1.それは青い宝石のような
それは、黄色く丸い月に照らされた夜空を凝縮させたような、そんな深い青、紺色をしていた。
(キレイ……)
見上げていたのがいけなかったのかもしれない。見上げたついでに見惚れてホケッと口を開いていたのが。
カーン。コーン。
月の光に照らされ、それは、しゃがみ見上げていたわたしに向けて落ちてきた。
――ああっ!
わたしのすぐ上、二階のバルコニーから聞こえた声。暗くシルエットになった人物が、こちらに向けて身を乗り出し、手を伸ばしている。
けど、それを捕らえることはできず、驚き、顔を上げたわたしのもとに、それは落ちてきた。
カツーンとかコツーンとか。どこかにぶつかった硬質な音ではなく、もっと澄んだ甲高い音とともに。
(――って、え?)
目の前、というか顔の前。
そこまで来て、突然、そのまあるいドロップのような玉は消えてなくなった。
(食べちゃった……?)
ポケッと見上げて口を開けてたから。知らないうちに口の中に?
ンン゛っと、喉を鳴らし、手で首に触れてみるけど、そこに何かがある気配はない。口の中に何かしらの味が残ってるわけでもない。
一気にお腹に? そんなバカな。
じゃあ、どこか近くに落ちてる?
思って、キョロキョロあたりを見回すけど、短く刈られた芝生の上には何もない。暗くて見えないのかと、芝生の上を手でまさぐるけど、それらしい感触もなし。
今日は満月だし。あんなキレイなものなら、光って見えそうなのに。
「――おいっ!」
もっとよく探した方がいい? 這いつくばって捜したら? そんなわたしに息せき切って近づいてきた人物。
「旦那様?」
それは、この伯爵家の若き当主。
さっき、バルコニーからこちらに手を伸ばしていた人物。
顔を真っ赤にして、暗がりでもわかるぐらい肩を上下させているのは、彼が二階のバルコニーからここまで走ってきた証拠だ。
「お前っ、さっきのっ、さっきの宝石を知らないかっ!?」
「宝石?」
「お前も見ていただろう! あれが落ちていくのを!」
見てました。見てましたけど。
あれ、宝石だったの?
てっきりドロップだと思ってたのだけど。青い、青い、真ん丸のドロップ。
だから、ちょっと珍しいなって思ってた。落ちてくるときに聞こえた音とか。旦那様が、そこまで必死に手を伸ばしていたことを。
宝石と聴けば、納得できるのだけど。
「あれはどこにいった! 知らないか!」
知らないも何も……。
「えっと……」
どう言ったらいいのかわからなくて、視線が自分のお腹に落ちる。
あれが落ちてくるのを、旦那様の仰る通り、ポケッと見ていた。
不思議な音を立てながら、わたしのそばへ、わたしの目の前に落ちてくるのを見た。
けど。
「まさか……」
旦那様が、声を震わせる。同じように震えた旦那様の指が、わたしのお腹をさす。
「その……、まさかかも……です」
やり場のない手を、白く大きなエプロンの上に置く。
わたしの目の前に落ちてきたドロップ――もとい、宝石。わたしの前に来て、そこからどこかに転がった音を聞いてないのだから、そういうことかもしれないです。
一口、丸呑みだったのか、まったく口の中に味は残ってませんが。周りに落ちてないということは、そういうことかもしれないです。
わたし、宝石を飲み込んじゃった。――みたいです。
「出せっ!」
「えええっ?」
「吐け! 吐き出せ!」
「そんな無茶です!」
「無茶でもなんでもいい! 吐き出せっ!」
「無理ですっ!」
口で留まるとか、喉につっかえてるわけでもないんです! 体の持ち主でも気づかない勢いで、ゴックンお腹に直行しちゃったんです!
「だったら、腹かっさばいて出せ!」
「もっと無理ですっ!」
腹かっさばいたら、死んじゃいますっ!
この屋敷の当主である旦那様のご命令でも、それだけはできませんって!
「それ、僕の宝物だったんだぞ! アドリアーナに贈るつもりだったのに! どうしてくれるんだ!」
叫ぶ旦那様。
「そんなこと仰られても、むっ、無理ですぅっ!」
そんな大切なものだと言われても! 宝石は、わたしのお腹に入っちゃいましたぁ。
涙目。
出して差し上げたいけど、出てこないんだってば!
逆立ちしても、逆さに体を振っても、きっとおそらく出てこない!
味もなにもわからないうちに、ゴックン、お腹に入っちゃったんですぅ! 多分!(←これ重要)
旦那さまが、男爵令嬢のアドリアーナ様を大事になさってて、婚約秒読みになっていることは知ってても、だからって、できることとできないことがあるんですぅ!
「だったら、下から出せ!」
「えええっ!」
下っ! 下ってっ!
「腹をかっさばいてやることは許してやる! 代わりにウンコといっしょに出せ!」
ちょっ!
うっ、ウンコって!
うちの旦那様。
黒い髪をキレイに撫でつけた、紳士然とした立派な方なのに! 背も高くて、シュッとした凛々しい方なのに! 普段は温和で穏やかな方なのに!
そ、そそっ、それが、うっ、ウンコぉっ⁉
そりゃあ、入っちゃたものは、あれがドロップでなければ、宝石であれば、ウンコといっしょに出てくるかも? ですけどね? 人間の体は、上から入ったものは下から(ウンコとして)出ていくようにできてますけどね?
腹をかっさばいて取り出せないなら、吐いて出せないなら、下からウンコといっしょに出すしかないんですけどね?
(ウンコて……)
立派な紳士が言うセリフじゃないわ。
見た目と出てきた言葉の落差激しい。
「――ユエル、ノアならここに……って。あら? お兄様まで? こんなところでどうなさったの?」
キイッとわずかに車椅子を軋ませて、こちらに近づいてきた方。
「お嬢様!」
「シェリア!」
わたしと旦那様の驚きと声が重なった。
庭にも出られるように作られた一階の窓。開け放たれたそこから、車椅子でやってこられた。
その膝の上には、わたしが探していたはずの、お嬢様の愛猫ノア。
ノアがお嬢様の部屋から逃げ出して。それを追いかけて、わたしもこんな暗い中、庭に出てたんだけど。
(いつの間に戻ってるのよ――っ!)
ノアに責任はない。
猫なんて自由な生き物なんだし、逃げ出したって、勝手に戻ってきたって、それはノアの自由。だけど。
(アンタさえ、いなくならなければ――っ!)
今はその自由な生き物に文句しかない。
アンタを探して、あんなところにすわってなければ。上からの旦那様の声に驚きさえしなければ。アホみたいに口を開けて見上げてなければ。
黒い猫だから黒。
その猫が、クアッと口を開けてあくびしたのが、憎たらしい。だって。
「コイツが、僕の宝石を飲み込んだんだ!」
現れた妹に説明するためか。旦那様がわたしをビシッと指さしする。
「ユエルが?」
「そうだ! 僕が落としたあれを、コイツがっ!」
わたしをさす旦那様の指が震える。
(二回も「コイツ」って。ひどくない?)
わたしは一介のメイド。旦那様は雇用主。
力関係を考えれば、今の状況を思えば「コイツ」呼びは仕方ないのかもしれないけど。
「シェリア、お前も知っているだろう? あの、僕が幼いころにもらったという……」
「ええ。助けた妖精から贈られたという、――あの?」
「そうだ、あれを、コイツが飲み込んだんだ!」
「まあ、あれを……、ユエルが」
驚いたように、お嬢様が、元々パッチリだった目を、さらに大きく開いてみせる。
あの。あれ。
この場でわからないのは、わたしだけのようで。兄妹二人のなかで「あの」「あれ」は共通認識できているらしい。
あの、あれが指し示すのは、落ちてきた藍色ドロップ(宝石)のことなんだろうけど。
「あのね、ユエル。あの宝石は、かつてお兄様が妖精からもらった。そういういわくの品なの」
「――は? 妖精?」
唯一この場で理解できずにホケッと立っていたわたしに、お嬢様が優しく解説してくださったけど。
妖精?
もらった?
内容に、キョトン。
理解が追いつかない。
「ええ。なんでも、お兄様が領地に戻られた時に、妖精を助けたとかでね。そのお礼にって渡されたそうよ」
話しているお嬢様は信じているのかどうなのか。話す口調からは、半分信じて半分信じてないって感じ。
そりゃそうか。
妖精なんて、見たことなければ触れたこともない、いるかいないかわかんない存在だもん。
「あれは……っ! 妖精が将来大切な伴侶に渡すようにってくれた物なんだ!」
あ、妖精信じてた人、いたわ。
視線を地面に落として、グッと握った拳をブルブル震わせて、旦那様が話す。
「そうすれば、幸せな結婚! 永遠の愛が叶うって! だから、アドリアーナに渡そうとっ! それなのにっ!」
顔を上げた旦那様。
その鋭すぎる怒りの目線が、こちらにザクッとドスッと突き刺さった(気がした)。
「まあ、それは大変ですこと。お兄様、アドリアーナ様を大切になさっておいででしたものね」
話を受けるお嬢様は、どこか飄々としているというか。「大変」と仰りながら、全然「大変」と思ってないような。そんな感じ。
「次に会ったら、アドリアーナにあれを渡して、プロポーズしようと思っていたのにっ! それなのに、コイツが飲み込んだんだ!」
「コイツ」呼び、何度目?
というか、人を賤しい奴扱いするのやめてくれます?
飲み込みたくて飲み込んだわけじゃないんですって。
それを言うなら、旦那様こそ、なんでバルコニーに出ていらしたんですか?
月も出るようなこんな時間。
渡す前にちょっと確認ってのなら、お部屋でなさったらよかったんですよ。そんなに大事なものなら、落としたりなさらなければよかったんですよ。
それを、あんなバルコニーで見て、おっちょこちょいにもほどがある落っことし方して。
それでわたしの口にお腹に入ったって、それ、わたしが悪いんですか?
落とした側には、一分の「悪い」もないんですか?
わたしだって、好きでお腹に収めたわけじゃないんですよっ!
「とりあえず! お前には、何が何でも出してもらうからな! これは命令だ! 腹をかっさばかれたくなければ、素直に出せ!」
ウンコを?
ウンコを出せと?
そんな雇用主命令って、あり?
呆れるわたしの横で、お嬢様が「それは大変ね」と、完璧よそ事感想をもらした。




