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エルデナの祈り  作者: 春乃


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第45話 交錯する想い

解き放った光が、次の瞬間には黒に呑み込まれていた。

――ぶつかる。

遅れて、衝撃が空気を震わせた。


『リナ!……くっ……制約が……!』


歯噛みするような声が、意識の奥に響く。


「っ……!」


押し寄せてくる闇を、両手に込めた力で押し返す。

視界の端で、砕けた石片が弾け飛び、風が渦を巻いた。


重い……ただ強いだけじゃない。

絡みつくように、引きずり込もうとする力。


(……後ろに、通さないっ!絶対!)


踏み込んだ足が、石畳をきしませる。


『……干渉できない。力を貸せない……っ』


かすかに滲む悔しさが、言葉の端に混じる。

一瞬だけ、胸の奥が揺れた。


――けれど。


(……大丈夫)


息を詰め、さらに力を込める。


(最初から、そのつもりで来てる)


守るべきものが、そこにある。

だから――


「ここは、通さない……!」


押し寄せる黒に、正面から力をぶつけた。


わずかに、押し返す。

けれどその奥で、黒い靄が静かに揺れていた。

――まるで、息をしているみたいに。


「……どうして、邪魔をするの?」


穏やかな声が、正面から落ちてくる。


視線を上げると、ミラベル様――いいえ、美咲さんが、静かにこちらを見ていた。


その表情は変わらず柔らかいのに、纏う気配だけが歪んでいる。


「あなたには関係のないことでしょう?」


黒い靄が、ゆらりと揺れる。

次の瞬間、再び圧が増した。


「……っ!」


押し込まれる。足元の石が軋む。

けれど――


「セレーネ様は、アナスタシア様ではありません!」


声を張る。

一瞬の間。

けれど返ってきたのは、あまりにもあっけない反応だった。


「……は?」


小さく首を傾げる。


「何を、おっしゃっているの?」


理解しようとする気配すらない、ただの疑問。


「アレクシス殿下も、ルシエン様ではありません!」


続ける。今度こそ、と願うように。

けれど――


「……名前なんて、どうでもいいのよ」


やわらかく笑って、そう言った。


ぞくり、と背筋が冷える。

言葉は届いている。けれど意味が、すり替えられている。


(……違う)

このままでは、何を言っても同じだ。なら――


息を吸う。


「……アナスタシア様に、この国の文字を教えてもらった代わりに――あなた、日本語を教えたんですよね」


その瞬間だった。

――ぴたり、と。


押し寄せていた力が、止まる。


風が凪いだように、空気が静まり返る。

黒い靄が、わずかに揺らいだ。


「……え……?」


美咲さんの瞳が、わずかに見開かれる。

そのまま、動かない。

攻撃も、言葉も――すべてが、途切れていた。


けれど。


「……何を、言っているの?」


遅れて零れた声は、ほんのわずかに揺れていた。


――覚えている。

けれど、認めていない。


その矛盾が、確かにそこにあった。


黒い靄が、ざわりと波打つ。

嫌がるように、拒むように。


「……やめて」


小さく、掠れた声。

次の瞬間――ぶわり、と闇が膨れ上がる。


「それが、何だっていうの?」


先ほどまでの揺らぎを押し潰すように、声が落ちる。


「そんなこと……どうでもいいでしょう?」


冷たい。

切り捨てるような響き。


(……違う)


あれは、どうでもいいことじゃない。

あの時間は、確かに――


「私は、選ばれていたの」


静かに、けれど確信に満ちた声。

黒い靄が、再び濃くなる。


「聖女として……必要とされて、愛されて……」


ゆっくりと、視線がセレーネ様へ向く。


「それを、全部――奪ったくせに」


その瞬間、圧が一気に跳ね上がった。


「――っ!」


押し寄せる闇に、再び力をぶつける。

今度はさっきよりも、重い。深い。まるで底が見えない。


(……このままじゃ)


押し返しきれない。

それでも――私は、両手に力を込めた。

けれど、このまま力だけでぶつかっても届かない。


(……だったら)


息を吸う。


「……本当は、わかっていたはずです」


押し寄せる闇を押し返しながら、言葉を重ねる。


「ルシエン様に、愛されていなかったことも」


一瞬――黒い靄が揺らいだ。


「その力を使えば……命を削ることも」


ざわり、と空気が震える。


「それでもあなたは――」


足を踏み出す。


「アナスタシア様に託したはずです」


もう一歩、距離を詰める。


「自分が、いなくなったあとのことを」


ぴたり、と。

今度ははっきりと、動きが止まった。


「…………」


美咲さんの表情から、すっと色が抜ける。


「……そんな、はず……」


かすれた声。

黒い靄が、不安定に揺れる。


「違う……それは……」


言葉が続かない。

揺れている。確かに、揺れている。


――けれど。


「……だから、何?」


ぽつり、と落ちた声。


その瞬間、空気が冷えた。


「それが、どうしたっていうの?」


ゆっくりと顔を上げる。

その瞳には、先ほどよりも濃い闇が宿っていた。


「知っていたわよ」


静かに、はっきりと告げる。


「全部」


黒い靄が、ぞわりと広がる。


「愛されていないことも」


手に黒が集まっている。


「この力の代償も」


一歩、踏み出した。


「その先に、何があるのかも」


また一歩、こちらへ近づく。


「……だから選んだの」


その声には、もう揺らぎがなかった。


「それでも、私がそこにいたかったから」


重く、歪んだ確信。

逃げ場のない言葉。


「選ばれたかったのよ」


黒い靄が、脈打つ。


「愛されるはずだった場所に――」


視線が、わずかに揺れる。


「私が、いるはずだったのに」


――その直後。


ふ、と。


何かが切り替わる。


「……ああ」


小さく、息を吐く。


「そうね……そうだわ」


まるで今、思い出したかのように。


「私――」


ゆっくりと、こちらへ視線を向ける。


「力が欲しかったんだった」


ぞくり、と背筋が冷える。

さっきまでの感情とは違う、冷えた意志。


「だって」


黒い靄が、じわりと濃くなる。


「力があれば」


また一歩、踏み出す。


「ちゃんと、認めてもらえるでしょう?」


その瞳は、どこか遠くを見ている。


「ルシエン様にも」


その名を呼ぶ声だけが、やけに柔らかい。


「今度こそ、ちゃんと見てもらえる」


黒い靄が、強く脈打つ。


「選ばれて――」


声に、わずかな熱が混じる。


「愛してもらえる」


空気が、きしむ。


「だから」


すっと、手がこちらへ向けられる。


「あなたの力、必要なの」


微笑む。

どこまでも穏やかに。


「もらうわね」


すべての敵意が、こちらへ向いた。


――その瞬間。


視界の端で、何かが動いた。


「……っ」


回廊の陰から、ひとりの影。

手に、光る刃。


まっすぐ――後ろへ。


(……っ、まずい――)


セレーネ様たちへ向かっている。


「――セレーネ様、危ない!」


反射的に、声が出る。

わずかに、意識がそちらへ引き寄せられた。


ほんの一瞬。

それだけの隙。


「――遅いわ」


はっと顔を戻した時には、もう遅かった。

黒が、目前まで迫っている。


(……防げない――!)


「――っ!」


咄嗟に目を閉じる――


……衝撃が、来ない。


「……?」


恐る恐る、目を開けた。

視界の前に、影が落ちていた。


白いローブが、静かに揺れている。

長い銀の髪が、光を受けて淡く輝いていた。


あの時、天界で初めて会った姿のセラがそこにいた。


その背中が、すべてを遮るように立っている。

掲げられた手の先で、黒い力が――止められていた。


「……ったく」


低く、押し殺した声。


「本当に、無茶をする」


聞き慣れた声を、耳が拾う。


「……セラ……?」


その名を呼んだ瞬間。

金色の瞳が、わずかにこちらへ向いた。


「どうして?……干渉しちゃだめだって言ってたじゃないっ!」


「大丈夫か?」


「大丈夫か?じゃないよ!」


次の瞬間、黒を弾き返した。

衝撃が周囲を揺らし、空気が震える。


「……制約、破ったな。ま、仕方ないか」


その足元から、光がほどけるように消え始めていた。


「……セ……セラ?」


「……完全に怒られるやつだな、これ」


さっきまで確かにそこにあった存在が、ゆっくりと失われていく。


「やだっ……消えないでっ!」


「……やっぱり、長くはいられないか」


苦く笑うような声。

その姿は、もう半分ほど透けている。


それでも。


セラは一歩だけ、こちらへ近づいた。


「リナ」


呼ばれて、顔を上げる。

その瞬間――

そっと、涙に濡れる頬にセラの指が触れた。


あたたかい。


消えかけているはずなのに、確かにそこにある温もり。


「……守れ」


短く、静かな声。

まっすぐに向けられた金の瞳が、揺らがない。


「やれるだろ?」


問いかけるようでいて、答えは決まっている声音。


「見ているから」


その言葉と同時に。

触れていた手が、ふっと消えた。


「……セラ……!」


伸ばした手は、空を切る。

もう、そこには何もない。


けれど。


胸の奥に、確かに残っている。

さっき触れられた場所が、まだあたたかい。


――見ているから


その言葉が、耳に残る。


「――っ」


息を吸う。


涙で滲む視界のまま、前を向く。

黒は、消えていない。

戦いは、終わっていない。


(……泣いてる場合じゃない)


ぐっと、唇を噛む。

震える手を、無理やり持ち上げる。


(……私が、やる)


「……絶対に、守る。……見てて」


小さく、けれど確かに呟いた。



読んで頂きありがとうございます。

また来週まで頑張ります。


戦闘シーンって難しい……


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