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エルデナの祈り  作者: 春乃


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第47話 日常と空白

目を開けた瞬間――視界は白だった。

どこまでも続く、真っ白な空間。


「……ここ……」


思わず呟く。

見覚えがあった。

初めてではない。

以前も――ここに来たことがある。


(……もしかして、セラが……?)


そう思いながら体を起こした、そのときだった。


「……よかった。目を覚ましたのね」


やわらかな声が、静かに響く。


「……っ」


顔を上げる。

目の前に、人影が立っていた。

白の中に浮かぶ、懐かしい黒い髪。


(……誰だろう……)


一瞬そう思って、息が止まる。

今の声――聞き覚えがある。


「……美咲さん……?」


確かめるように呼ぶと、少女はわずかに目を細めた。

それだけで十分だった。

あの闇の中で聞いた声と、同じだ。


少しの沈黙のあと、美咲が口を開いた。


「ミラベルのこと……」


かすかに視線を落とす。


「……あの子の体、ちゃんと守ってくれてたのね」


言葉を選ぶように、ゆっくりと続ける。


「私……壊しても、おかしくなかったのに」


「……約束したからです」


静かに、答える。


「全部、守るって」


一瞬だけ、言葉を区切る。


「……ずっと前に、美咲さんがそうしてきたみたいに」


美咲の瞳が、わずかに揺れる。

そのまま、ゆっくりと首を振った。


「私……本当は、わかってたのに」


視線が落ちる。


「見ないふりをしてた」


指先が、かすかに震える。


「奪えば埋まるって……そればっかりで」


息が、揺れる。


「大事なものも……全部、押し潰して……」


言葉が、途切れる。

ほんのわずかな沈黙。


「……アナスタシアのことだって」


かすれる声。


「……好きだったのに」


ぽつりと落ちる。


「それすら……忘れて……」


私は何も言わず、ただ聞いている。


「……でも」


美咲が、ゆっくりと顔を上げる。

揺れているのに、もう逸らさない瞳。


「思い出せた」


小さく、息を吸う。


「あなたが……触れてくれたから」


まっすぐに、こちらを見る。


「壊さないで……ちゃんと、見ようとしてくれたから」


わずかに言葉を探して――


「……ありがとう」


静かに、言う。


「本当の私を、取り戻させてくれて」


一拍の間。


そのあと、ほんの少しだけ目を伏せて――


「……ごめんなさい」


今度は、はっきりと。


逃げない声だった。


「……はい」


短く、受け止める。

それ以上の言葉は、いらなかった。


やがて、美咲が小さく息を吐いた。


「……私、戻るわ」


「……戻る?」


「天界に」


迷いのない声。


「向こうでどうなるかは、わからないけど」


一瞬だけ、言葉が揺れる。


「ちゃんと、受け止める」


「……そう、ですか」


胸の奥が、少しだけ痛む。

それでも、止める言葉は出てこなかった。


「……あの」


少し迷ってから、口を開く。


「ここに来たってことは……私、死んだのかと思ってました」


「……違うわ」


美咲が、やわらかく首を振る。


「あなたは、生きてる」


「……え」


「ここは……境目みたいな場所。少しだけ、外側に出られるの」


そして、もう一度こちらを見る。


「あなたに、ちゃんと伝えたかったから」


静かな声。


「無理を言って、ここに呼んでもらったの」


「……呼んだ……?」


「ええ。これを言わないまま、終わるのは嫌だったから」


胸の奥が、じんわりと温かくなる。


「……そう、ですか」


それしか言えなかった。

美咲は少しだけ微笑んだ。


「……もう、行かないと」


白の向こうへ視線を向ける。

空間が、わずかに揺れた気がした。


「……エルリーナ」


名前を呼ばれる。


「あなたは――そのままでいい」


静かで、優しい声。


「ちゃんと、届いてたから」


「……っ」


胸が強く打つ。

言葉が、出てこない。


美咲は一歩、後ろへ下がる。


白に、溶けるように。


――その姿が消える直前、

やわらかな笑みが、確かに見えた気がした。


♦︎♦︎♦︎


まぶたが、ゆっくりと持ち上がる。

ぼやけた視界の中、見慣れた天井が映った。


(……ここ……)


イグナリエル伯爵家の、自室。


静かな空気。

戦いの気配は、どこにもない。


ふと、胸の奥があたたかくなる。


(……よかった)


最後に見た、美咲の表情。


(……笑ってた)


その感覚だけが、確かに残っていた。


視線を横へ向ける。


「……っ」


そこにいたのは、オルガだった。

目を見開いたまま、こちらを見つめている。


次の瞬間、瞳に涙が溜まった。


「……リーナ様……っ」


「おはよう、オルガ」


かすれた声で、それでもはっきりと告げる。


「……!」


オルガの表情が、くしゃりと崩れた。


「……よかった……本当に……三日も……」


「……三日?」


「はい……リーナ様、あのあとずっとお眠りのままで……今日で三日になります」


「……そう、なんだ」


小さく呟く。


「ミリア! 旦那様に……リーナ様が目を覚まされたと……!」


「っ、はい! すぐに!」


ミリアが涙を拭いながら、駆けていく。


やがて、廊下の向こうから慌ただしい気配が近づいてきた。


扉が開く。


「エルリーナ……!」


セラフィナ叔母様が駆け寄り、そのまま強く抱きしめられる。


「……よかった……っ、本当に……」


「……叔母様……」


「もう……目を覚まさないのかと……思って……」


隣には、ルーカス兄様がいた。


「……兄様」


まっすぐこちらを見て――


「……無事でよかった」


短く、それだけ言う。

そっと、頭に手が置かれた。


「……はい」


その後ろで、マーカス叔父様が立っていた。


「エリオット。医師を」


「はっ」


指示を出してから、ゆっくりと近づいてくる。

ほんのわずかに躊躇い、それでも手を伸ばす。


「……よく、戻った」


そっと、抱きしめられる。


「……はい、叔父様」


小さく、答える。


その腕の中で――

確かに、戻ってきたのだと実感した。


ふと、あの小さな温もりを探してしまう。


もうここにはいないとわかっていても――


(……セラ)


♢♢♢


私はしばらくの間、イグナリエル伯爵家で静養していた。


体は思っていたよりも早く回復して、やがて学園にも復帰した。


セレーネ様とは、変わらず交流が続いている。

アメリアとも、以前と同じように笑い合えた。


授業も、問題はなかった。

図書館で本を読んでいた時間が、そのまま力になっていたらしい。


遅れを感じることもなく、自然と日常に戻ることができた。


リュミエール先生とは、相変わらず古代語の研究室で顔を合わせる。

静かな時間の中で、言葉を交わすそのひとときも――以前と何も変わらない。


そうして、少しずつ。


本当に少しずつ、日常は戻ってきた。


けれど――


ふとした瞬間に、視線がさまようことがある。

足元や、窓辺や、椅子の上。

何かを探すように。


「どうかしましたか」と首を傾げるオルガに、私はただ首を振る。


最初から、そこに何もなかったかのように。

誰も、不思議には思わない。


(……やっぱり)


あの存在を覚えているのは――たぶん、自分だけだ。


理由も、仕組みも、わからない。

けれど、なんとなく理解していた。


あれはきっと、天使としての力に関わるものだったのだろうと。


だから――


何も言わない。


言葉にしてしまえば、きっと壊れてしまう気がした。

ただ、胸の奥にしまい込む。

あの小さな温もりも、過ごした時間も。


失ったことさえ、誰にも知られないまま。


そんな中で。

少しだけ、変わったこともあった。


「……あれ?」


思わず、足を止める。


中庭の一角。

木陰の下で、向かい合っているふたりの姿が見えた。


(……ルーカス兄様と……アメリア?)


どこかぎこちないふたり。

それでも、視線が合うたびに空気がやわらぐ。


言葉は多くないのに、離れない距離。


「……」


しばらく見て、なんとなく理解する。


(……いい雰囲気、かも)


イグナリエル伯爵家は、貴族にしては少し珍しく――

できれば恋愛結婚がいい、とされている。


もちろん、すべてがそうなるわけではないけれど。


(……でも)


もう一度、ふたりを見る。


不器用なまま、そっと寄り添うような関係。


(……きっと)


うまくいけば――

あのふたりも、そうなるのだろう。


ふっと、口元が緩む。


――そして、もうひとつ。


気になっていたことも、あとから知ることになった。


それは、セレーネ様から聞いた話だった。

ミラベル様は、無事に目を覚ましたらしい。

体にも、目立った異常はないという。


ただ――


あのときの記憶は、残っていなかった。


ミラベル様も、クラリッサ様も、侍女のナタリーも。

あの場にいた三人ともが、まるで最初から関わっていなかったかのように。


(……不思議だな)


でも、それでいいと思った。

思い出さなくていいものも、ある。


ふと、セレーネ様の声を思い出す。


「今回は、被害者として扱われることになったみたい」


落ち着いた口調だった。

けれど、その奥にある配慮もちゃんと伝わってきた。


(……よかった)


誰かを責める形で終わるのは、違う気がしていたから。


三人は、そのままベルンシュタイン王国へ戻ることになったらしい。


公爵家とアレクシス殿下の口添えもあったと、聞いている。


三人にとっては――

これで、よかったのかもしれない。


美咲さんとの戦いが終わると、各地に集まっていた魔物たちにも変化が現れた。


異様なほど膨れ上がっていた力は弱まり、討伐隊によって倒されたものもいれば、そのまま森へ戻っていくものもいたという。


残党への警戒から、しばらくは国全体が張り詰めた空気に包まれていた。


けれど、時間が経つにつれて――

少しずつ、その物々しさも薄れていった。


窓の外に目を向ける。


穏やかな空。

行き交う人々。

何事もなかったかのような、いつもの景色。


(……来年には)


ふと、思い出す。


デビュタント。


貴族として、社交界に出る節目。


(……どうするんだろう、私)


静かに、自分に問いかける。


あの出来事を経て――

自分の中で、何かが変わっていた。


(……このままで、いいのかな)


視線を、少し遠くへ向ける。


穏やかな世界。

守られている日常。


(……終わってない)


はっきりとはわからない。

けれど、そう感じていた。


胸の奥に残る、わずかな違和感。


(……私は)


ゆっくりと息を吸う。


(……どう生きるか、ちゃんと考えないと)


まだ、答えは出ない……

ただ、これまで以上に勉強に向き合おうと思った。


胸の奥に、小さな目標をしまい込んだまま――


読んで頂きありがとうございます。

また来週よろしくお願いします。

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