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「……ここが新たな試練の地か!」
佐藤健二は青と白の看板が輝く「蒼き野営地」の自動ドアの前に立っていた。老魔術師山岸による「エリクサー」の
断絶により、今の彼の瞳には自動ドアの開閉音さえも「次元の門が開く鳴動」に聞こえている。
その背には「雷神の杖(ビニール傘)」、懐には己の魂の記録を記した「真実の書(履歴書)」を抱き、彼は店内の奥、
店長という名の「ギルド長」が待つ控室へと足を踏み入れた。
店長の鈴木は人手不足による連日の昼夜勤務で死んだような目をしていた。健二の薄汚れたパーカーと異様な眼光を見て一瞬身構えたが、
ようやく来た応募者なので覚悟を決めるしかなかった。
「ええと……佐藤健二さん、ですね。お座りください」
「ほう、貴殿がこの地を司る長か。……まぁ、よかろう」
健二はパイプ椅子を自らの「玉座」のごとく仰々しく引いて腰を下ろした。そして震える手でクリアファイルから「真実の書」を取り出し、
机の上を滑らせる。
「俺の歩んできた覇道、その一部をここに記してある。確認するといい」
店長の鈴木は健二の無駄に尊大な態度に困惑しながら履歴書に目を落とす。
「……ええと。これは職務経歴、ですか……?」
そこには驚愕の事実が並んでいた。
【職務経歴】
2025年12月:北方の凍土にてSランク『氷結の魔獣』の討伐に成功。
2026年 1月:聖都都庁における『虚無の王』との局地戦に参加。
2026年 2月:冥府の番犬ケルベロスとの契約および使役。
その経歴書を見て鈴木は思わず眩暈がしたが、それでも何とか気を取り直して健二の顔を見る。
「……あの、佐藤さん。これ何かの冗談……ですよね? 前のIT企業の退職からの3年間が急にファンタジーみたいになってますが?」
「俺の経歴がファンタジーだと……?」
健二の動きが止まった。彼の認識ではその履歴書には金色の文字で己の功績が刻まれているはずだった。しかし店長の「間の抜けた発言」を聞いた瞬間、
己の栄光を侮辱されたと感じて健二は怒りを覚えた。
「正気か貴様! 空想と現実を混同するとは何事だ?!」
健二は慌てて履歴書をひったくり食い入るように見つめた。そこにあるのは確かに丁寧な字で書かれた「勇者」としての活動記録だったが、
同時に健二はあることに気付く。
(……なるほどな。この世界の『アーカーシャの記録』には俺の英雄的行為は意図的に記載されていないということか……!)
健二は愕然とした。自分がどれほど世界を救おうと戦っても、この「虚無の王」に支配された世界ではそれは何の価値も持たない。勇者としての
レベルはカンストしていても、コンビニのレジを打つために必要とされる「職務経歴」はレベル1なのだ。
「佐藤さん? 大丈夫ですか?」
健二はガタガタと震えながら立ち上がった。その瞳には絶望ではなく、ある種の「凄絶な覚悟」が宿っていた。
「……済まぬ、ギルド長。俺は……己を過信していたようだ」
「過信……ですか?」
「俺のソウルランクはこの地で要求される『労働』に挑むには足りないようだ。……履歴書に刻むべき『真実の重み』が足りない。このままでは、
レジキャッシャーという名の魔導計算機を扱うことなど到底叶わぬ……!」
「……はぁ、なるほど」
健二は深々と頭を下げた。そして高らかに宣言する。
「必ずや精進して戻ってくる! 己のソウルランクを貴殿が認めざるを得ないほどの『実務経験』という名の経験値でカンストさせてみせる! それまで……
それまでこの地を虚無の王の魔手から守り抜いてはくれぬか!?」
「いや、今すぐ人手が欲しいのにそんな何年も掛かりそうな壮大なことを言われてもですね……」
そんな鈴木の言葉も聞かず健二は「雷神の杖」をひったくるように乱暴に掴むと、脱兎のごとく店を飛び出した。
「エリクサー」の断絶によって加速した彼の脳はこの敗北を「さらなる修行の必要性」と定義した。公園のベンチで健二は一人うなだれながらも、
拳を固く握りしめて誓う。
「……まずは『ハローワーク』という名の試練の迷宮へ向かうか。あそこの門番(相談員)たちを屈服させ、しっかりと俺の本来の経歴を記載させねばならん!」
彼の背中を夕暮れの冷たい風が吹き抜ける。かつてIT企業で精神を病んだとき、彼は自らの世界をファンタジーに変えた。そして今、彼はそのファンタジーを
受け入れ、再び「就職活動」という名の人生で最も過酷な試練に挑もうとしていた。
狂気と現実がねじれた螺旋のように絡み合いながら、佐藤健二の社会人としての「第二章」が幕を開けようとしていた。




