6
「……ここか。古の契約が今なお息づく、最後の聖域は」
佐藤健二は軒先に色褪せたラムネの幟がはためく「駄菓子屋・河合商店」の暖簾をくぐった。彼の視界では、そこは
「最果てのバザール」であり、狭い店内にひしめく小学生たちは「未熟なマナを操る見習い魔導士」たちだ。
健二は見習い魔導士たちを気にすることもなく腰をかがめ、棚に並ぶ色とりどりの秘薬や魔導具(10円チョコや紐付き飴)を物色した。
「ふん……。この界隈の霊的均衡はこの『黄金の円筒(うまい棒)』によって保たれている。1本10円。その黄金律こそが、
この腐り果てた現世に残された唯一の絶対真理……」
彼は愛用の「めんたい味」の筒を1本、恭しく手に取った。だがその時。棚の隅に貼られた手書きの小さな告知札が彼の網膜を射抜いた。
『うまい棒 15円(税込)』
「…………なっ!?」
健二の全身を未曾有の衝撃が駆け抜けた。彼は持っていた「黄金の円筒」を落としそうになり、わななきながら札を二度見、三度見した。
「……15円? 15円……だと? 馬鹿な、ありえん! 世界のパラメーターが書き換えられているというのか!?」
彼の脳内では10円から15円への価格改定は単なるインフレではない。「宇宙の物理法則の崩壊」に等しい大厄災だった。
「10円という聖なる数値を捨て、5割ものマナを上乗せして要求するだと……。これはもはや経済活動ではない。この世界を支える
『大いなる資本主義の魔術回路』が、根底から腐朽し始めている証拠だ!」
健二は頭を抱え、店の中央で激しく呻いた。
「見ろ! 均衡が崩れている! 聖なる10円玉1枚で得られたはずの多幸感が、今や端銭を要求する強欲な怪物へと変貌した! これは前兆だ……虚無の王が、
ついにこの末端のバザールにまでその汚れた触手を伸ばしてきたのだ!」
「……ねえ、あのおじさん何言ってるの?」
近くでポテトフライを選んでいた見習い魔導士(小学三年生)が不安げに店主の老婆を見上げる。対して店主の老婆は新聞を読みながら欠伸を漏らした。
「……ああ、気にしなさんな。最近の物価高に耐えられないただの時代の犠牲者だよ」
「犠牲者だと!?」
健二は老婆――「古の知恵を独占する老魔女」を鋭く睨みつけた。
「老魔女よ、貴様は分かっていないのか! 黄金律が破られた今、この世界を縛る『貨幣という名の契約』は無効化されたも同然だ! 今日は15円だが、
明日は20円……、そうして価値が無限に膨張し、最後には紙切れ一枚でパン一つ買えなくなる『大いなる冬』が
来る! 資本主義は今この瞬間、その終焉を迎えたのだ!」
健二は震える手でポケットから5円玉と10円玉を取り出し、カウンターに叩きつけた。
「……取っておけ。この15円は俺が旧世界への弔いとして捧げる供物だ」
「はいはい、15円ね。ありがとね」
老婆は慣れた手つきで健二の「決死の供物」をレジへ放り込んだ。健二は1本のうまい棒を握りしめ店を飛び出す。外の光が眩しい。だが、彼の瞳に映る
東京の街並みはすでに崩壊を始めた砂の城のように不確かに揺らめいていた。
「……終わりの始まりだ。人々はまだ気づいていない。うまい棒10円の壁が崩れた時、この文明の防壁はすでに消滅していたということに……」
彼は1本のうまい棒をまるで「折れた聖剣」を抱くかのような悲痛な面持ちで抱え、足早に雑踏へと消えていった。
「エリクサー」を断った健二の感受性は今や、5円の差額に世界の終焉を見るまでに研ぎ澄まされていた。彼にとって今日食べるうまい棒は、
滅びゆく資本主義の最後の味がした。




