョン・オペレーターのサポートを前提とした日本式の探索スタイルが定着した今、危険を冒して通信の届かない闇の中に進みたいと思うメンバーはいないようだ。
――次はいよいよ、〝鬼門〟と言われるあの10階層だ。
……きっとリタは、2年前に失敗した10階層の攻略に、並々ならぬ思いを懸けていると思う。
私たち日本の派遣団が持ち込んだEX-Pileの最初の100本は、わずかな予備を残して作戦2日目のダンジョン探索で使い切った。
追加の100本が基地に届いたのが、攻略3日目。それを今日、9階層の攻略で使い切ったというわけだ。
だいたい、1階層で20本のEX-Pileを設置している計算になる。
ダンジョンの1階層あたりの広さはまちまちだが、このバルディアX級ダンジョンでは平均して約1.5km四方だそうだ。1階層下るためには、約1kmの距離を進む必要がある。
EX-Pileの通信距離は、X級ダンジョンの高魔素環境で100メートルという仕様だ。とはいえ、それを一直線に並べて配置するのは悪手になる。
なぜなら、途中でどれか1本にでも故障や不具合があれば、基地から現場までの通信経路がなくなってしまうからだ。
もしボスモンスターと戦っているときに、いきなり基地との通信が途切れてしまったら……と思うとゾッとする。
そのような理由で、通信経路の冗長性や耐障害性を考慮して、EX-Pileをやや多めに配置している、というわけだ。
『追加のEX-Pileは、明日届く予定だよ』
その情報をくれたのは、ダンジョン管理局の技術者であり、鋼侍のオペレーター役をしている木曽さんだ。
――2時間後。
私たちはハンヴィーに乗って、またアル・ガイブ基地に戻っていた。
格納庫の中で、軍用車両から全員が降りた後のこと。
リーダーのリタが宣言する。
「明日は休憩に当てましょう。みんな、しっかり休んで」
反対する者はいなかった。
リタの言葉は続く。
「そして明後日は――リベンジマッチよ」
彼女の榛色の瞳がぎらりと輝き、闘志を覗かせた。
「…………」
リタの言葉の後、ベンのフルプレートアーマーがわずかに音を立てた。
2人は、2年前に起こった悲劇の生き残りでもあるのだ。
S級以上の探索者12名が壊滅した過去の作戦について、ひと通りの話は聞いていた。
――あのリタでも、命からがら逃げざるを得なかったなんて……
その話を思い出し、私は背筋が凍るような恐怖を感じた。
†††
――1日の休息をはさんで、攻略開始から8日目。
私たち攻略チームの5人は再びダンジョンへと潜り、9階層から10階層へと続く階段の手前に立っていた。
「――この先が、〝魔の階層〟……」
ふとつぶやいた声は、ひょっとしたら震えていただろうか……?
……いったい、いつぶりだろう。
ダンジョンの下り階段が〝怖い〟と感じるのは。
足がすくむような感じがした、そのとき――
「――怖いなら帰った方がいいわ。正直、守りきれる自信はないもの」
リタがぴしゃりと言い放った。
――厳しい言葉だが、それはきっと事実なのだろう。
私はひとつ深呼吸をして、気を引き締め直す。
「いいえ。――大丈夫」
――リタには、負けたくない。
正直に白状すると、そんな思いもあった。
探索者としての力量で、リタに敵わないことはわかってる。
――X級モンスターが現れたとき、私は鋼侍とリタに前を譲らなければならない、ということも……
リタは、明らかに鋼侍を意識している。
さすがに作戦行動中ではないが、彼女と日本で再会してから今日までの約2週間で、何度か「これは鋼侍へのアプローチだ」と気づいたことがあった。
…………ひょっとしたらこれが、よく言われる「女の勘」ってやつなのかな?
その度に私は、胸が締めつけられるような思いを感じた。
私よりリタの方が、鋼侍にはふさわしいのかもしれない。
少なくとも、どちらが実力的に釣り合っているか、と問われればリタになるだろう。
――それでも、私は鋼侍の一番近くにいたい。
ある意味で、そんなリタが目の前に現れたことで、私はやっとそれに気づくことができた。
……ああ、そうなんだ。
――私は、鋼侍に恋をしている。
パシンッ
私は両手で頬を張った。
鋼侍が驚いた顔でこちらを振り向いたけど、笑顔でごまかした。
この先は私にとって、死地。
浮ついた気持ちを持ち込むわけには行かない。
――でも、この想いはきっと力にできる。
絶対に、鋼侍と生きて帰る。
私たちの覚悟を十分に見極めたのか、リタが階段に足を向けながら、言う。
「――行くわよ」
「ええ」「了解」
彼女のその号令にそれぞれが返事をして、10階層への階段を下った。
†
「……広いな」
さっそくEX-Pileと固定カメラを壁際に設置しつつ、鋼侍が言った。
――さすが、元・配信施工員。動きが体に染みついてるね。
話に聞いていた通りだ。
このフロアには、小部屋や回廊といったものが一切ない。
フロア全体が1つの巨大な部屋になっているんだ。
……テナントが入る前の、ビルの1フロアみたいなものかな。
その広さはおそらく1.5km四方。
――ふつうのダンジョンにおける守護者の部屋よりも、もっとずっと広い。
――――グルルルル…………
薄闇の向こうから、地鳴りのような低いうなり声が聞こえた。
「――今のが……?」
ナジャの問う声も、心なしかいつもよりぎこちない。
「ええ。……やっぱり、いるわね」
と、答えたのはリタだ。
彼女は不敵な笑みを見せているが、額に汗が浮かんでいる。
まだ距離はかなりあるようだ。
でも、あのモンスター相手に油断は禁物だ。
一瞬の油断が命取りになりかねない――と言われている。
リタが冷静に指示を出す。
「打合せ通り行くわ。コージはEX-Pileの設置を優先。――それが済むまで全員、回避と防御を優先して」
「「「「了解!」」」」
通信インフラの構築――それが今回の第一目標だ。
それが上手く行けば、戦闘をより有利に進めることもできるだろう。
おそらく、今後もこれが私たちのセオリーになる。
決して無理はするな――そう言われていた。
一方で、
『――できれば、私は勝ちに行きたい』
私たちのリーダーであるリタは、そう言った。
勝利を目指すのは当然のことだと思う。
ここを抜けなければ、ダンジョンの攻略もない。
――やれるだけのことは、やってみよう。
さっき、5人全員でその意思を確かめた。
もしものときの撤退と、一斉攻撃の判断はリタとナジャに委ねることにした。
――――グオオォォォォッ!!
モンスターの大音声が響いた。
「突進が来るわ! よけて!」
リタの指示が飛ぶ。私たちは左右に分かれて走った。
地鳴りと風圧が押し寄せ、モンスターの巨体がダンジョンの薄明かりの下に現れる。
――ベヒーモス。
旧約聖書に登場する〝巨大な獣〟を意味する名前がそれに与えられていた。
『……アレがベヒーモス……』
撮影ドローン越しにその姿を見たオペレーターの誰かが、息を呑んでいた。
その呼び名にふさわしいだけの威容がそこにあった。
――それはもはや、山だった。
ベヒーモスは、体長20メートルを超える巨体を有する、獣系のモンスターだ。
頭部に生えた2対の双角は水牛を思わせるが、より攻撃的で凶々しく銀色に輝いている。
全身を覆う赤褐色の厚い毛皮は、生半可な攻撃を通さないそうだ。
ベージュのたてがみに続く、比較的短い尾でさえも5メートルの長さがある。それを軽く振るわれただけでも、私なら大ダメージを負いかねない。
爪や牙に至っては、その危険性は言うまでもない。
巨大質量をともなう、圧倒的なフィジカルの暴威をふるうモンスター。
それがベヒーモスだ。
X級モンスターの中でも、間違いなく上澄みだろう。以前に鋼侍や世音さんと共に戦った「アシュラ」がかすんで見えるほどだ。
ダンジョンの守護者でないのが不思議なほどの、理不尽な強さを持つモンスター――そう言われてきた。
私はそこで、状況が想定と異なることに気づいた。
――――突進を仕掛けてきたはずのベヒーモスが、なぜ我々のはるか手前で止まっている?
赤茶色の巨獣はそこで首をもたげ、向き先を変える。
――マズい!!
「ナジャ! ベン! ねらわれてるっ!!」
私は、英語に直すことも忘れて大声で叫んだ。
〈ヴオオォォッッ!!〉
双角の向き先を変えたベヒーモスが咆哮を上げ、2人を蹂躙せんばかりに突進する――――
死闘が始まった。




