#25 接触事故(前編)【一部叶純視点】
――東京丸の内にそびえる巨大なオフィスビル。
その最上階の社長室に、雄々しい体格をした壮年の男がいた。オーダーメイドのスーツを着こなす男は、この部屋のみならず、このビルを所有する企業の長である。
男は高級な革張りのチェアに腰掛け、デスクワークをしていた。作業の手を止めると、低く落ち着いた声で秘書に問う。
「……今日中に私の決裁が必要な案件はもうないな?」
「はい」
返事を受けて、男はPCをシャットダウンする。
「では、これから四谷に向かう。車を表に回してくれ」
「承知しました」
男は言葉と同時に席を立ち、社長室の扉に向かってまっすぐに歩きだす。
指示を受けた秘書とは別の若い秘書が、荷物を持ってあわてて男の後に続いた。
「――しゃ、社長! 今回のギルド視察の目的は何でしょうか?」
2名は、エレベーターまでの広い廊下を足早に歩きながら、言葉を交わす。
若手秘書の率直な質問に対し、社長と呼ばれた男はこう答えた。
「目的、か。そうだな……。新人の見極め――といったところか」
秘書はぞくりとした。
彼にとって畏敬の対象である社長が、獅子のごとき獰猛な笑みを浮かべていたからだ。
秘書は、社長に見極められるという探索者ギルドの新人に心から同情した。
――社長と呼ばれていた男は、名を天王寺和馬という。
巨大企業集団である天王寺グループのグループCEOにして、グループの舵取りを行う天王寺ホールディングスの代表取締役だ。
†
「――和馬義兄さん、いらっしゃい」
四谷にある探索者ギルド『スター・ウィッシュ』の本拠地にて、ギルドの団長である神楽屋寧々が和馬を出迎えた。
『スター・ウィッシュ』は、天王寺グループに属する営利企業の1つでもある。その経営者の名を冠するのは、他ならぬ和馬だ。
そして、寧々にとって和馬は義理の兄でもある。
急な来訪ではあったが、出迎えないという選択肢はなかった。
「ご苦労。……例の新人は来ているか?」
「ええ。今は叶純と訓練をしています」
「なに……?」
愛娘である叶純の名が出てきたことで、和馬の眉がピクリと動いた。
「訓練室だな? では行こう」
そう言うや否や、和馬は迷わず邸宅の奥へと足を進める。
「えっ……――は、はいっ!」
寧々は慌ててその背を追った。
†††
この日、私――天王寺叶純は四谷にあるギルドの本拠地で、新人探索者である鋼侍と組手をしていた。
「……本当に、地上ではSPを全く使えないんだね」
トレーニングウェアを着た私は、立ったまま言った。
「だ、だから、そう言ったじゃん……」
ジャージ姿の鋼侍が、畳の上で大の字になったまま答えた。
彼は汗びっしょりで荒い呼吸を繰り返していた。明らかに私より疲れている。
「うーん……。F級やE級の探索者ならともかく、上級に行けば行くほどダンジョン外でもSPを使えるようになるはずなんだけどなぁ……」
SP――スピリット・ポイントは「魂のエネルギー」というのが名前の由来だ。
SPは、私たち探索者がダンジョンでモンスターと戦うための最大の武器であり、防具でもある。
探索者の素質を持つ者が初めてダンジョンに行くことで――あるいは、魔素を体に浴びることで、SPという〝第6の感覚〟に目覚める。
「俺は、もともとE級なんだって」
「でも、今はA級だろう?」
「ぐっ……」
地上で全くSPを使えない上級探索者なんて、聞いたことがない。
ダンジョンでは無類の強さを発揮する鋼侍だが――ひょっとして、これも彼の特性の1つなんだろうか。
――ふふっ
気づくと、私は頬の肉が持ち上がるのを抑えられずにいた。
明らかに自分より格上だと思った相手が、私にいいように転がされているのが面白かったんだ。
稽古という意味では期待外れでもあったのだけど……――鋼侍には、今度ダンジョンでも模擬戦を挑んでみたいと思う。
「――もう1本やろうか。どうやら、基本的な体の使い方がなってないようだし」
「うへえ」
私がそう言うと、鋼侍はあからさまに嫌そうな顔をした。……が、すぐに畳に片ひざをついて立ち上がる。やる気はあるらしい。
「次も鋼侍から仕掛けてくれていい。私にはSPがあるから、何をやっても大丈夫だ」
「……よし、言ったな!」
あおり文句だとでも思ったのか、鋼侍はいきり立ってつかみ掛かって来る。
「うおっ」「あっ」
鋼侍の攻撃を紙一重でかわす際、思わず彼のジャージの裾を踏んでしまった。
バランスを失って鋼侍が倒れる。……いけない。頭を打っちゃう――
私はとっさに、自分の体を鋼侍と畳の間にすべり込ませた。
――バタンッ
畳に背をついて見上げると、間近に迫る鋼侍の顔と目が合った。
ふだんは細い彼の瞳が、驚きで見開いていた。
「――鋼侍? ケガは……」
「はわっ! あわわわっ」
鋼侍は言葉にならない声を叫び、激しくうろたえていた。
鋼侍の顔は、茹でダコのように真っ赤に染まっていた。
そんな彼の顔を見て、私も今さら現状を再認識し、顔に血が集まるのを感じた。
――これじゃ、まるで押し倒されてるみたい――
ふと、人の気配がした。
私は仰向けのまま顔を右に傾けて、訓練室の入り口の方を見る。
――あっ……。ヤバい、かも……
そこには顎が外れそうなほど大口を開けた父と、ぷるぷると肩を震わせて笑いをこらえている叔母の姿があった。




