***彼らが行動するのは他の誰かのためではない***
流血、暴力、同意のない男性同士の性的な表現があります。苦手な方はご注意下さい。
ひどく身体がだるくて目が覚めた。うっすらぼやける視界を部屋に遊ばせて、清潔そうな白衣に身を包んだ背中を見つけた。瑠璃が目覚めたことに背中は気付かず、部屋を出ていったのを見送って、瑠璃はまた目を閉じた。
二度目に目を覚ました時、気持ちのいい春の風が頬を撫でたのに気付いた。開けられた窓の外に目を向ければ、のっぺりとした色の春の空が窓いっぱいに塗られていた。最初に目を覚ました時より三十秒ほど長く意識を保った彼は、また心地いい夢に身を任せた。
そして三度目。
「ーーーーっ!」
脳天に激痛が走って瑠璃は悲鳴を上げた。だがその声は抑声具に飲み込まれ、痛みのもとに伸ばした手も身を守ろうとした足も拘束具に捕えられて動きを止めた。
見上げた先にはあの男だ。狂気に満ちた目がこちらを見下ろして、生理的な涙を浮かべた彼のわき腹の傷をさらに痛めつけて、瑠璃を苦しめてから放した。身動きの取れないままひたすら呼吸を整えることに専念する。熱く傷が脈打ち、脂汗が流れていくのが分かる。
「キミにこんな形で虚仮にされると思わなかったよ」
血の付いた手術用のゴム手袋を外しながら、彼はベッドに腰を掛けた。ひんやりとした手が瑠璃の首に掛かり、少しずつ力が加わる。
「それで?蒼一は逃げたよ。でも、ボクは子どもを見つけた」
(子ども…?)
「このまま、くびり殺してあげようか」
力の込められていく手に呼吸が妨げられ、心電図と血圧計のアラームが警告音を鳴らした。痛みと音に神経がかき回されて、頭が回らない。
(うるせぇ、うるせぇ!)
聞かなければならないのは、あの日の、あの時の音だ。なんの反応もできなくなった男が奏でていた、あの時の…。
「何してるんですか基樹さん!」
慌てた声が部屋に響いて、首に巻き付いた圧迫感がようやく消えた。流れこんでくる空気をむせながら吸い込み、声の主を見上げる。紺色のポロシャツを身につけて基樹の身体を羽交締めたのは、だいぶ身長は伸びたが見覚えのある顔だった。
「離してくれる。健太郎」
(あぁ、やっぱり)
母親から受け継いだ目元は、成長してさらに似てきた。あの時悲壮な顔をしていた彼女はどうしているだろう、と考えてようやく、あったことのすべてを思い出した。
倒伏した彼女。立ちふさがった蒼一。意識を失った研究員たち。そして、瑠璃を見下ろした両親。
幼馴染の、涼やかさを通り越して冷たさを感じる声に怯えた健太郎がわずかに身体を離す。拘束がなくなった男は、怒り冷めやらぬ様子で瑠璃が横たわるベッドサイドの柵を荒々しく下ろして、瑠璃の拘束具と口元の抑声具を外していった。だが、自由になったはずの身体に力は入らず、身を起こすこともままならない。
「リュウちゃん、無理しちゃだめだ」
健太郎はそう言うが、男に睨まれて沈黙した。
ようやく身体を男たちのほうに向けて、上体を支える。震える腕は自分のものではないようだ。伸びた髪が、サラリと目元を覆う。
その髪を、男が掴んで引っ張った。突然の挙動に体勢を整えられなくて、そのままベッドから落ちた。心電図やら血圧計やらのコードは引っこ抜かれて沈黙し、腕についていた点滴の針もその力に逆らいきれずにテープごと外れて抜けた。無理に抜けた分、血が周辺に飛ぶ。
最悪なことに導尿もされてたようで、管が抜けきれずにあらぬ場所に激痛が走った。
自分で無理やりそこから引っこ抜いた管を、慌てた健太郎が処置してくれる。
もはやどこが痛いのかも分からなくなって、冷たい床で這いつくばったまま痛みの嵐が過ぎるのを必死に待った。
…―――待ってくれるような男ではなかったけれど。
床に着いた手は革靴に踏みつけられて、また悲鳴が上がった。踏みつけた男を見上げた視界の中で、健太郎がまた男を止めようかと逡巡してるのが見えた。健太郎の泣きそうな視線がこちらを向いて、咄嗟に首を振って答える。
(だめだ、動くな)
「それで?ほかにキミは何を知ってるの?」
手を踏みにじりながら、仁王立ちした男が冷たい声を降らせる。意識を蹂躙する痛みに耐えながら、ようやっと「何の話だよ」と返した。
苛立った男がまた髪を掴んで、顔を上げさせる。
「小野寺家の子どもの話だよ」
(あぁ、くそ)
(見つかったか)
間の悪さを恨みながら、それを悟られないように鼻で嗤う。
「テメェは知ってたはずだぜ?」
健太郎がどこまで知っているか分からないが故に遠回しになった言葉は男を揶揄っているように聞こえて、平手が飛んできた。目では追えるのに身体はいうことを聞かず、頬を張り飛ばされて床に倒れこむ。
心臓が拍動するのに合わせて、全身が痛む。
痛みに耐えながら男を見上げて、見上げた男にまたわき腹を足蹴にされた。
男を止めようと動こうとする健太郎をその都度目線で制して、男が気のすむまで瑠璃はその暴力に耐えた。
「基樹くん、もうやめて」
そんな声が遠くで聞こえて、数秒意識が飛んでいたことを知る。その声は完全に泣いていて、二歳下の幼馴染に嫌なものを見せてしまった罪悪感が掠めた。
「健太郎、いいから。もう、外に出ろ」
身体を起こしながら、男に食い下がる健太郎に声を掛ける。振り返った顔に涙はなかったが表情は完全に泣いていた。
「いいから、出てろ。大丈夫だから」
呼吸を整えながら、ようやく、胡坐をかいて座る。上体を起こした身体は貧血を起こしているのか眩暈と吐き気がする。
男と二人きりになって、また男の手が瑠璃の髪を掴んだ。
「そろそろやめろ。殴り慣れてねぇんだから、ケガすんぞ」
拳を振りかぶろうとする男にそう忠告する。痛みに歪んだ瑠璃の顔を見下ろして、何かに気付いたように目を眇めた。
「ふーん」と、こちらを見下ろす顔は面白いおもちゃを見つけた時のもの。問わなければよかったと後悔したのは恐ろしい答えが返ってきた後だった。
「同性愛者の気持ちがちょっと分かったよ。キミなら啼かせてみたい」
顔が引きつるのが分かって、抵抗しようとした身体は、けれど力が入らないままで逃れることはできなかった。男が目を瞠って、愉快そうに声を上げる。
「キミ、怯えたの?キミがそんな顔するの初めて見た」
男がしゃがんで瑠璃と目線を合わせる。張り付いた笑顔は心の底から瑠璃に恐怖を覚えさせた。
色を含んだ声が、瑠璃を支配する。
「ねぇ、ベッドに戻って」
イヤだ…そう首を振る。何をされるのか、自身に何が起こるのか、男の掠れた声が背筋を冷やした。
髪を掴んでた手が離され、そのまま頬を撫でる。その柔らかな撫で方が、恐ろしかった。
「お仕置きなんだから、嫌なの当たり前でしょ?それとも、他の子に変わってもらう?そこに健太郎もいるし、梢でもいいよ。他にも何人か候補はいるけど?」
泣きそうな顔をした瑠璃が視線を彷徨わせて俯いた。膝の上で節だった指が拳を握ったのが男にも分かる。
固く、白く。
伸びた髪を揺らして、瑠璃の首が、否定に振られた。
※
その硬いベッドで瑠璃を犯しながら、男は絶望の言葉を繋げた。
「ボクさ、女の子に手を出すの、ちょっと慎重になってたんだよね。後継者の問題もあるし、この秘密が漏れたらまた面倒だろ?でも、キミが相手ならそんなのも別に気にしなくていいんだよね」
組み敷いた身体から抵抗の力がなくなっているのに男が気付いたのは、一度目を終えてからだった。
久方ぶりの充足感に荒くなった呼吸を整えながら、均整の取れた太ももや腹を優しく撫でてやる。だが、最初の頃の初心な反応もない。男性ホルモンが少ないのか、毛の薄い青年の産毛の感触を楽しみながら、その手を青年の頬に当てて抵抗のないその顔をこちらに向かせた。
父と母を上手に受け継いだ美人な顔は、魂の抜けた空虚を男に向けた。焦点の合っていない切れ長の目がぼんやりと男を捕えて、男にこれ以上ない感情を抱かせる。
(堕ちた)
ようやく手に入れた、と。
医療人とは真逆の存在。男が持っていない物を、彼は最初から持っていた。
人を破壊することに一切の躊躇もない覚悟と高い身体能力をどこまで伸ばせるのかと、外界から孤立させて、人を騙す術を、壊す術を徹底的に仕込んだ。ただ、最初を優樹が育てたせいか情に脆いところがある。蒼一を逃がしたこともそうだし小野寺家の子どももおそらく見逃したのだろう。人質が効く利点はあったが、いつまでも反逆される危険性を内包できない。
薄く開いた唇にそっと口付ける。舌を絡ませればおとなしく応えた。従順な態度に胸が高鳴る。
「いい子だね」
そう言って頬を撫でてやれば、ぼんやりとした顔でそれでも瑠璃は笑った。撫でる手に、気持ちよさそうに頬擦りする。もう一度、薄い唇に口づけを贈る。
「もう、ボクに隠し事しちゃだめだよ?」
「ん」
掠れた声で返事をする素直さに気をよくしてから男は身支度を整えた。瑠璃の身支度と、点滴が無理に抜けた腕や自身が痛めつけた傷の手当ても手早く済ませる。
済ませてから、ようやく健太郎を室内に呼んだ。瑠璃の身の回りをサポートさせるためにアルバイトとして雇った彼は、青ざめた顔でベッドに横たわる幼馴染を見下ろした。疲れ果てたらしい瑠璃はすでに眠りに落ちている。
「薬が抜けたら武道場の仮眠室に連れてって。住めるようにしてあるから。筋弛緩剤と麻酔が入ってるから、多分明日になると思うけど、人目に付かないようにね」
その行為の後は寝物語のつもりか男は饒舌になった。
「キミはね、エコーで見る限りは女の子だって言われてたんだよね。だからボクのお嫁さん候補だったんだよ。部外者に秘密を作るより、価値観を植え付けておいたほうが都合いいだろ?男の子だって知って、旭と茉莉亜はすごくがっかりしてた」
「ボク、昔からキミが欲しかったんだよね。こんな意味じゃなくてさ。キミ、七歳くらいで本邸の二階のベランダに忍び込んだことあっただろ?あの時から気になってたんだけど。高校生になったばかりのキミが喧嘩をしてるところを見掛けて、キミの覚悟を決めた時の目が綺麗で、本気で欲しくなったんだよね」
「旭と茉莉亜がなんでキミに冷たくしていたか、分かる?ボクがお願いしたの。叩かれて育った子どもは、たった一回、承認欲求を満たしてあげれば堕ちるからね。キミは他の人に助けを求めるのが下手だし、面白いくらい思い通り動いてくれた」
「ボクのほかにも子どもと入替った人間が何人かいるけど、なんでその人選にキミを入れなかったか分かる?当たり前の話なんだけど、運動能力はその肉体を操作する脳に依るんだよ。入れ替わった人間にもいろいろ試してみたんだけど元の身体以上の実力は出せなかったんだよね。旭とも話し合ったけど、キミのその運動能力を無くすのはもったいなくてさ」
肌を重ねた姿のまま話されるそれを、瑠璃はほとんど理解しないまま聞いた。
理事長室の隣に設えられた仮眠室で、それは行われた。
仮眠用と言いながらも上等なベッドに、理事長の私物である文庫本や贈答品のアルコールのミニボトルがディスプレイされた棚、小型の冷蔵庫やTV。それらをぼんやりと目にしながら、瑠璃はそれが終わるのを待った。
「未練でもあるの?」
理事長がそう聞いたのは、TVである職業の特番が流れていたからだ。彼が何事もなければ就職先として選んでいたであろう職業の、紺のTシャツとオレンジ色のユニフォームに身を包んだ姿が映る。
理事長の問い掛けに、瑠璃は首を傾げて、目を閉じた。
その年の九月に行われた、半年に一回の定例会議に初めて参加して、瑠璃は、己が肌を重ねた女性の名前を知った。
佐倉美春の目的が実験のための体液だったと知って、そして蒼一と肩を並べる映像を見て、またオレは選ばれなかったのだと絶望した。悔しくて悲しくて、腰に回された理事長の腕に身を任せることが増えた。自身を選んでくれるその腕に囚われた。
それが、理事長の謀略だとしても、その頃の瑠璃にはどうでもよかった。
「言い訳するわけじゃねぇが、その頃は記憶がはっきりしてねぇ。何をしたのかも、何をされたのかも」
話している間に、お茶は冷えていった。温くなったそれをまた一口含む。
なぜそんな優しい声色で話ができるのか。自身はこれ以上ないほどの屈辱を与えられて。
ジッと己を見つめる藤枝に、彼が笑う。
「何?理事長が抱いてた身体に興味ある?」
「…もしかして、今も、ですか?」
「まさか。さすがにもう興味ねえだろ」
軽い口調で言い切られて、自分の身に置き換えて震えた。どうかもう許してくれと、過去のその人に懇願したくなる。
「…よく正気でいられましたね」
望まぬ行為、意に沿わぬ生き方。呟いた藤枝に彼は目線をマグカップに落とした。
「梢に会えたからな」
この人の声はどうしてこんなにも俺を揺さぶるのだろう。もしかしたらその人との間に在ったことは全て優樹の思い違いだったのではないかと抱いた期待は、「んなわけねぇだろ」と打ち砕かれた。
その辛さを知っている貴方が、何故。
「言い聞かせたって聞くわけねぇんだよ、あの兄妹は。だからオレに未練なんか残さねぇようにあんなことしたのに、あいつは逃げられなかった。ならオレが手元に置いて、巻き込まれねぇようにしなきゃと思った」




