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FAKERS  作者: 宇津木
彼らは、救いを与えてはならない
34/35

 

 それを前提にした付き合いは順調に気持ちと関係を作り上げ、義理になる母に遅れて、父にも認められるようになってきたのは始まりから三年が経とうとしていた頃だった。

 何より、父の目が娘よりも息子に向くことが多くなったことも理由の一つだろう。それは血のつながりと言うよりも性別と言うことよりも、ただ父の血を継いだ彼が父に似ずやんちゃだったということに起因していた。

 それは、父と言うよりも幼馴染の彼に似ているようだ。

 「義母さん、よくこんなのの相手をしてたよね」とは、息子を寝かしつけてからの言だ。時たま夜中にトンデモ案件をぶち上げる(寝ぼけて這いまわってタンスにしこたま頭を打ち付けて血だらけになったり、気配を消して押入れに入り込み布団に押しつぶされて青くなったりしている)ので、酒は飲めない。

 車なら自分が、と申し出たが、遠慮された。困った顔で嬉しそうに振り回されているのだから、親ばかと言って差し支えないだろう。

 娘のほうも気に掛けていないと言ったら大ウソで、出掛ける時はしっかり釘を刺されるし、帰りが少しでも遅れる時は藤枝から電話を入れなければ次のデートは道場になる。想像通り、相手は美琴ではなく蒼一だ。

 足腰立たなくなるほど苛め抜かれて、帰りの運転がその時ほど怖かったことはない。

 高校を卒業して、家から通える国立大学の法学部に進学してから、娘の猛反発と息子のイヤイヤ期にようやく蒼一は白旗を上げて、泊まり掛けが許可されることになった。

 真夏の祭りに誘われたのは初めてその泊まり掛けで行った旅行の帰り道だ。旧暦の七夕を祝う祭りだが、十数年前から当日ではなく直近の土日にぶつけて開催されている。観光収入を狙った、大人の事情、というやつだ。

「お父さんが、来るなら客間使っていいって」

 断りづらい攻め方をする蒼一に藤枝はそろそろ慣れてきた。サプライズであの人たちも連れてこようかな、と思うくらいには余裕が出てきている。

「じゃ、次は一カ月後か」

 大学も中々に忙しいらしく、毎週は会えなくなってきている。剣道部も続けて、まだ一年だというのに就職のために先輩訪問もしているそうだ。

 その先輩の一人には、藤枝も一度会ったことがある。


 赤色灯を回して常磐の武道場の前に停まった県外ナンバーから人相は悪いが体格のいい男たちが下りてきたと思ったら、美琴が臆することなくその面々に駆け寄っていった。白瀬の道場に通っていた県警本部の刑事たちだ。

 ベンチに座ったままの蒼一にも声を掛けて、蒼一も申し訳なさそうに笑っていた。

 運転席から降りてきた彼は、藤枝と同年代だったがおそらく藤枝よりは美琴と年が近いだろう。その声が「美琴ちゃん」と呼んだのに嫉妬したというのは聞かれない限り秘密だ。

 キャリア警察官を目指す美琴の邪魔はできず、藤枝はそろそろ転職かな、と考え始めている。

 幸い、深緋妻にしごかれてIT関連も十分な知識とスキルを持った。アップデートは都度必要だがそれはどこにいてもできるほど自由が利く。

 白瀬芳。それとも藤枝美琴?小野寺に戻してもいいかな、とにやにやしてたら、「芳さん気持ち悪い」とバッサリ言われて凹んだ。


 そのお祭りは、例年以上の人出だった。

 数年前に藤枝の名義になった青のスポーツセダンを白瀬家に置き、しじら織の黒い浴衣に赤の角帯を結んだ彼と並んで歩く。美琴はと言えば紫紺に白く藤の花が抜かれた上品な浴衣だ。帯は彼とおそろいの赤。幼馴染の母が和裁をやる人で、わざわざ今日のために仕立ててくれた。届けに来てくれた幼馴染は、にやにやして「順調だね」と揶揄って帰っていった。

 込み合う電車では藤枝が庇って立ってくれ、着崩れもしないまま駅のホームに立った。彼と初めて会った時のホームだ。

 人ごみに紛れないようにと手をつないで、ゆっくりと花火の観覧席まで歩く。いつもは多い車通りも規制されて、それでもにぎやかな喧騒に負けない様に「何か買う?」と藤枝を見上げた。

「そうだね、まだ時間あるでしょ?」

 成人したとはいえまだ飲めない美琴はお茶を、藤枝はビールとツマミのセットを買って、観覧席の外れに並んで座る。美琴が座ろうとした場所にさりげなくハンカチを敷いてくれるあたり、大人の余裕が見えた。

「梢さんたち、来れなかったの?」

「声は掛けたんだけどね。検診に重なっちゃったんだって」

 梢の妊娠の報を彼から聞いたのは春先で、先月会った時はもう大きくなった腹を抱えるように歩いていた。妊娠後期だというのに悪阻が重いらしく、早めの産休に入って里帰りしてきたという。本邸で甲斐甲斐しく梢の身の回りの世話をしていた彼は、一言、「無理すんなよ」と言っただけで藤枝を送り出した。

「お祝い届けに行かなきゃね」

 生まれてくる子は異母弟妹になるのかそれともイトコになるのか、その辺は考えるとこんがらがって来るので早々に放棄した。

 お祝いは何がいいかなと話していたら定刻はいつの間にか過ぎて、それ特有の甲高い音が聞こえてきて、腹に響く低音が耳朶を打った。

 歓声が大きくなって、夕闇に咲いた打ち上げ花火を迎えた。

 夏の風物詩。次々に打ち上げられる花火を共に見れる人がいるのが嬉しくて、ビールが入った安っぽいプラスチックカップを傾ける藤枝を見上げる。

「ん?」

「何でもない」

 何気ない会話も時折落ちる沈黙も心地よくて、触れる手も優しくて、大事にしてもらっていることは十二分に分かった。最初に言われた順番も間違えずに段階を踏んでくれたし、一般的に面倒くさいと思う父や母との交流も大事にしてくれているのを感じる。

 そんな彼に、自分は何か返せてるのかな、と空いている手を絡ませた。

 ひやりと、冷えていた。

(あれ?)

 指を絡ませて、その冷え方がビールの冷たさでないことを確認して藤枝の顔を振り仰いだ。

 花火のために照明は絞られていて、更にその花火が色とりどりにその顔を照らすので、正確な色は分からない。だが、その顔は微笑みながら確かに強張っていて、そしてその手は細かく震えていて、困ったように「ごめん」と言われて、それが間違いじゃないことを知った。

「どうしたの?」

「分かんない、気持ち悪い」と、背を丸める藤枝を美琴は初めて見た。その背を摩って、どうしよう、どうしたらいい?と混乱する彼女の耳に、携帯が震える音が聞こえた。

 音源は藤枝の携帯だ。弱々しく「はい…」と応答して何事かを話していたが、途中で限界が来たらしく、携帯を美琴に渡してきた。訳も分からずそれを耳に当てて、「もしもし?」と吹き込む。『よぉ』と聞こえた低い声は遺伝子学上の父だ。

「芳さん、どうしたの?すごくつらそう」

『だろうな。とりあえず音の聞こえねえところに連れてってやれ。ちとトラウマってるから、落ち着いたら帰れよ』

 トラウマ?と聞いたら、その辺は濁された。電話を切って、辛そうな藤枝を連れてその場を後にする。途中、会場の係員が手を貸してくれて、救護所で少し休ませてもらった。

「駅まで歩ける?」

「うん。大丈夫」

 音が聞こえなくなった隙に、会場に背を向けて、流れに逆らいながら歩く。手をつなぎながら先を行く藤枝の歩調は、早くこの場を離れたいと雄弁に語っていた。足早に改札を抜け、タイミングよく電車に乗り、(来る時とは打って変わって、座れるほど空いていた)ようやく藤枝は大きく息を吐いた。

「せっかくの花火だったのにごめんね」

 短い髪の間から汗が流れてくるのを見て、美琴はその汗を手拭いで拭いてやった。「ありがとう」と握った手は、ようやく熱が戻ってきたようだ。

 事情を聴きたかったが、空いているとはいえ周りに何人か人もいたのでそれは憚られた。電車を降りるのを待って、帰り道の途中にある公園に誘われて、ベンチに並んで座った。

「俺の家庭の事情は話したことあったよね」

 藤枝は、美琴の手を優しく弄んでいた。されるがまま首肯して、話の続きを待つ。

「まさか花火の音がダメだなんて思わなかった」

 今まで、祭りに行く機会などなかった。あの音が聞こえた時、あの時の光景がフラッシュバックした。悪夢など、もうとんと見なくなっていたのに。

「情けないね」

 丸まった背中と、微かに震える声に、美琴はそっと寄り添った。強く強く、この人を支えたいと思った。この人の家族になりたいと思った。

 無理やり藤枝の膝の上に乗ってその首に抱きつく。一瞬驚いたような顔が見えたが、おずおずとその手が背に回るのが分かって、腕に力を込めた。

「芳さん」

「うん?」

 形のいい耳に、静かに吹き込む。ピアスの穴はもう塞がってしまっているようだ。

「あたし、芳さんと家族になりたい」

 夏の、蒸し暑い空気が二人を包む。じっとりとした湿気は、まるで温い風呂に浸かっているようだ。美琴の腰を抱いた藤枝の腕に優しく力が入って、小さなため息が漏れるのが分かった。

「今日は俺、ホント情けないな」

 一度腕が離れて、浴衣の袂から藤枝が小さな何かを取り出した。

「花火見ながら渡すつもりだったんだけど」

 街灯の小さな光に浮かんだのは質のいい指輪ケースで、柔らかそうなベルベットにシルバーの指輪が鎮座していた。驚きで声が出ない美琴に「今日、なんの日か覚えてない?」といつもの優しい声が聞こえた。

「え?」

 せっかくまとめていた髪を、さらりと解かれた。チクりとした痛みが頭皮に走り、記憶が一気にあの時に舞い戻る。この人の熱と香りを初めて背に感じたあの時だ。

 とんでもないことを教えられた。信じられないほど怖い思いもした。それを一番近くで守ってくれたのはこの人の背中だ。

「これからも、あなたを守らせていただけますか?」

「イヤ」

 涙があふれる。泣き顔を見られたくなくて、また首に抱き着いた。

「あたしだってあなたを守りたい」

 小さく笑う気配がした。背中に温かい手が添えられて胸の奥が詰まった。

「ホント、カッコ付かないな」

「そんなことないもん」

「そう?」

 影が重なった。

 左手の薬指にそれを嵌めて帰ったら、両親はどんな顔をするだろう。小さな弟が間違って口に入れないように気を付けなきゃ。

 幸せであたたかな気持ちが満ちる。

 空では、こと座のベガ、わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブが、大きな三角を形作っていた。

 


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