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「ついに、この時が来たか……」
新宿の雑踏、またしても降りしきる雨。佐藤健二は愛用の「雷神の杖(ビニール傘)」を固く握りしめた。
老魔術師・山岸に放たれた言葉が彼の魂を熱く焦がしている。自分は資本主義という名の魂の呪縛に屈し、
金を稼ごうなどという卑屈な道を選んだ。だが今は違う。勇者の責務とは悪を討ち、奪われたものを力ずくで取り戻すことだ。
「待っていろ、偽りの錬金術師。貴様の錬金スキルは俺が奪い取ってやる!」
健二はかつてのセミナー会場――「黄金の変容塔(雑居ビル)」へと足を踏み入れた。興奮のあまり霞む視界の中、
エレベーターの扉は「異界へのゲート」に見え、1階フロアに飾られた観葉植物は「禍々しい骸骨のオブジェ」に見えた。
だが、目的地に辿り着いた健二が目にしたのは、もぬけの殻となったオフィスだった。
「……なっ!? 結界(オフィス用具)がすべて消えているだと!」
床には配布用のチラシが数枚散らばり、ホワイトボードにはよく分からない殴り書きが残っているだけだ。そこにはかつての
熱狂が欠片もなかった。
状況が理解できず健二が呆然としていると、奥の部屋から片付けに来ていたらしい管理会社の男が出て来る。その姿は健二の目には
死肉を漁るハイエナのような下級魔族に見えていた。
「あー、君もしかしてセミナーに参加してた人? 来るのが遅かったね、あいつら昨日の夜中に夜逃げ同然で退去したみたいだよ」
「……何だと?! 錬金術師・神崎はどこへ行った!」
健二は「雷神の杖」を突き出して男を問い詰める。すると男は怯えた顔で声を上ずらせながら答えた。
「知らないよ! でもなんかインスタで『これからはドバイを拠点に真の富を創造する!』とか何とか言ってたって聞いたよ!」
「……ド、バイ……?」
健二の動きが止まった。彼の脳内にある地図――それは中世ファンタジー風の大陸一つ分程度の広さしかないもので
その中にドバイという地名は存在しなかった。
「……ドバイとはまだ未開放のエリアではないのか? それとも虚無の王が座すラストダンジョンの真の名か?」
「何言ってるか分かんないけど中東だよ、アラブって言った方が分かりやすいかな? 飛行機で十時間以上かかる金持ちが集まる場所だよ」
健二は男の言葉を必死に解析しようとした。飛行機という名の通常ならばストーリー後半でしか手に入らない「巨大な飛空艇」。十時間という
「永劫に近い移動時間」。金持ちが集まる「黄金の都」。未知の情報の羅列に健二は混乱していた。
「ドバイ……。そこはここから歩いても行ける場所なのか?」
男は健二のふざけているとは思えない真剣な、そしてその見た目の歳から考えるとあまりに非常識な問いに絶句した。
「……歩いて? いや海を越えなきゃいけないんだよ?! 越えたとしても砂漠もあるし、普通に考えて無理だよ……」
健二は絶望のあまり膝をついた。
(……歩いては行けぬ場所。この世界の果て、見えざる障壁の向こう側。この世界から隠された真実が存在する場所に奴は逃げ込んだというのか?!)
彼の脳内ではドバイは「民草には秘匿された、選ばれし者のみが住まう浮遊大陸」へと昇華された。海を越え、砂漠を越え、そして天空へ。勇者ケインの
今のレベルでは到底到達できない最終エリア。
「……クッ、おのれ錬金術師め! 次元を跨いで逃亡したか!」
健二は自分が握りしめた雷神の杖(ビニール傘)がひどく無力な存在のように感じられた。新宿からドバイ。行くだけならそれは「現実」においては
金銭面のみの問題だが、健二の中の「物語」においては飛空艇を建造し、その前には数々の困難を乗り越えねば到達できぬ「最終決戦の地」であった。
これは初めに健二が想定していた単純な「暴力」では解決することが出来ない「世界設定」の問題なのだ。
「……まさかこれから辿る勇者の旅路が、それほどまでに果てしないとはな」
健二は床に散らばったセミナーのパンフレットを拾い上げる。今にして思えばそこに描かれたドバイらしき摩天楼は
最終決戦の地を暗示したものだったのだと、彼は勝手に納得して頷いた。
「……待っていろ。必ず……必ずや飛空艇を手に入れてその地へ乗り込んでやる!」
決意と共に佐藤健二は雨の街へと飛び出した。彼の瞳には新宿駅のバスターミナルが異大陸へと旅立つ「港」にさえ見えている。内なる魔力の高まりは
もはや「パスポート」と「航空券」という通常の手段では辿り着けない「未知の世界」を彼に提示してしまった。
健二は小刻みに震えながら駅構内の路線図を凝視して、必死に未知なる大陸ドバイへの「移動ルート」を計算し始めていた。




