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朝六時半、警備会社のまだ少し薄暗い駐車場――。
佐藤健二にとってそこは遠征に赴く騎士たちが集う「出撃の広場」だった。
今日、同じ戦場へと向かう「戦友」は村田という名の中年の男だ。村田はくたびれた制服を着崩し、歯を剥き出しにして
欠伸をしながら一台の車両の前で立ち止まった。
健二はその車両を目にした瞬間、持っていた「雷神の杖(ビニール傘)」を危うく落としそうになった。
そこにあったのは工事現場の警備員という慎ましい職分にはおよそ不釣り合いな、漆黒の輝きを放つセダンタイプの
「レクサス」であった。朝露に濡れたボディは、街灯の下で魔法障壁を張っているかのように妖しく光っている。
「おい、佐藤。何ボサッとしてんだ早く乗れよ。今日は俺の車で現場に行くからさ」
言いながら村田がキーを操作すると電子音と共に、ミラーが貴婦人の会釈のように優雅に開く。
「ま、待て……! 狂ったか村田殿!!」
健二は叫んだ。彼の瞳にはその車は「黄金とミスリルで装飾された王族専用の聖なる騎馬」として映っていた。
「貴公……正気か!? なぜ敵陣(現場)に赴く際に何故このような高価な馬車を使うのだ!?」
村田はドアを開けかけた手を止めて、怪訝そうに健二を見た。
「あ? なんだよ高い馬車って。これか? まぁ中古だけどさ、俺独身だしこれくらいしか趣味ねえんだよ。あ、靴脱いで乗れよ。革シートだから
飲みもんとかこぼすなよ!」
「趣味の問題ではなかろう!」
健二はレクサスのボンネットの前に立ちはだかり激しく抗議する。
「我々が今から向かうは泥土が吹き荒れ、地盤を沈下させるほどの魔導が渦巻く『深淵の排水路』なのだぞ! 飛来する石礫(飛び石)や、
機獣の体液(工事用オイル)がこの輝かしい魔力装甲を傷つけるとは思わんのか!? 潜入任務(現場警備)に王族のパレード用馬車を出すなど、正気とは思えぬ!」
健二の脳内では現場に到着したレクサスが無慈悲な重機や土砂によって、その「耐久値(資産価値)」をゴリゴリと削られていく悲惨な光景が展開されていた。
「これほどの名馬、本来であれば聖都の宝物庫に秘匿し祝祭の日にのみ御するべきもの……。それをあえて泥沼に投じるというのか。
貴公、まさか魔王軍の内通者か? それとも己の富を誇示することで魔物のヘイトを買う『挑発スキル』の持ち主なのか!?」
「言ってる意味が分からねぇよ! いいから乗れって、遅刻すんぞ。ギルド……じゃねえ、会社にクレームが来んだろ!」
村田は半ば強引に健二を助手席に押し込んだ。ドアが閉まった瞬間、外部の雑音が遮断され高級車特有の静寂が二人を包んだ。
「……ッ、なんと静謐な。空間を隔絶する結界まで張られているというのか?」
健二は深く沈み込む本革シートの感触に震えた。
(……恐ろしい。この座り心地、一度味わえば戦士としての闘争心を奪われ安寧の毒に侵されてしまう。これが……王族の享受する『退廃の魔力』か……)
村田がエンジンをかけるとハイブリッド車特有の静かな起動音が響いた。
「ほら、いいだろ。乗り心地最高だろ?」
「……ふん。これほどまでに気配を殺した騎行……。隠密用としては超一流だがやはり現場には不向きだ。現場付近の砂利道で脚を挫き(パンクし)、
途方に暮れる貴公の姿が目に浮かぶぞ、村田殿」
健二はシートベルトを自分を拘束する「戒めの鎖」だと思い込みながら、決死の覚悟で締め上げた。高級セダンは早朝の街を滑るように進んでいく。
窓の外にはこれから戦う「泥まみれの現実」が近づいてくる。健二は車内のダッシュボードに置かれた高級な芳香剤の香りを
「戦士の鼻を狂わせる幻惑の香煙」だと断じ、決して呼吸を深く吸い込まないように努めた。
「……いいか村田殿。もし戦場でこの馬車が傷ついたとしても俺を責めるなよ。俺は……警告したからな!」
「うるせえな、佐藤。いいから寝てろ。1時間はかかるんだからよ」
高級車で工事現場へ向かうというあまりにアンバランスな状況。それは健二にとって伝説の勇者が黄金の鎧を纏ったまま
肥溜めの掃除を命じられたかのような、理不尽極まりない「高難度ミッション」に他ならなかった。




