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その日の午後、佐藤健二は自室という名の「暁の拠点」で古びた地図(近所のスーパーの手書きチラシ)を広げ、
次の遠征ルートを練っていた。山岸院長によって「封印」を解かれた彼の脳内では、かつてないほどの魔力が荒れ狂い、彼は全能感に満ち溢れていた。
その時、机の上で「伝声の魔石」が激しく震えた。表示されたのは「080」から始まる見知らぬ番号。健二は不敵な笑みを浮かべ、
通話ボタンをタップした。
「……ほう。この秘匿回線に接触してくるとはな。どこの組織の回し者だ?」
受話器の向こうで一瞬の沈黙。しかし相手はある意味でプロだった。すぐに明るく、だがどこか空々しい声が響く。
「あ、失礼いたしました! 私、グローバル・フューチャー・アセットの田中と申します。本日はですね、あなた様にだけ現在市場に出回っていない
非常に高配当な未公開株の案件をご案内したく……」
「未公開株だと?」
健二は鼻で笑いながら言った。
「ふん。いずれは消えるこの偽りの世界の通貨を増やして何になる。貴様、俺を『強欲の魔神』の眷属とでも思っているのか?」
「……えっ? あ、いえ、そういったことではなく。今の時代、やはり資産形成は重要ですよね? この未公開株へと投資いただければ、
わずか三ヶ月で元本が5倍、いえ、10倍になる可能性も……」
「ほう、10倍だと?」
健二の声が低くなった。電話口の詐欺師は「食いついた」と確信してさらに声を弾ませる。
「そうなんです! 今すぐ1口10万円を暗号資産により出資していただければ……」
「黙れ、小悪党め!」
健二は立ち上がり小さな窓から外を見下ろした。眼下の住宅街が、まるで滅びを待つ王国の城下町のように見える。
「貴様は根本的な間違いを犯している。10万? そんな端金が10倍になったとして本気でこの世界を救えると思っているのか? 今、真に投資すべき対象は
日によってころころ変わるくだらない数字の羅列などではない!」
「は、はあ……?」
「投資すべきは俺だ。この俺、世界の救済者である『勇者ケイン』にこそ貴様は全財産を投じるべきなのだ!」
健二は朗々と、しかし狂気に満ちた熱量で語り始めた。
「いいかよく聞け。現在、この世界の理は崩壊しつつある。都庁の深淵には『虚無の王』が居座り、人々の魂を摩耗させているのだ。俺は今、
その王を討つための聖遺物、伝説の『魔導二輪』の購入と、強化外装『ミスリルの鎧(新品のマウンテンパーカー)』を
新調するための軍資金を求めている!」
「あの、ケイン様……? お話が全く見えないのですが……?」
「理解力が足りんな! 貴様の言う『投資』とやらは世界が平穏に続くことを前提にした児戯に過ぎない。だが俺が負ければ、世界そのものが消滅する。そうなれば
貴様の抱える未公開株とやらはただの電子ゴミだ! だが俺に投資してみろ。俺が世界を救えば貴様は新世界の第一功労者として、永遠の栄光と『子爵』の爵位、
そして領地3万エーカーを約束してやる!」
「はぁ……3万エーカーですか……」
電話の向こうの詐欺師が呆れたような声で健二に応じる。彼が普段相手にしているのは「欲深い老人」や「情報弱者」であって「世界を救う勇者」ではない。
「どうした返事がないぞ? 俺への投資は1口300万からだ。今すぐそのギルドの金庫を開け、魔導送金(銀行振込)の準備をしろ。それとも貴様は、
世界が滅びるのをただ黙って眺めているつもりか?」
「……あ、いや。私には少し話の規模が大き過ぎるようです……失礼いたしました……」
その言葉を最後に通話が切れた。健二はフンと鼻を鳴らし、携帯を机に置く。
「ふん、臆病風に吹かれたか。やはりこの世界の商人は目先の利益に目が眩んで大局が見えていないらしい」
彼は再びチラシ、もとい古びた地図に目を落とした。エリクサーを減らされた副作用で指先がわずかに震えている。だが、彼にとってそれは
「溢れ出す魔力を制御しきれていない証」だった。健二の魔力の臨界点は確実に迫っている。今もなお、彼の視界では部屋の壁紙に
古代のルーン文字が浮かび上がり、天井のシミが巨大な眼球となって彼を監視している。
「だが投資、か。悪くない響きだ。だが俺が求めているのは金ではない……この命を賭けるに値する、最期の戦場だ」
健二は「雷神の杖(ビニール傘)」を掴むと、玄関へと向かった。彼にとって偽りの世界は禍々しく、恐ろしく、そして
「人生を賭けて破壊せねばならぬもの」へと変貌を遂げていた。
一方その頃、電話を切った詐欺師は名簿の「佐藤健二」の名前の横にバツ印をつけていた。
「……コイツはダメだな。金持ってなさそうだし、何より関わっちゃいけないタイプの奴だ……」
詐欺師という名の現実主義者が畏怖したその瞬間、佐藤健二は間違いなくこの狂った世界でただ一人の「勇者」として君臨していた。




