2.妖精ドロップ
「あれはね、お兄様が妖精にもらったとかで、大切になさっていたものなの」
激昂し、手がつけられないまま自室に戻った旦那様。それを見送って、部屋に戻ったお嬢様が、いまだに状況が把握できてないわたしに説明してくださった。
バルコニーから落ちてきたもの。そして、わたしが飲み込んじゃったかもしれないもの。
それは、シェリアさまの兄君、エルネスト・ブランドン卿が、幼いころに妖精からもらった大切な宝石(眉唾)。
深い青、月に照らされた夜空を閉じ込めたような色をしたそれは、旦那様が幼少のころに訪れた、長く使われてなかった狩猟館で。そこに閉じ込められて、出られなくなっていた妖精を助けたお礼の品だそうで。(眉に唾を何度もヌリヌリ)
それを渡した相手と、「永遠に幸せな」「愛にあふれた人生」を過ごせるとかで。(眉から唾が滴って来るぐらいヌリヌリ)
今、結婚を前提に交際なさっている男爵令嬢、アドリアーナ・フォルツァ様に、お渡しして、結婚を申し込むおつもりだったと。
Q:じゃあどうして、そんな大事なものを持ってバルコニーに出たの?
外に持ち出したりしなければ、落っことすことも、わたしがゴックンすることもなかったのに。
A:おそらくだけれど。お兄様も、本当にそれがあるのかどうか、月に照らして確認したかったのじゃないかしら。
なにせ、その宝石を旦那様がもらったのは、お嬢様がお生まれになるよりも前のこと。以来、滅多に外に出したりしなかったし。大人になって改めて思えば、「妖精? そんなものから貰ったなんて、本当か?」と、ご自身の眉に唾を塗りたくなる衝動があったんじゃないかと。
ずっと箱にしまってあったし。アドリアーナ様にお渡しする前に、今一度存在を確認したかったのでは? という見解。子どものころなら、「妖精からもらった!」と無邪気に信じられるけど、大人になった今は、「本当に?」と、自分で自分の眉に唾を塗りたくるぐらい、疑いたくなったのかもしれない。
得意げに「結婚してほしい!」で、「これは昔妖精からもらった、永遠の愛を約束する品なんだ!」で、箱をパカッってしたら、そこにただのクズ石が入っていたら。
どれだけ愛し合っていても、アドリアーナ様だって、「コイツ、頭大丈夫か?」で去っていくかもしれない。
「丸い月の光は、真実を照らすというから」
お嬢様が推測する。
なるほど。
それで、宝物が本物かどうか確かめるために、わざわざバルコニーに持ち出して、確認しようとして、そこからツルッと手を滑らせて落っことした――と。
(マヌケ)
お嬢様の手前、口に出して言わないけど、かなりマヌケ。
「お兄様、どこか間の抜けたところがおありだから」
ホウ。
頬に手を当て、お嬢様がため息まじりに、わたしの言わなかったことをズバッと評した。
血のつながった兄のことだからか。お可愛らしい顔立ちなのに、言ってることに容赦がない。
「まあ、そういう品だから、頑張って出して差し上げて」
「……はあ」
ウンコをですか?
訊くに訊けない。
「でも、私としては、このまま出してもらわなくていいのだけれど」
「え?」
「私ね、お兄様が結婚なさらなければいいと思っているの」
「え?」
そ、それは、あの……。
「お兄様は、私だけのお兄様よ!」的な、そういう兄好き思考の結果?
お兄様は、私のものよ? どこの馬の骨ともわからない女になんて渡すものですか?
お二人のご両親、先代公爵夫妻は十年ほど前にお亡くなりになっていて、兄妹二人っきりだったから、そういう思考に走っちゃってる――とか?
「だからね。お兄様には申し訳ないけど、アナタに出してほしいとは思ってないの」
それは、わたしにずっと便秘でいろと?
「出せ!」「なんとしても出せ!」な旦那様もアレだけど、「出さないで!」なシェリア様もなかなかのアレ。
(というか、あれって下からでも出せるものなんだろうか)
疑問が残る。
あれは、確かにバルコニーから、わたしの方に落ちてきた。
すごく不思議な、それでいてキレイな音とともに、わたしの前に落ちてきた。
でも。
(飲み込んだんだろうか)
あんな目の前まで来たんだから。顔や体にぶつかった感覚はない。そして、周りのどこにも落ちてなかった。
だから、飲み込んだ。
そう判断したんだけど。
(ホントに?)
口の中にも喉にも。
どこにも飲み込んだ感覚がない。
あれがドロップなら、少しぐらい味が口の中に残っていてもいいのに、それもない。
宝石なら、喉にンガッと硬い何かを飲み込む感覚が残りそうなのに、それもない。
飲み込んだ、どこかに落ちてったというより。
消えた。
目の前で。スッと。音も何もなく、きれいさっぱり消え去った。
それが一番合ってる気がするんだけど。
「――わかりました。出すような出さないような。そんな感じでまいりますね」
「そうね。お兄様はああいう方だから、出せってうるさいだろうけど」
話すお嬢様。わたしに向けて伸ばされた手に抗うことなく、その華奢な体をよいしょっと抱き上げる。
足が悪いお嬢様。いつも車椅子で移動なさるけど、椅子からベッドとなると、こうして介助が必要になる。
「出ても出ない。そう伝えてくれるとうれしいわ」
お嬢様をゆっくりと丁寧に、いつものようにベッドの上に座らせると、ニッコリ微笑まれた。
「大丈夫よ。出せても出せなくても、解雇なんてさせないから」
「はあ……」
「私ね、ユエルのことが大好きなの」
「え? お嬢様っ⁉」
なんで、ベッドに降ろして差し上げたのに、わたしの首にギュッと抱きついたままなんですかっ!?
苦しいわけじゃないけど、オタオタしてしまう。
「あの宝石を飲み込んだのがユエルでよかった。そう思ってるの」
いや。
飲み込んだままなのはちょっと……。
ドロップか宝石か。妖精にもらったのかそうじゃないのか。
わかんないけど、わかんないものをお腹に置いておくのもちょっと。
フン詰まり、便秘になりそうだし?
「これから、面倒になりそうだけど。頑張って」
ニコニコと微笑みながら、大人しく上掛けに潜り込んだお嬢様。
――絶対、面白がってるわよね。
大好きなお兄様の大切なものを、メイドが飲み込んだ。
この状況、絶対楽しんでる。
平穏な日常に起きた大事件。
話題の少ない日常に、何より面白いことが起きた。
そんな顔。
「お、おやすみなさいませ」
「ええ。おやすみ」
かろうじて残ったメイドとしての理性で、いつもの挨拶をする。
ベッドの枕元、ランプの灯りを吹き消すと、いつの間にかお嬢様と同じベッドに上がっていた黒猫のノアが、クアッと大きくあくびをもらした。




