表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エルデナの祈り  作者: 春乃


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

46/51

第46話 心に触れたもの

視界の端で、別の動きが映った。


回廊の奥――押さえ込まれている影。

その腕を制しているのは、公爵家の執事、ダレンだった。


無駄のない動きで侍女のナタリーを床へ押さえつけ、手にしていた刃を叩き落としている。

抵抗はすでに抑え込まれ、脅威は完全に封じられていた。


「こちらは問題ないわ!」


グレイスの声が、はっきりと届く。


「……っ」


胸の奥に張りつめていたものが、ほんの一瞬だけほどけた。


(……よかった)


安堵が、かすかに息となって漏れる。

けれど――


(……まだ、終わっていない)


そのまま、息を飲み込む。

ほどけかけた気持ちを、無理やり引き戻した。


頬に、わずかな温もりが残っている気がした。

消えたはずなのに――確かに触れられていた感触。


それだけで、十分だった。


(……大丈夫)


ゆっくりと顔を上げる。


視線の先。

黒は、まだ消えていない。


そして――


「……」


美咲さんが、静かにこちらを見ていた。


その瞳に宿るのは、揺らぎを押し潰したあとの、冷えた意志。


ふわり、と黒い靄が揺れる。

音もなく、空気が重く沈んだ。


(……来る)


そう思った瞬間。


「……その力、こちらに渡しなさい」


やわらかな声。

けれど、抗うことを許さない響き。


すっと、手がこちらへ向けられる。

黒が、脈打った。


「……嫌です」


息を吸い、はっきりと告げる。


「これは、渡さない」


言い切った、その直後。

空気が、軋んだ。


「……そう」


美咲の声が落ちる。

次の瞬間――黒が、爆ぜた。


「――っ!」


反射的に身を捻る。

直撃を避けたはずの闇が、なお腕を掠めた。


「っ……!」


焼けるような感覚。

遅れて、重い衝撃が体を揺らす。


踏みとどまる。


(……速い……!)


迷いが消えた分、純粋に強い。

次の黒が、すでに迫っていた。


「――っ!」


今度は受ける。

両手で受け止め、押し返す。


重い。

押し込まれる。

足元の石が軋む。


(……でも)


力を込める。


触れた闇に、光が走る。

じわり、と黒がほどける。


確かに――削れている。


「……っ」


美咲の眉が、わずかに動いた。

けれど次の瞬間、さらに濃い黒が重なる。

削った分を、上から塗り潰すように。


「――まだよ」


低い声。


黒が形を変え、逃げ場を塞ぐように絡みつく。


「っ……!」


払いきれない。

一瞬、動きが止まる。


「遅い」


圧が、落ちた。


「――っ!」


直撃。

体が後ろへ弾かれる。


石畳を滑り、息が詰まる。


(……まだ……!)


無理やり体を起こす。


黒は止まらない。

次が来る。


(……見失わない)


痛みを押し込み、視線を上げる。


揺らぐ闇の中。

確かに、“芯”がある。


「無駄よ」


美咲の声。


「届かない」


さらに黒が膨れ上がる。

押し潰されるような圧。


(……違う)


息を整える。

ぶつかるだけじゃ足りない。


「……っ!」


踏み込む。

押し寄せる闇の中へ、自分から。

すれ違いざまに、手を伸ばす。


触れる。


「……!?」


その瞬間、黒が揺れた。

弾くのではなく、内側へ届く感覚。


(……いける)


けれど――


次の瞬間、強く弾かれた。


「――甘い」


圧が跳ね返る。

光が押し戻される。


完全には、通らない。


「……っ」


息が乱れる。


削れる。

届く。


でも――押し切れない。


(……このままじゃ……)


どちらも、決定打がない。


「……奪った力で、幸せになんかなれない!」


私ははっきりと、言い切った。

その言葉に、黒がわずかに揺れた。


「……は?」


美咲が、小さく首を傾げる。


「アナスタシアは」


低く、押し殺した声。


「私から、地位も、名誉も……愛さえも奪って」


黒が、ゆらりと膨れ上がる。


「それで、幸せになったじゃない!」


圧が、一気に増す。


「何が違うの?」


まっすぐな問い。

揺らぎと怒りが、混じっている。


「同じでしょう?」


「……違う」


小さく、けれど確かに告げる。


「アナスタシア様の日記には――こう、綴られていました」


黒が、わずかに揺れる。


「あなたが亡くなってすぐ……名前を奪われたんです」


空気が、ざわりと震える。


「顔を隠すためのベールをつけて、“聖女”として扱われて」


一歩、踏み出す。


「北の塔に幽閉されて……四六時中、監視されていた」


黒が、不安定に歪む。


「外に出ることもできなくて……誰とも、自由に話せなかった」


さらに一歩。


「絵本を作るふりをして……その中に、古代語で日記を綴っていたんです」


「……やめて」


かすれた声。

それでも、止めない。


「ルシエン様は、必要な時にしか来なかった」


静かに、告げる。


「そこに……愛なんて、なかった」


黒が、大きく波打つ。


「……孤独だったんです」


言葉を落とす。


「それでも――」


視線を逸らさない。


「あなたのために、祈り続けていた」


「……っ」


美咲の瞳が揺れる。


「あなたの魂が、安らかであるようにって」


黒が、歪む。


「そして……いつか、この日記に誰かが気づいて」


声は静かに、強く。


「本当の聖女は、美咲さんだって……知ってもらえるように」


静寂。


「……ちが……」


かすれた声。


「違う……そんなはず、ない……」


首を振る。


「……嘘よ」


ぽつり、と落ちる。


「そんなの……嘘だわ……!」


瞳が揺れる。


「私が……奪われたはずなのに……」


涙が、零れた。


「認めない……」


震える声。


「そんなの、認めない……!」


その瞬間。

黒が、ざわりと波打った。


「……やめて」


小さな声。

けれど――


闇は、止まらない。


ぶわり、と膨れ上がる。


「違う……!」


叫び。


「こんなの……望んでない……!」


伸ばした手。

抑え込もうとするように。


それでも――


黒は、美咲の意思を無視するように、さらに暴れ出す。


空間が軋む。


制御を失った力が、すべてを呑み込もうとする。


(……このままじゃ)


その奥で――

涙に濡れた瞳が、確かに揺れていた。


(……まだ、届く)


ぎゅっと、手を握る。


逃げない。

目を逸らさない。


「……私は」


静かに、息を吸う。


「全部、守る」


一歩、踏み出す。


それでも――止まらない。


「この世界も」


光が、じわりと手のひらに集まる。


「美咲さんの心も」


もう一歩。


(……全部、救う)


踏み込む。

押し寄せる黒の中へ――ためらいなく。


「――っ!」


全身に圧がのしかかる。

絡みつく闇が、引きずり込もうとする。


けれど、止まらない。


(……見失わない)


意識を研ぎ澄ませる。


荒れ狂う黒の奥。

確かにある、ふたつの存在。


(……ミラベル様の体)


壊さないように、守る。

外側を覆うように、やわらかく光を広げる。


(……美咲さんの思念)


さらに奥。

歪み、絡みついたその中心へ――


手を伸ばす。


「……っ!」


触れた瞬間、激しく弾かれる。


拒絶。


それでも――


(……離さない)


力を込める。


押し切るんじゃない。

引き剥がすんじゃない。


絡まったものを、ほどくように。


「……エルデナ」


名を呼ぶ。


その瞬間、光が深く染み込んだ。

黒が、揺れる。

暴れていた力の流れが、わずかに緩む。


(……今……!)


守りながら。

抑え込みながら。


同時に、ほどく。

三つの意識を、同時に動かす。


一つでも崩せば、すべてが壊れる。


それでも――


(……できる)


今まで積み重ねてきたすべてが、自然と繋がる。


無駄のない動き。

流れを読む感覚。

乱れない心。


すべてが、ひとつに重なる。


(……届いて)


さらに、深く。


光が、黒の中心へと入り込む。


「……っ……」


かすかな声。

それが誰のものかは、もう迷わない。


(……ここだ)


最後の一歩。


光が、満ちた。


荒れ狂っていた黒が、ゆっくりとほどけていく。

絡みついていたものが、ひとつずつ解けるように。


「……あ……」


微かな声。


(……届いてる)


確かな手応え。


消すのではなく、奪うのでもなく――

ただ、繋いで、ほどいていく。


光が、さらに深く染み込む。


黒が、静かに崩れていく。


そして――


「……」


ほんの一瞬。


闇の奥で、誰かの気配が揺れた気がした。


(……美咲さん……?)


伸ばした指先が、何かに触れた気がした。


次の瞬間。


視界が、白く染まる。


すべてが光に包まれて――


意識が、ふっと途切れた。


今回から10:00と12:00に1話ずつ投稿します。

よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ