幕間 管理者の介入
3次元の物理世界を超越した先に『神域』と称すべき世界がある。――文字通り、神の領域だ。
そこは精神のみの世界である。死者の霊を管理する『霊界』とは異なる限定的な領域だ。「神」とそれに連なる存在しか、『神域』に立ち入ることは許されない。
『神域』の現在の主の名は、「レグラ」という。
この世界の秩序を司る管理者であり、〝神〟と呼んでしかるべき存在だ。
ただし、レグラにとって世界とは、ただの箱庭であった。
レグラよりもさらに偉大な主から与えられた実験場。それ以上でもそれ以下でもない。
レグラにとって光栄なことに、主から代行者として世界の管理権限を委ねられたのだ。
『そなたに、この世界の運営を任せようかの』
『任務了解』
人の言葉で表現するならば、主とレグラの間でこのような意思の疎通があった。
――その世界で生きとし生けるものたちに対して、レグラは何の愛着も感慨も持たなかった。
レグラは完璧を好む。
自身の掌握する範囲内にある生き物たちが予定通りの行動を取り、その結果、物事が計画通りスムーズに進行することに喜びを感じる性質だ。
――――仮に、世界の全てがレグラの観測範囲に収まっていれば、それもあり得たことかもしれない。
しかし、世界はレグラの管理する1つのみではない。
予期し得ないことは、起こるべくして起こった。
†
「――この魂たちは、何者なのカ……」
あるとき、レグラは世界の異常に気づいた。
どこか別世界から侵入した2つの〝異分子〟が、主から預かった箱庭世界の中に紛れ込んでいた。
その事実に気づいたレグラの精神に、言い知れぬ不快な感覚が湧き上がった。
それを人の感情で例えれば、思わず胸の内側をかきむしりたくなるような衝動的な苛立ちだった。
「ヒトの精神に憑依していル……。とはいえ、大した力は持っていないようダ」
それらは魂だけでやって来て、レグラが管理する世界のヒトに取り憑いているようだった。
レグラから見て、それら異分子は取るに足りない存在だった。世界に異変をもたらす〝特異点〟のような存在ではない。
レグラは、少しだけ様子を見ることにした。
しばしの時間が流れたあるとき、レグラはその2つの異分子をまとめて始末する機会を得た。
「――ヒトが言うところの〝転ばぬ先の杖〟というものダ」
ここで、レグラは世界に介入することを即決した。
ほんの少し運命をねじ曲げ、ヒトが「飛行機」と呼ぶ鉄の塊を墜落させる。
たったそれだけの作業で、飛行機に搭乗した2つの異分子をまとめて排除できる。
やらない理由がなかった。
「被害予測……ヒト230名他――。【正典】の維持に支障ナシ。許容範囲と判断」
レグラにとって、主から授かった【正典】の遵守こそが最優先事項だった。
――その介入に巻き込まれる200以上の人命は、レグラにとって何の価値もなかった。
介入作業はつつがなく終わった。
レグラは世界から異分子が消滅したことを確認し、満足した。
それから、ヒトの基準で4年ほどの期間が過ぎた。
「……異常アリ」
――レグラが少し目を離した隙に、レグラが忌み嫌う〝異常〟が再び発生していた。
レグラは、それを現世に忍ばせた使い魔からの報告で知った。
〝グレムリン〟――人間が作った電子的なネットワークに潜み、情報を収集する超常の生命。
実体のない「精霊」とでも呼ぶべき生き物たちだ。
レグラはそれを多数、この箱庭世界の中にばら撒いていた。
あるグレムリンからの報告によって、レグラは異常の進行を認識した。
「――このままでは、【正典】の遂行が困難……」
その認識は、遅すぎたかもしれない。
レグラの思考が常よりも激しく活性化する。ヒトで言うところの「焦り」に似た感情が、このときのレグラの精神の大部分を占めていた。
「グレムリンたちよ、状況を報告セヨ……!」
レグラは世界中のグレムリンによって観測された情報を総合して、異常の原因を解明する。
「〝ハセコー〟……!! ただの人間が、【正典】を打ち破るほどの力を発揮シタ……?」
レグラにとって、それは全く予想外の出来事だった。
「理解不能。対象〝ハセコー〟は異分子ではなかっタ」
レグラは管理システムに記録されたハセコー――破瀬鋼侍に関するさまざまな情報をきめ細かく確認し、一瞬の内に掌握する。
そして、1つの理解を得る。
「把握。〝ハセコー〟は、4年前に排除した異分子2名と血縁関係にアル」
レグラが言う異分子2名とは、鋼侍の両親である破瀬守と破瀬祭離のことだった。
――そう。
レグラは鋼侍の両親を殺害するために、4年前にクラリオン・ヨーロピアン社の航空機を墜落させたのだ。
ただし鋼侍自身は、4年前の時点では異分子でも何でもなかった。
もしそうであれば、レグラはその時点で気づいていた。
「…………計算終了。〝ハセコー〟の変化に起因する情報ナシ」
もし、レグラに人の親子関係や情愛について学ぶ機会があれば、鋼侍が力を得た理由を推測できたかもしれない。……が、冷徹な世界の管理者であるレグラにとって、それらは不要な情報だった。
レグラは再び計算を行う。【正典】の軌道修正のため、何を為すべきか。
「〝ハセコー〟は放置できナイ。【正典】を破壊する〝危険因子〟と認定。ただし、〝特異点〟への格上げは保留」
――そして、レグラは結論を下す。
「〝ハセコー〟を排除すル。本作戦が世界に及ぼす影響については、一定のレベルまで許容すル」




