第49話 それぞれの扉
冬の冷たい空気の中、掲示板の前には、いつも以上の人だかりができていた。
各学年Sクラス上位十名――
そして今年は、飛び級試験の結果も同時に発表される。
「今年、本当に受けた人がいるらしいぞ」
「合格者なんて、何年も出てないんだろ?」
周囲のざわめきが、絶え間なく聞こえてくる。
私は掲示板から少し離れた場所で、人混みを眺めていた。
隣では、アメリアがそわそわと落ち着かない様子で辺りを見ている。
「……なんか緊張してきたんだけど」
「どうしてアメリアが緊張するの?」
思わず小さく笑う。
(……大丈夫)
やれることは、全部やった。
だから、あとは――結果を待つだけ。
その時、不意に周囲がざわめいた。
「出たぞ!」
誰かの声と同時に、生徒たちの視線が一斉に掲示板へ向いた。
――エルリーナ・イグナリエル合格
――次年度より三年生・Sクラス
「「「わあ!!」」」
一瞬遅れて、辺りが大きくどよめいた。
「合格してる……すごいな!」
「しかもSクラスだってよ!」
「エルリーナ!!」
振り返る間もなく、アメリアが勢いよく抱きついてきた。
「ア、アメリア……!?」
「よかったぁ……!」
ぎゅっと抱きしめられたまま、少し震える声が耳元で響く。
「あんなに頑張ってたもの……!」
顔を上げたアメリアの目には、うっすら涙まで浮かんでいた。
思わず目を瞬く。
「泣くほど……?」
「泣くよ!」
アメリアはぐすっと鼻をすすりながら、むっとした顔をする。
「毎日遅くまで勉強して、研究室にも通って……見てるこっちが心配になるくらい頑張ってたんだから!」
胸の奥が、じんわりと熱くなった。
「ありがとう、アメリア」
その時――
「エルリーナ」
聞き慣れた声が背後から届いた。
振り返ると、ルーカス兄様が人混みを抜けてこちらへ歩いてくる。
兄様は掲示板へ視線を向け、それから穏やかに笑った。
「おめでとう」
「ありがとうございます、兄様」
「来年度からクラスメイトだな」
兄様は苦笑するように肩を竦めた。
「正直、まだ少し不思議な気分だけど」
その言葉に、小さく笑みがこぼれる。
けれど次の瞬間、兄様の表情が少しだけ真剣なものへ変わった。
「……気持ちは、変わらないんだな?」
静かな問いかけだった。
何を聞かれているのかは、すぐにわかった。
私は、ゆっくりと頷く。
「はい。もちろん、変わりません」
迷いなく答える。
隣で、アメリアが小さく表情を曇らせた。
きっと、何の話をしているのかわかっているのだろう。
少し心配そうにこちらを見つめている。
兄様はしばらく私を見つめ、それから小さく息を吐いた。
「……そうか」
どこか困ったように笑ってから、視線を掲示板へ向ける。
「じゃあ、次は父上たちとの話し合いだな」
改めて、気持ちを引き締める。
「……はい」
その時、兄様がふと思い出したように口を開く。
「もう一人、報告しなきゃいけない相手がいるだろう?」
「はい。この後、研究室へ行くつもりです」
そう答えると、兄様は小さく笑った。
「なら、行ってこい」
「ありがとうございます」
張りつめていた空気が、少しだけ和らぐ。
その時、アメリアがぱっと表情を明るくした。
「エルリーナ! 帰ったら部屋でお祝いしようね」
「お、いいな」
兄様が楽しそうに口を挟む。
けれどアメリアは、すかさずじとっとした目を向けた。
「あら、ルークはだめよ? 女子寮ですから!」
「アミー、そんな即答しなくてもいいだろ……」
そんな二人のやり取りに笑みをこぼしながら、私は先にその場を後にした。
向かう先は、いつもの研究室だった。
扉の前で足を止め、小さく息を整える。
静かに扉を叩いた。
「失礼します」
部屋の奥で資料へ目を通していたリュミエール先生が、ゆっくり顔を上げる。
その視線が、私を見た瞬間――わずかに和らいだ。
「……その顔を見る限り、聞くまでもなさそうだな」
思わず小さく笑みがこぼれる。
「はい。合格しました」
静かな沈黙。
けれど次の瞬間、先生はふっと目を細めた。
「そうか」
短い言葉だった。
それでも、その声には確かな温かさが滲んでいて――
「よく頑張ったな」
先生が静かに机の引き出しを開けた。
中から取り出されたのは、小さな箱だった。
「……先生?」
先生は何も言わず、その箱を私へ差し出す。
「開けてみろ」
言われるまま、そっと蓋を開くと、中に収められていたのは、ペンダントだった。
繊細な細工の中央には、三日月を象った紋章が刻まれている。
――リュミエール家の家紋。
貴族名鑑に、小さく描かれていた家紋。
冬の光を受けた銀細工は、静かな月光のように淡く輝いている。
「昔、私が家を出る時に兄から渡されたものだ」
先生の静かな声が響く。
「“離れていても、月の光がお前を守るように”――そう言ってな」
思わず、手のひらにあるペンダントを見つめた。
先生は穏やかに目を細めた。
「リュミエールの紋章には、“夜を照らす光”という意味が込められている」
静かな声が、胸へゆっくり染み込んでいく。
「……お前に託す」
その言葉に、思わず息を呑む。
手のひらの中にある小さなペンダントから、静かな重みが伝わってくる。
自然と、気持ちが引き締まった。
これは、ただの贈り物ではない。
先生が歩いてきた道の一部を、今、託された気がした。
「ありがとうございます。……大切にします」
そう答えると、先生は静かに頷いた。
それから、そっと私の頭を撫でる。
「……ああ」
穏やかな声が、静かな研究室に落ちた。
♦︎♦︎♦︎
寮へ戻ると、部屋の前でアメリアが待っていた。
「おかえり!」
「ただいま」
扉を開けた瞬間、ふわりと美味しそうな香りが広がる。
「……わあ」
テーブルの上には、小さな料理やお菓子が並べられていた。
「リーナ様、お帰りなさいませ」
オルガが嬉しそうに一礼する。
「お祝いなのですから、少しくらい特別にしませんと」
「これ、オルガが全部準備してくれたの!」
得意げなアメリアに、思わず笑みがこぼれた。
窓の外では、冬の夜が静かに広がっている。
けれど部屋の中は、とてもあたたかかった。
「さあ、食べましょう!」
「ふふ、いただきます」
オルガが用意してくれた料理は、どれも温かくて美味しかった。
湯気の立つスープに、小さなキッシュ。
甘い香りの焼き菓子まで並んでいる。
「でも、本当にすごいわよねぇ……」
アメリアがお茶を手にしたまま、しみじみと息をついた。
「飛び級合格なんて、学園中その話でもちきりよ?」
「アメリアだって、Sクラス昇格でしょう?」
そう返すと、アメリアは「うっ」と言葉に詰まった。
「そ、それは嬉しいけど……エルリーナの方が衝撃大きいもの!」
思わず小さく吹き出してしまう。
するとアメリアは、少しだけ気まずそうに頬を掻いた。
「……でも、私も結構頑張ったのよ? 二年からSクラスって大変なんだから」
「うん。知ってる」
そう答えると、アメリアは嬉しそうに笑った。
「それに……ルークの隣に立つには、少しでも近づかないとね」
アメリアの声は穏やかだった。
けれど、その言葉には確かな意志が滲んでいる。
イグナリエル伯爵家は、貴族には珍しく恋愛結婚が多い家だ。
もちろん、すべてが自由というわけではない。
それでも――兄様はきっと、隣に立つ相手をちゃんと見る人だ。
初めて会った頃のアメリアは、自分の未来より、家のために生きていこうとしているようだった。
子爵家を支えるために文官科と薬師科を選び、自分にできる役目を果たそうとしていたのだ。
けれど今は違う。
努力を重ねながら、自分の意志で兄様の隣へ立とうとしている。
「アメリアなら、大丈夫」
そう言うと、アメリアは少し驚いたように目を瞬いてから、ふっと表情を和らげた。
「……ありがとう」
来年の春には、アレクシス殿下とセレーネ様も、正式に婚約するという。
第二王子であるアレクシス殿下は、結婚後、新たな公爵家を興される予定らしい。
王都では、すでにその話題でもちきりだった。
「なんだか、みんな少しずつ先へ進んでいくわね」
アメリアがしみじみと呟く。
その言葉に、静かに頷いた。
何日か後には、寮を出て伯爵家へ戻る予定だ。
窓の外では、まだ冷たい夜風が木々を揺らしていた。
それでもきっと、春は少しずつ近づいている。
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