7.殴りかかっていいですか?
「――あら、お可愛らしい。妹さんね」
応接間。
旦那様と歓談なさっていたご令嬢が、お嬢様の入室でソファから立ち上がる。
「はじめまして、アドリアーナ様。わたくし、エルネストの妹、シェリア・ブランドンと申します」
車椅子に座ってるのが惜しいぐらい、完璧な挨拶をなさったお嬢様。これで、ちゃんと立つことができていたなら。お嬢様というより、王女様って感じのとても優雅で完璧な挨拶だっただろうに。
足が悪いことが悔やまれるなあ。
「わたくし、アドリアーナ様にお会いしたかったの」
ニコッ。
(くうっ! かわいい~~っ!)
この場にいるすべての者を魅了するような微笑み。
そう感じたのは旦那様はもちろん、アドリアーナ様も同じだったようで、口の端を柔らかく緩めていらっしゃる。
(これが、アドリアーナ様……かあ)
男爵令嬢、アドリアーナ・フォルツァ様。
お嬢様もそうだけど、お会いするのは、わたしも初めて。
豪華な印象の金色の髪。蜂蜜を溶かしたような? 日の光を集めたような?
長いまつ毛に縁取られた、深い青い瞳。南の海のような? 紺碧の空のような?
抜けるように白い肌、つややかな桃色の唇。ほっそりした手。抱けば折れそうなほど細い腰。
ふんだんにレースをあしらったドレス。最先端の、流行の意匠なんだろう。生地にはいくつも花の刺繍が施されている。
そして、ふっくらした耳と、豊満な胸元を飾る、イヤリングとネックレスに目が行く。どちらにも青い宝石が使われていた。おそらく瞳の色と合わせたんだろう。
(お嬢様が王女様なら、アドリアーナ様は女王様?)
小さい頃に読んだ絵本の世界が目の前に。そんな感覚。
「聞いた話ですけど。アドリアーナ様は、わたくしのお兄様をとても好ましく思っていらっしゃるって、本当ですの?」
お嬢様が問う。
お嬢様にとってみれば、旦那様がご結婚なさったら、このアドリアーネ様が義理の姉になる。
12歳というおしゃまな年齢ってことを差し引いても、その辺は気になるところだろう。
「そうですわね。とてもステキな殿方だと思っておりますわ」
ホホホ。
ソファに座り直したアドリアーナ様。
その少し慎まれた言い方も、ステキ。
向かいに腰かけた旦那様は、「ステキな殿方」の評に、顔を赤くしてティーカップに口をつける。
まあ、これから結婚するって方に「ステキ殿方」言われたら、そりゃあ照れるよね。それも妹の前だし。
愛してるかどうかは微妙な言い方なされてたけど、この発言といい、雨の中でも会いに来てくれたことといい。悪くない、真剣に恋して結婚ってことを考え始めてるんじゃない?
「そう。お兄様をそう思っていただけて、わたくし、とってもうれしいわ」
軽くパンッと手を合わせて、お嬢様も喜ぶ。
「ですが……」
そこから、お嬢様が、悲しそうに俯く。
「アドリアーナ様に辛いお話しをしなくてはなりません」
辛い?
俯いたお嬢様に、応接間にいるすべての人の視線が集まる。
「アドリアーナ様。お兄様から、妖精からもらったという宝石の話、聴いておられますか?」
「え、ええ。伺っているわ。幼い頃、助けた妖精からもらったという、青い宝石の話ですわよね?」
旦那様がご領地で、助けたという妖精。その妖精がお礼にくれた青いドロップのようにみえた宝石。そして、おそらくわたしのお腹の中にあるだろう宝石。
「その宝石、なんでも妖精が言い残したことによれば『永遠に幸せな』『愛にあふれた人生』を約束するものだとかで。お兄様はそれを貴女に贈るつもりでしたの」
「まあ……」
アドリアーナ様が、驚いた顔をなさった。
そんな謂れのある石を贈ろうっていうのだから、旦那様がそういうお心でいるっていう証にもなる。
それを聞かされ、驚いても、うれしいんじゃないかな。旦那様がそういうお気持ちだってことは、旦那様を好いていらっしゃるなら余計にうれしいはず。
「ですが……」
ですが?
おつらそうに顔を歪めたお嬢様。
「その宝石、実は、このメイドのお腹の中にあるんですの」
ふえっ!?
顔を上げ、わたしのお腹を見てくるお嬢様。つられるように、みんなの視線がわたしのお腹に集中する。
慌てて、わたし、お腹を守るように手を当てる。
「お兄様は、妖精の宝石を持って貴女に結婚を申し込む予定でしたのに。このメイドがうっかりそれを飲み込んでしまって……」
いやいやいやいや。
違いますって!
飲み込みたくて飲み込んだんじゃなくて! 落っこちてきたのを眺めてたら、わたしの口にスポンっと入っちゃっただけで! その言い方だと、わたしがいやしんぼみたいじゃないですか!
「それでお兄様は、アドリアーナ様にプロポーズをできなくなってしまって。それで困っていたところでしたの。お兄様が貴女に会いに行けなかったのも、宝石を失くしたことを告げられないからでしたの」
「そうでしたの?」
「ええ。ですからわたくし、お兄様に何としても幸せになってほしくて。このメイドに、何度もサッサと宝石を出せと申しつけているのですけど……。なかなか出してくれなくて、困っているところでしたの」
いや、出して差し上げたい気持ちは充分あるんですけどね!?
出てこないんですよ、どれだけ踏ん張っても!
本当にお腹にあるのかどうか、あやしくなるぐらい、出てこないんですよ!
だから、毎朝毎晩、仕事が終わってから庭園を捜しまわってるんですけどね?
「では、その宝石が出てこない限り、エルネスト様は、わたくしに求婚してくださらないのですか?」
「ええ。兄はそういうつもりでしょう」
「妖精の宝石の話を、信じていらっしゃるの?」
「ええ。わたくしが幼い頃から、得意げに語っていらっしゃいましたから」
「じゃあ、そこのメイドが出さない限り、わたくしは結婚できないの?」
「そう、なりますわね。残念ですけど」
なぜか、アドリアーナ様の問いに、お嬢様がお答えになる。
その答えに、立ち上がったアドリアーナ様。
長いまつ毛に縁取られた青い目がギッと細められた。白く長い指もギュッと握りしめられる。
「そこの! ナイフを持ってきて!」
――は?
指名された執事のパトリクスさんも、聞いているだけになってた旦那様も、睨みつけられてるわたしも、一斉に「は?」。
ナイフって。
な、なにするつもりなんですかっ!?
手でお腹を押さえるだけじゃなくて、体をひねって嫌な予感から逃げる準備。
「あ、アドリアーナ? 何を?」
旦那様も立ち上がる。
「このメイドのお腹をかっさばくわ!」
言うと思った――!
わたしのお腹大ピンチ!
「その妖精の宝石とやらが出てこないと、結婚できないのでしょ! それなら、お腹をかっさばいて出すしかないじゃない!」
いや、そうなんですけど! そうだからって、お腹かっさばかれてたまるものですか!
人の恋路を邪魔するつもりはないけど、だからって、お腹開いて取り出してくださいとは言えない。
そんなことしたら、わたし、死んじゃうじゃない!
「ま、待てアドリアーナ!」
わたしだけじゃない。旦那様も慌てて制する。
「そんな無理矢理取り出さなくても、他の石で求婚するから!」
声が悲鳴じみている。
「ダメよ、お兄様。決意を翻されては」
なぜか、落ち着いた声で動揺する兄を止めに入るお嬢様。
「アドリアーナ様。一思いにサクッとかっさばいて差し上げてくださいな」
ニッコリ。
で、どこから取り出したのそのナイフを、アドリアーナ様に手渡す。
(ひいいいいいっ!)
わたしのお腹、パクッと開かれちゃうの? 今ここで?
助けて。お願い。死にたくない!
お嬢様、どうしてそんな非情なこと仰るのぉぉぉっ!
恐怖に、逃げ出したくて、応接間のドアに一直線!
「ですが、お義姉様? このメイドを殺さずにお願いいたしますわね?」
え?
ノブを回しかけた手が止まる。
「わたくし、このメイド、ユエルをとても好ましく思っておりますの」
お嬢様。手渡したナイフとそのお言葉、どっちを信じればいいんですか。
言ってることとやってることが真逆な気がします。
「そんなの無理よ。お腹を割けば死んでしまうわよ」
それは、アドリアーナ様も同じお考えだったようで、ナイフを手に首を傾げる。
「ええ、ですから。貴女にも、貴女の叔父様と同じ仁術を使っていただきたいと思っておりますの」
アドリアーナ様の叔父。
確か、隣国で名医と呼ばれている、あの? 旦那様が、アドリアーナ様と結婚して、親戚ってことで、お嬢様の治療をお願いするって仰ってた、あの?
「貴女の叔父君は、死に瀕した者を復活させることのできるという、神の手の持ち主なのでしょう? 告解を聴くための神父の仕事が無くなってしまうというぐらいスゴイ方なのだとか」
「そ、それは……」
「でしたら、その姪である貴女にもできるのではなくて?」
それは、かなりの無茶ぶりなのでは?
「バカなことを言うな、シェリア!」
旦那様が、わたしとアドリアーナ様の間に立ちはだかる。
「アドリアーナも、こんなの真に受けるな! ナイフを離せ!」
わたしを護ってくれるの?
その旦那様の背中と、ナイフを持ったまま、動けなくなったアドリアーナ様。少しだけホッとする。
「まあ、貴女には無理でしょうけどね」
動きを止めたアドリアーナ様を見て、なぜかお嬢様がフンッと鼻を鳴らす。
「だって、貴女にそんな仁術を使える叔父なんていらっしゃらないんですもの」
(――え?)
今、なんつった?
お嬢様の言葉に、旦那様もわたしも驚き、目をパチクリ。
アドリアーナ様に、名医の叔父がいない?
「パトリクス」
お嬢様が名を呼んで命じる。呼ばれたパトリクスさんが、アドリアーナ様の持ってたナイフを丁寧に優しく奪い取る。
「わたくしね。貴女のこと、調べさせていただいたの」
お嬢様が? アドリアーナ様のこと、調べてた?
「しぇ、シェリア? いつの間に?」
それは初耳だったらしく、旦那様もポカンとおどろいていらっしゃる。
「パトリクス」
「はい。ここからは私めがご説明差し上げます」
軽く頭を下げて、お嬢様から説明を引き継いだパトリクスさん。
「最初、私めもお嬢様も、旦那様とフォルツァ家のご令嬢との結婚を賛成しておりました。ご両親を亡くされてから、当主として頑張っておられた旦那様の結婚。喜ばないはずがありません。ですが――」
軽く咳払いして、パトリクスさんが続ける。
「あれは、当家に卸している者からの噂話でした。フォルツァ家のご令嬢が、街で、旦那様とは違う男性と、親しく腕を組んで歩いていらしたと、伝えられたのです」
――え? ええっ!?
「そっ、それは、わたくしの兄ですわっ! 兄と街を歩いていたのを見られただけですわ!」
アドリアーナ嬢、必死の弁明。
「そうですか」
対するパトリクスさんは、どこまでの冷静。
「フォルツァ家では、ご兄妹で、腕を組んで仲良くいかがわしいお店に入るのが『普通』なのですね」
ニッコリ笑うパトリクスさん。「普通」のところだけが強調された言い方。
「その噂を聴いて。真偽を確かめようと、旦那様には内密に、調べさせていただきました」
何を?
「アドリアーナ嬢。貴女様に兄もお従兄もいらっしゃらないということを。そして、あの時連れ立っていらしたのは、ダルダン子爵であったことも」
そ、それって……。
(アドリアーナ様が、その子爵と、そういう仲だったってこと?)
旦那様と婚約一歩手前まで恋愛なさってたのに、裏で子爵とそういう仲になってたってこと?
「あと、つけ加えますと。フォルツァ家に、医師の叔父はいらっしゃいません」
「本当かっ!?」
旦那様が喰いつく。
アドリアーネ様の叔父にお嬢様の足を治してもらう。
そのために結婚を考えていた旦那様だもの。不貞よりなにより、そっちに驚くよね。
「ええ。念のためと、叔父、大叔父、すべての係累を調べさせていただきましたが。医師という方は一人もいらっしゃいませんでした。いらっしゃったのは、外国で暮らしていらっしゃるという、大伯母君だけです」
な、なんと!
目ん玉転げ落ちそうなほど、目を見開いたのはわたしと旦那様だけ。お嬢様は、どこまでも悠然と話を聞いていらっしゃる。
「で、では……、なぜ……」
問う旦那様の声がうわずる。
そりゃあそうか。
こんな雨の日に、前触れもなくやって来るぐらい好いているのかと思えば、他につき合ってる男性がいるっていうし。親族に医師はいないっていうし。
「あ~あ。もうそこまで調べがついちゃってるんだ」
フッと笑い、口角を歪めたアドリアーナ様。その笑い方、今までの令嬢らしい微笑みとは全然違った。
「そうよ。ダルダン子爵は、マシューは、私の恋人なの」
なんと!
「こ、恋人って……」
口をパクパクさせた旦那様。
熱愛されているのかと思いきやの、とんでもない発言。
「でも彼とつき合うには、お金もかかって。だから、こっちと結婚することにしたの。だってこっちの旦那様、結構お金を貯めこんでるって噂だったから。でも、全然お金出してくれないしさ。シブチンすぎて面白くもない」
ななんと!
お金目当ての交際ですか!
物語なんかじゃ聴く話だけど、それがまさか現実でも!
「身分もマシューより上だし? 顔もそんなに悪くないし、なにより、簡単に騙される『お坊ちゃん』だし? 妖精なんか信じてるような人だし?」
グサ。グサグサ。
見えないナイフが旦那様に突き刺さった感じ。
騙されやすいって。妖精信じてるからって。
それのどこが悪いのよ。純粋でお優しいって言いなさいよ、この女!
「私に医師の叔父がいるって言ったら、簡単に信じてくるようなバカだし?」
ハンッと鼻を鳴らしたアドリアーネ嬢。
「聴けば、妹のために医師を捜してたぁ? 妹のためにそこまでするなんて、気色悪いわ」
ブチン。
わたしの中の何かが切れた。
「妹想いで何が悪いんですか!」
旦那様の項垂れた背中から吠えかかる!
「旦那様は、ずっとお嬢様の足を治したいと思っていらして! そのための結婚だけど、でも貴女を愛そうと努力をなさってて! それで大事な妖精の宝石を見つけようと必死で! それのどこが悪いんだって言うんですか!」
「お前……」
驚いた旦那様が振り返る。
でも、わたしは止められなかった。勝手に流れる涙。勝手にあふれる怒り。
わたし、こんな人、大っ嫌い! 令嬢であっても、身分が上であっても、絶対、何があっても許せない!
「――フォルツァ嬢。今日はお帰りください」
深く嘆息して、静かに旦那様が呼びかけた。
「そして、これまでのお話はなかったことに」
――え?
それでいいの?
涙がこぼれ続ける目で、旦那様を見る。
いいの? それで。
尋ねたいけど、訊けない険しさが旦那様にある。
いつもなら、絶対見られない表情の旦那様。
「はいはい。わかったわよ」
観念したようにフウッと息を吐いて、わたしたちの隣を通り過ぎるアドリアーナ。
「アンタも、二度と私に近寄らないでよね」
捨て台詞。
「アンタみたいな、妹バカの単純お坊ちゃんなんて、こちらから願い下げよ」
なっ。なっ!
なんてことを!
握った拳を振り上げるけど、それは下す前に、旦那様に掴まれた。
「もういい」
短い言葉とともに。それは終わった。




