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「くっ……腹が減っては魔力の制御もままならんというわけか?」
佐藤健二は自室という名の「暁の拠点」で腹の虫を鳴らした。エリクサーを減らされた彼の感覚は今や針の先のように鋭敏だ。部屋の隅で
唸りを上げる空気清浄機の音は「古龍のいびき」に聞こえ、黄ばんできた蛍光灯のチラつきは「崩壊しつつある世界の予兆」に思えた。
彼は備蓄庫(キッチンの床)から一つの円筒形の物体を取り出した。世俗の人間はそれを『カップ麺』と呼ぶが、彼の目には
「圧縮された高濃度魔力食糧」に映っている。
「……ふん、今日の糧はこれにしよう」
彼は湯を沸かしその「黒いパッケージ」を机に置いた。だがその時だった。健二の鋭い観察眼が蓋に刻印された『呪言』を捉えた。
『特製スープは蓋の上で温めてください』
健二の眉間がピクリと跳ねた。
「……傲慢な。勇者であるこの俺に指図するつもりか?」
彼は蓋の上に置かれた小さなスープの袋を睨みつけた。
「これは呪いの儀式か? それとも俺の『忍耐力』を試しているのか? 下等な紙の器の分際でこの勇者ケインに命令するなど一万年早い!」
彼は鼻息荒くスープの袋を机に叩きつけた。
「蓋の上で温めるか否かは、俺の魂の温度が決めることだ。貴様に決められる筋合いはない!」
だが、怒りはそこで収まらなかった。健二の視線はパッケージの側面に大きく書かれた「宣伝文句」に吸い寄せられた。そこには、
太々しい筆文字でこう書かれていた。
「これ絶対うまいやつ!」
その瞬間、健二の脳内で何かが弾けた。
「……なんだと貴様ッ!?」
彼は震える手でカップを掴み、目の高さまで持ち上げた。
「『これ絶対うまいやつ』……? 貴様、今、何と言った?!」
部屋の空気が凍りつく。健二の瞳に狂気の炎が宿る。
「……ふざけるな! 何が『絶対』だ。何が『うまい』だ! 誰がその価値を決めた!? ギルドの商人どもか? それともこの世界を支配する『虚無の王』か!?」
彼は立ち上がり、カップ麺に向かって吼えた。
「俺の味覚、俺の感情、俺の人生! そのすべての主権はこの俺にある! 貴様のような工場で量産された魂なき器が、勝手に俺の価値観を決めつけるな!」
彼は机を激しく叩いた。
「うまいかどうかそれを決めるのは、この世界でただ一人……俺だ!!」
健二は怒りに任せて沸騰した湯をカップに注ぎ込んだ。
「思い知らせてやる。貴様の『絶対』がいかに脆く、いかに空虚なものかをな!」
三分間。彼は腕を組み仁王立ちでカップを監視した。一秒一秒が爆発を待つ魔導爆弾のカウントダウンのようだった。
そしてタイマーが鳴る。健二は乱暴に蓋を引き剥がすとあえて温めなかった特製スープを冷たいままドロリと投入した。
「見ろ! 俺は貴様の『温めろ』という命令を拒絶したぞ! これで貴様の因果律は俺の支配下に入った!」
彼は割り箸を引き抜き、麺を強引にかき混ぜた。そして湯気と共に立ち上る「化学調味料の毒霧」の中に勢いよく頭を突っ込んだ。
「食らってやる! そして不味いと言って貴様の存在ごと切り捨ててくれるわ!」
彼は麺をすすった。ズズズッ! という、汚らしい下品な音が部屋に響く。
「…………」
健二の動きが止まった。口の中に広がる圧倒的な塩分と、質の低い動物性脂の旨味。ニンニクの暴力的な香りが、薬の影響で過敏になった
彼の脳幹をダイレクトに突き刺す。
「…………ッ!!!」
……悔しいことに空腹のせいか普通にうまい。だが、俺は勇者だ。「絶対」という言葉に屈することは死よりも重い敗北を意味する。
健二は目尻に溜まった涙(それは熱い湯気のせいか、それとも敗北の悔しさか)を拭うと、空になったカップを床に投げ捨てた。
「……ふん。不味くはなかった。……だが残念だったな。それは俺の想定の範囲内だ!」
彼は荒い息をつきながら自分に言い聞かせるように呟いた。
「……次はもっと手強い『敵』を寄越すがいい。この俺の味覚を支配できると思うなよ……?」
床に転がったカップの『これ絶対うまいやつ!』という文字が、まるで彼を嘲笑うかのように蛍光灯の光を反射して輝いていた。
健二はその光から逃れるように再び「深淵の外套」を深く被り、まだ見ぬ次の戦場を求めて暗い部屋の隅へと消えていった。




