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エルデナの祈り  作者: 春乃


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第43話 想いは形を変えて

窓の向こうには、庭の木々が夜の闇に溶け込んでいる。

柔らかな灯りに照らされた客間は、上質な調度に囲まれながらも静かで落ち着いていた。


視線を向けた先では、オルガが手際よく湯を整えていた。


「お茶を置いておきますね。何かあればすぐにお呼びください」


「うん、ありがとう」


一礼して下がる背を見送り、私は深く息を吐いた。

椅子へ腰を下ろすと、窓辺にいたセラが尾をゆるく揺らす。


『……ずいぶん濃い一日だったな』


「ほんとに……」


湯気の立つ茶器へ視線を落としながら、小さく呟く。

頭の中には、あの紙片の文字が静かに残っていた。


――短い間だけでも、愛されている夢を見ていたい。


「……美咲さんの言葉と、“ベールの聖女様”に書かれていたことは、ちゃんと繋がってる気がする」


『ああ』


「帰れないってわかっていて、それでもこの世界を守ろうとしていた」


茶器を包む指先に、自然と力が入る。


「最後に“アナスタシア、あとはお願いね”って……」


紙片の最後の言葉は、責めるようなものではなかった。

そこには、アナスタシア様への静かな信頼が滲んでいるように思えた。


「美咲さん、自分がルシエン殿下と結ばれる未来はないって……たぶん、わかっていたんじゃないかな」


『そのあと、ルシエンの隣に誰が寄り添うのかも、察していたか』


「たぶん……」


アナスタシア様が書き残した内容とも、そこは矛盾しない。

全部ではなくても、きっとどこかで理解していた。


けれど――。


自然と、アメリアから聞いた言葉が脳裏に浮かぶ。


――ちがう! 間違ってる!

――あなたは知っているはずでしょう!


「聖女様は第六代王の王妃となって、第七代王の時代に病で亡くなった――そう聞いて、“違う”って……」


そのあと、セレーネ様に詰め寄った――。


「……もしかしたら、“聖女様は王妃となった”――そこから、もうずれていたのかもしれない」


小さく息を吐き、お茶を一口飲んだ。


「……紙片に残っていた美咲さんの言葉は、もっと静かだった」


ぽつりと零す。


「あの文字には、穏やかさと……どこか諦めに似たものがあった気がする。でも、今ミラベル様の中にあるものは……少し性質が違う気がする」


『死の間際の想いが、そのまま残るとは限らん』


セラが低く言う。


『強く残るのは、悔いか、執着か……あるいは届かなかった願いだ』


灯りが小さく揺れる。


「……思いが、偏って残ってる……?」


『そう考えた方が自然だ』


完全に同じではない。

けれど、無関係とも思えなかった。


「……じゃあ、今ミラベル様の中にあるのは」


言葉を探しながら、静かに息を吐く。


「美咲さんそのものじゃなくて――残ってしまった苦しさだけが、強くあるのかな」


セラはすぐには答えず、窓の外へ視線を向けた。


『まだ断じるには早い』


その声音は静かだった。


『だが、少なくとも……穏やかなままではいられなかったのだろうな』


そのあとも、考えはなかなか途切れなかった。


寝台へ入って目を閉じても、浮かぶのは今日聞いた言葉ばかりだ。


小さく寝返りを打つと、すぐそばにセラの気配がした。


『……そばにいる。安心して眠れ』


低い声に、張っていた気持ちが少しだけほどける。


白い毛並みに触れながら目を閉じると、いつの間にか浅い眠りへ落ちていた。


♦︎♦︎♦︎


まだ空が白みきる前に、ふと目が覚めた。


眠れたのはほんの少しだったけれど、不思議と頭は冴えている。


視線を向けると、寝台のそばではセラが静かにこちらを見ていた。

どうやら、あのままずっとそばにいてくれていたらしい。


「……寝てなかったの?」


『問題ない』


短い返事に、小さく笑みがこぼれる。


静かに身を起こし、私はオルガが来るのを待った。

やがて控えめなノックのあと、オルガが部屋へ入ってくる。


「お目覚めでしたか。少し早いですが、身支度を整えてしまいましょうか」


「うん、お願い」


髪を整えてもらいながら、自然と昨夜より落ち着いた声で言葉を交わす。

その途中で、公爵夫妻はすでに王宮へ向かったと聞かされた。


「では、朝食はセレーネ様とご一緒になります」


私は小さく頷いた。


食堂へ向かうと、セレーネ様はすでに席についていた。


朝のやわらかな光が白いクロスの上に落ち、整えられた食器が静かに光っている。


「おはようございます、エルリーナさん。昨夜は眠れましたか?」


「少しだけ……でも、大丈夫です」


向かいに腰を下ろすと、セレーネ様はほっとしたように微笑んだ。

けれど、その表情の奥にはどこか落ち着かない色が残っている。


「……公爵様たちは、もう王宮へ向かったと聞きました」


「はい。朝早くに……私も行きたかったのですが」


セレーネ様は静かに視線を伏せた。


「お母様から、外出は禁止と言われてしまって……でも、アレクシス殿下のことが心配なんです」


そっとカップに触れる指先に、わずかに力がこもるのが見えた。


「以前、ミラベル様に言われたことがあるんです。アレクシス殿下に相応しいのは自分だから、婚約者候補を辞退したらどうか、と」


静かな口調だったけれど、その言葉の重さに思わず息を止めた。


「その時は、ただ感情的になっているのだと思っていました。でも……今は何を考えているのか読めなくて」


わずかに伏せた瞳に、不安が滲む。


「王宮にいるなら、殿下に会おうと思えばできてしまいますから……」


伏せられた睫毛の影が、小さく揺れた。


そこまで口にする声音は静かだったけれど、不安は隠しきれていなかった。


婚約者候補――そう聞けば、貴族同士の決められた縁という印象が強い。


私もどこかで、セレーネ様とアレクシス殿下の関係はそういうものなのだと思っていた。


けれど今の表情を見ていると、それだけではないのだとわかる。


ただ立場として気にかけているだけではない。

本当に、大切に思っているのが伝わってきた。


食事を終えるころには、セレーネ様も少しだけ表情を整えていた。

それでも、時折ふと考え込むように視線を落とす様子は消えない。

無理に明るく振る舞おうとしているのが、かえって胸に残った。


「……せっかくですし、少し書庫をご覧になりますか?」


食後の紅茶を置いたあと、セレーネ様がそう言った。


「お母様から、ルシエン殿下の時代の資料なら見せても構わないと聞いています」


「いいんですか?」


「ええ。古い記録が多いですが、きっと参考になると思います」


静かに立ち上がったセレーネ様に続いて廊下を進む。

公爵邸の奥にある書庫は、学園の図書室とはまた違う静けさに包まれていた。


高い棚に並ぶ革張りの書物や箱入りの資料が、長い年月をそのまま閉じ込めているように見える。


「ではごゆっくり、私は少し部屋へ戻ります」


「ありがとうございます」


そう言って見送ったあと、私は机の上へ運ばれた資料をそっと開いた。

古びた紙には、ルシエン殿下の時代の王宮記録や、公爵家とのやり取りらしい文面が丁寧な文字で残されている。


ページをめくるたびに、静かな紙の音だけが響いた。


――その時だった。


控えめなはずの足音が、珍しく急いだ気配を帯びて近づいてくる。


「エルリーナ様――失礼いたします」


書庫の扉が開き、公爵家の執事ダレンが姿を見せた。

普段は落ち着いた物腰の人なのに、その表情には明らかな焦りが滲んでいる。


「どうかされましたか?」


問いかけると、ダレンは一礼しながらもすぐに口を開いた。


「セレーネ様が、お部屋にいらっしゃらないのです」


思わず手が止まる。


「え……?」


「こちらへはお見えでしょうか」


「いえ……書庫には」


首を振ると、ダレンの顔色がわずかに曇った。


「少し席を外されたのかと思いましたが、侍女の姿も見当たらず……邸内を探しております」


胸の奥がひやりとする。

朝の食卓で聞いた言葉が、すぐによみがえった。


――アレクシス殿下のことが心配なんです。


以前、ミラベル様に言われたこと。

王宮にいるなら、会おうと思えばできてしまうこと。


そこまで不安そうに話していた横顔が浮かぶ。


「……まさか」


小さくこぼれた声に、ダレンが視線を向けた。


「王宮……でしょうか」


私が言うと、ダレンは一瞬だけ息をのみ、すぐに表情を引き締めた。


「確認いたします」


そう言って足早に去っていく背中を見送りながら、胸のざわつきは消えなかった。


セラがいれば、何かわかったかもしれない。

けれど今は、火事のあった寮の様子を見に行っていてここにはいない。


静かなはずの書庫が、急に落ち着かない場所に思えた。


じっとしていられず、私はそっと資料を閉じる。


――行こう。


書庫を出て、公爵家の客間へ向かうと、すでにオルガが準備を整えていた。


「エルリーナ様。セレーネ様の件は伺っております」


落ち着いた声に、思わず足が止まる。


「王宮へ、お探しに向かわれるかと」


「……うん」


頷くと、オルガはすぐに衣装を差し出した。

装飾を抑えた外出用のドレスに、動きやすいブーツ、軽いケープ。


「急ぎでも動けるよう整えてあります」


「ありがとう」


手早く着替えを済ませ、私は廊下へ戻る。


せめてダレンに伝えてからでもいい――そう思った、その時だった。


ふわり、と足元の空気が揺れる。


「……セラ?」


次の瞬間、白猫が姿を現した。

白い毛並みの一部には、うっすらと灰がついている。


「戻ってたの?」


そう声をかけるより先に、セラはまっすぐこちらを見上げた。


『王宮へ行くぞ』


低い声に、思わず目を見開く。


『説明してる時間はない。火事だけじゃ終わってない』


短く言い切る声に迷いはなかった。


『嫌な流れだ。周りの魔物たちまで落ち着かなくなってる。刺激されてる』


胸がひやりと冷える。


「待って、セレーネ様が――」


セラの耳がぴくりと動く。


「さっき執事のダレンが探しに来て、いなくなったって……たぶん、王宮へ向かったんだと思う」


一瞬、白い瞳が細くなった。


『……余計に急ぐぞ。遅れると面倒になる』


私は小さく息をのんで頷いた。


ちょうど廊下の先から、ダレンが戻ってくるのが見えた。

足取りは先ほどよりさらに速い。


「エルリーナ様」


呼び止められるより先に、私は口を開く。


「私も王宮へ向かいます。セレーネ様が向かわれたなら――」


ダレンは一瞬だけ目を見開いたが、すぐに表情を引き締めた。


「奥様にも報告は済んでおります。私もちょうど王宮へ向かうところです」


短く言いながら、そのまま玄関へ向かう。


「急ぎですので、こちらへ」


外へ出ると、すでに公爵家の早馬が引き出されていた。

緊急時に使われる、小柄ながら脚の速い馬らしい。

朝の空気の中で、馬が小さく鼻を鳴らす。


「失礼いたします。振り落とされませんよう、しっかりお掴まりください」


促されるまま手を借りて鞍へ上がる。

慣れない高さに、一瞬身体が強張った。


ダレンもすぐ後ろへ跨がり、手綱を取る。


(どうか……無事で)


次の瞬間、馬が石畳を蹴った。

公爵邸の門を抜け、王宮へ向かって一気に駆け出す。


胸の鼓動だけが、やけに大きく響いていた。


今週からよろしくお願いします。

またお休みするかもしれませんが……

頑張ります!

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