6.それは結構突然に
最近、何かおかしい。
宝石を飲み込んじゃって体調が、お腹が……というわけじゃない。熱もないし、お腹が痛いこともない。お通じだって快調だ。目当てのブツは出てこないけど。
でも。
(まただ……)
仕事の合間、何かの合間。
手が知らず知らず、額に触れている。
あの時。
跳ね返ってきた枝で額を切った。それが痛くてつい手を伸ばしてる……わけじゃない。
傷はそこまで深くなかったし、二、三日もすれば鏡を見たら、「あら赤い」程度の傷跡になった。あと数日すれば、どこを切ったのかわからない程度になるだろう。
旦那様はハンカチで拭いて手当てをしてくださったけど、この傷、出血のわりにヒドイ怪我というわけでもなかったのだ。
それなのに。
(どうして?)
無意識だから、自分でも理由がわからない。
そして、それだけじゃない。
「まだか」
すれ違うたび、出会うたび。
旦那様からくり返し問われる「まだか」。
以前は、あんなに嫌だったのに。
(おかしいな)
最近は、その妖怪「まだか」が現れることを期待しているような自分がいる。廊下を歩いている時。階段を上ってる時、降りてる時。すれ違わないか、そこのドアからひょっこり現れないか。自然と目で捜している自分がいる。
(どうしちゃったの、自分)
これまでは、会うと「めんどくさい」「うるさい」って思ってたのに。今は会えないと心がムズムズする。
(もう、怪我は問題ないですよ~って言いたいのかな)
日に日に薄くなっていく怪我の痕を見せたいのかな。見せて治ってく経過を伝えたいのかな。もう問題ないですから、安心してくださいって。
あの怪我の一件以来、旦那様は夜の庭園に姿を見せなくなった。朝も同じ。
(宝石に興味がなくなった?)
そんなことはないはず。
だって、あの宝石でプロポーズして、お嬢様の足を治してもらうんでしょ? そのつもりでアドリアーナ様と結婚するんでしょ?
旦那様は、大切な妹であるお嬢様の足を治してもらおうと、叔父が名医だというアドリアーナ様と交際を始められた。アドリアーナ様と結婚すれば、親戚として、患者ひっきりなしの名医でも間を縫って診てくれるようになるかもしれないって。それで、打算で結婚するのだから、せめて誠実であろうと、幼いころに妖精からもらった宝石でアドリアーナ様に婚約を申し込むんだって。そう仰っていたのに。
バッタリ出くわすことのなくなった旦那様。
捜しにもいらっしゃらなくなった旦那様。
額に無自覚で触れるクセができたわたし。
ついキョロキョロと旦那様の姿を捜すようになったわたし。
なんか。
すべてが変。
* * * *
「あら? どなたかいらしたみたいね」
いつものように、お嬢様のお相手をしていた時。
不意に屋敷の外でした音に、お嬢様が気づかれた。
馬車の止まる音?
だとしたら、旦那様? でも、旦那様はこの雨で外出を止められて、今は屋敷の中にいらっしゃるはず。
「珍しいわね、お客様かしら」
「わたし、見てまいりますね」
車椅子のお嬢様は、そうそう部屋から出ることは叶わない。それでなくても、令嬢がヒョイヒョイ顔を出していたら、品格が疑われる。だから、足代わりにわたしが確認してくる。メイドのわたしなら、どこに顔を出しても、変に思われることはない。
「お願いね」
「はい」
部屋に、お嬢様と愛猫のノアだけを残し、滑るように廊下に出る。
「おっ、いいところに」
廊下をバタバタ走ってきたのは、ケルヴィン。
って。
「どうしたの?」
従者のアンタが急いでるって、誰がいらしたの?
「れいのご令嬢だよ」
「ご令嬢?」
「アドリアーナ嬢だ」
「へ? あの噂の? 旦那様がプロポーズ直前段階にあるっていう、あの?」
「そうだよ。こんな雨の中、どうしても旦那様に会いたくってって。急遽いらしたんだ」
「なんと!」
この屋敷。旦那様とお嬢様しかお暮しになっていないせいか、来客はほとんどない。それに普通、どこかの家を訪ねるとなったら、先ぶれとして手紙を送ってよこすのがマナー。それを、なんの手紙もなく突然やってきたのだから、ケルヴィンでなくても大慌てになる。
「とりあえず、今は応接間に案内したけど! ユエル、お前も手伝え!」
「わかった!」
言うなり、応接間に走っていくケルヴィンと別れ、階下へと向かう。
この屋敷に勤めるメイドは少ない。旦那様がケチ――もとい倹約家だからか、メイドはサナンサとナタレットしかいない。こういう場合、年長のナタレットが指示を出して、サナンサとわたしがそれに従って動くのだけど。
「ごめん! 遅くなった!」
言うなり飛び込んだ階下で、さっそく二人の仕事を手伝う。
用意するべきはお茶。そしてお菓子。
「ねえ、それにしてもさ」
忙しい。大変だというのに、おしゃべりする余裕を見せるサナンサ。
「こんな雨の日に、それも手紙もなしにやって来るなんて、よっぽど旦那様にお会いしたかったのかしら」
「そうね。最近は、滅多にお会いしてなかったみたいだし」
そうなの?
ナタレット情報に驚き、棚にあったカップに伸ばした手が揺れた。
「ああ、それ。ケルヴィンも言ってたけど、本当なの?」
旦那様がアドリアーネ嬢とお会いしてなかった。
その情報、知らなかったのはわたしだけだったみたい。サナンサも知っていたこと、こちらにも驚く。
まあ、ケルヴィンは旦那様の外出に付き従う従者だし? そのケルヴィンと仲のいいサナンサなら、わたしの知らないことを知っていてもおかしくないんだけど。
「本当らしいわよ。最近はパッタリご令嬢のお屋敷を訪ねなくなったんですって」
声をひそめて、ナタレットが追加情報。
「どうして?」
問いかけるサナンサも声が小さい。
「さあ?」
追加情報は、そこまで。
ナタレットが軽く肩をすくめてみせた。
「宝石がなくなったことが、関係してるのかしら?」
「ユエル?」
「あの宝石、旦那様がアドリアーナ様にプロポーズするのに使う予定だったって聴いたから、その……」
わたしのせい?
プロポーズも時間の問題だった旦那様が、アドリアーナ様にお会いにならなかったのは、わたしが宝石を飲み込んじゃったせい?
わたし、お二人の邪魔をしてる?
「アンタが気にすることないって!」
バン!
「ゲホッ、ナッ、ナタレッ、トッ!?」
ゲホゴホ。
不意打ちで背中を叩かれたせいで、咳が、むせるのが止まらない。
「宝石一つで壊れるような関係なら、結婚なんて無理なんだって」
「それは、そうかも……ゴホッ。知れないけど、さ」
でも、気になるのは気になるじゃん。
「大丈夫。こんな雨の中でも会いに来るぐらいだし。アドリアーナ様も旦那様にゾッコンなんだよ」
明るく言うサナンサ。
でも。
(確かにそうかもしれない)
こんな雨の中、先ぶれもなしに訪れるというのは、矢も楯もたまらず、旦那様に会いたいという気持ちが爆発した、旦那様を愛しているという証拠にならないか?
そんなに愛し合っていらっしゃるのなら。宝石の一つや二つで、お二人の愛は揺らがないか?
「さて。いっちょどういうことか見てくるとしますか」
すべての準備が終わって。
ナタレットが言う。
こういう場合、用意できたお茶を持っていくのはナタレットの仕事。そして応接間で、お二人のためにお茶を淹れるのは執事のパトリクスさんの仕事。
わたしとサナンサは、ここでナタレットの持ってきた情報待ち。――なんだけど。
「ごめん。一旦、わたしお嬢様のもとに戻るわ」
「ユエル?」
「誰がいらしたのか、お嬢様も気になさってたからさ」
いつもなら、ここでサナンサとお喋りでもして報告を待つんだけど。
なぜだろう。
胸がざわついて。
動いていた方が気持ちが楽になるような気がした。
* * * *
「そう。アドリアーナ様が……」
お嬢様の部屋に戻ったわたし。
そのわたしからの報告を受けて、お嬢様が反芻する。
旦那様の恋人、アドリアーナ・フォルツァ様がいらした。
それも、雨の中、先ぶれもなく突然に。
礼儀知らず。貴族なら、手紙か人を使って、前もって訪問を伝えるべきでしょう?
それか。
礼儀も忘れるほど、そんなに旦那様に会いたかったのね。ウフ。
ナタレットとケルヴィン情報によれば、この最近、旦那様はアドリアーナ様とお会いしていなかったらしい。全く出かけてないわけじゃなかったのに。行く先はアドリアーナ様のところではなかったらしい。
プロポーズ寸前まで来ていたのに?
結婚するってことは、一緒になりたいと強く願うほどに、相手を好いているわけでしょ? それなのに、会ってないってどういうこと?
(飲み込んじゃった宝石のせい?)
あの宝石を使ってプロポーズする予定だったのが、できなくなったから? アドリアーナ様に顔向けできなくて、お会いしなかった?
(ありえる。ありえるわ)
それでも出かけていらしたのは、よく似た宝石を用意しようとなされていた――とか?
妖精の宝石は用意できなくても、他の宝石なら用意できるから。
捜しても探しても見つからない、待っても待っても出てこない宝石に見切りをつけた? だから、夜も捜しに来なくなった?
(ありえる。うん。ものすごくありえる)
お嬢様の足を治すために、アドリアーネ様との結婚を決めた旦那様。
旦那様はそんな打算で結婚を決められたけど、アドリアーナ様は本気で旦那様を愛していらしたのかもしれない。
だから、こんな雨の中でも訪ねていらした。
(なんか、わたし、おじゃま虫?)
あの宝石を飲み込んで。
一途に旦那様を想っていらっしゃるアドリアーネ様の恋路を邪魔して。
旦那様だって、お嬢様の足のためとか仰ってたけど、ここまでされたら、アドリアーネ様に絆されるってもんよ。
それを邪魔する、宝石消失。
(あ、ダメだ)
肩のあたりがズーンと重くなった。
「――ユエル?」
「あ、はい!」
おっといけない。
「あのね。私、そのアドリアーナ様にご挨拶したいの」
「お嬢様?」
「だから、応接間まで連れて行ってほしいのだけど」
「わかりました!」
今は仕事に集中!
お嬢様を応接間にお連れする!
なぜか、お嬢様の膝の上に乗ったままの猫、ノア。そのままついてきたノアが、クアッと大きなあくびをもらした。




