~Sの場合~
“もしよかったら明日の昼間、少し会えないかな?”
SNSのメッセージ機能を使って連絡した美琴の携帯に通知が入ったのは土曜の夕暮れで、さらに美琴がその通知に気付いたのは夕食も入浴も終えて自室に戻ってからだった。上げそうになった悲鳴を必死に喉の奥で抑え込み、メッセージを開く。
“こんにちは、メッセージありがとう”から始まり、あれからの近況が少し続く。出張で市内に来ていた彼は、明日の夕方帰るらしい。海沿いを見ながら観光もしていくつもりだと。そして文末がそれだった。
悲鳴を堪えながら悶えるに任せて敷いた布団の上を転がる。
爆上がりした心拍数に心臓を傷めながら、友人二人にグループメッセージを送った。こちとら恋愛初心者だ。アドバイスが無ければ何にもできない。
送り返すメッセージはどうの、タイミングはどうの、というやり取りを何度か繰り返してから、ようやく諾の連絡を送る。
ミッションクリア、と安心したのもつかの間、携帯がまた、新着を知らせた。
観光して帰るという彼が空いているのは昼食の時間帯だけで、一緒にどうか?というお誘いだった。時間と場所をすり合わせて。ようやく“お休み”のメッセージが付いた。
突然決まったお出掛けの予定に浮足立つ。何を着ていこうか。
普段が道着かジャージばかりなのが悔やまれた。
「美琴?一人で何を騒いでるの」
ふすまの向こうから母親が声を掛けてくる。少しはしゃぎすぎたか、と慌てて「ごめん」と返しながらふすまを開けた。
「ちょっと明日出掛けてくるね」
「遅くなるの?」
「夕方の稽古には戻ると思う」
「そう、お父さんにも話しておきなさいね」
と、いい気分になっていたのにこれだ。言外に夫婦の会話はないということを強烈に突き付けられてテンションが下がる。寝る前にやめてくれ。と慌てて思考を切り替えた。
「出掛けるなら早く寝なさいよ」
「はーい、おやすみなさい」
布団に潜り込んで、先週背中で聞いた声を思い出す。
下がったテンションを無理やり上げて、美琴は眠りについた。
肌見せは女子高生の特権だと息を巻いていたノリのいいほうの友人を無視して、友人たちと出掛ける時も着る七分丈のシャツワンピースとレギンス姿だ。普通一般の女子高生より筋肉質なので、あんまり見せたくない乙女心を誰か分かってほしい。
その代わりと言っては何だが伸び掛けた髪は頑張って編み込んでみた。アクセサリー類は持っていないので、左耳の後ろに纏めて紺色のシュシュで結ぶ。
目の前に座った彼は、柔らかい青の開襟シャツとグレーのスラックス姿だ。乗ってきた車は青のスポーツセダンで、ドアを閉めたり鍵を掛けたりの慣れた感じに、また美琴は内心で盛大に悶えた。他の客の目がなかったらきっと顔を覆っていただろう。
彼はこちらの土地勘がないそうなので、美琴は家の最寄駅から二つほど離れたところにあるカジュアルレストランを指定した。ランチコースのメニューがセレクトによっては男性にも満足できるボリュームになるので、白瀬家ではファミレスを選びたくない時によく使う。
昼も早い時間に席に着いたその店は、白い外観が特徴的な建物だった。東側に大きくとられた窓をグリーンカーテンで覆い、外からの視線を遮断する。客のおしゃべりを邪魔しないクラシカルなBGMに、細工の施された調度の数々は鑑賞だけではなく実用にも適し、客のプライバシーを守るようにセッティングされていた。
「うちのほうも緑は多いけど、根本的なセンスが違うよね」
店内を興味深そうに見回しながら、名刺に藤枝芳と名前を載せていた彼は苦笑を滲ませた。
食事中、話をしたのは美琴がメインで、上手く話を聞いてくれる彼に、学校や部活の話、家族の愚痴までつらつらと話してしまった。かと言って彼が何も話さないというわけでもなく、合間合間に仕事の苦労話や、上司の愚痴を面白おかしく話してくれた。
ランチコースはデザートまで進み、冷たいシャーベットで口の中をさっぱりさせる。
「ごめんね、忙しい思いさせちゃって」
部活はなかったのかと問われて、日曜は隔週で休みなことと夕方から稽古だと答えると、彼は少し困ったようにそう言った。
「帰る前に連絡先、交換しておきたくてさ」
SNSじゃなくてね、と、続けられて、耳が熱くなった。
彼は、隣県にある医療法人でシステム関係の仕事をしているらしい。あの日は、出張先で会った関係者の自宅に呼ばれて電車に乗っていたそうだ。
合気道歴が長いが、五年ほど前から剣道も始めたと知って、話が弾んだ。
「そのきっかけになった上司が強くてさ、こっち竹刀持ってるのに勝てる気がしないの」
怖いよね、と言いながらその表情は嬉々としていて、その人を尊敬していることは見て取れた。彼と話をし始めて二時間程度だが、その人に懐いている様子まで目に浮かぶようで口元がほころぶ。
「美琴ちゃんのとこの道場は怖い人いないの?」
「うちはお父さんが一番怖いです。強い人で言うと部長さんが一番ですけど」
「部長さん?」
「あ、今県警さんの剣道部がうちの道場使ってて。空気感が全然違うんですよ」
実力の拮抗した人が相手だと、父の反応が全く違う。道場が全盛期だったのは震災の前で、あれを期に道場から離れた人は戻っては来なかった。今通っている門下生は父と一番近い人でも十歳は年下で、父はずっと指導する立場でいた。それが最近は楽しそうなのだ。
「そうか~。ホントならドライブにでも誘いたかったんだけど、そんなに怖いんだったらしばらくは無理だね」
しばらくは、ってどのくらいだろう?そのあとは?と邪な考えがよぎる。柔らかく動くのに女性らしさのない唇や指がやけに目に付いて、赤くなっているはずの頬や耳を見られたくなくて慌てて席を立った。こんなの、みんなはどうやってやり過ごしているのだろう?
トイレに逃げ込んだ隙に会計を済まされていて、「駅まで送ってくくらいは許してくれるかな?」とエスコートされた。
助手席に乗せられて、運転席に座った彼との距離に緊張する。シートベルトをした美琴に「はい、人質」と几帳面な写真が載った免許証を預けてきた。
「写り悪いからあんまり見せたくないんだけどね」
「そんなことなさそうですけど」
エンジンを掛けて、藤枝がギアチェンジをする姿に、初めてこの車がMT車だと知った。シフトレバーに男の手が近付くたびに、いちいち心臓が跳ねる。
「車、お好きなんですね」
「え?あぁ、この車?例の怖い上司のなんだよね。今まで遠出する機会とかなかったから自分の車って持ってなくてさ。電車でも良かったんだけど、車あるとやっぱり楽だね。ちょっと癖あって運転しづらいけど」
「そんなこと言って怒られません?」
「知られたらね。だから内緒」
懐っこい横顔に、また顔が熱くなる。店からたった五分のドライブは、楽しく過ぎていった。




