階層の死闘と反撃の準備
キリアンは10階まで後退し、体勢を立て直した。13階で拾った二本の槍を両手に握り締め、上り下りの階段の中央で魔狼の出現を待ち構える。荒い息遣いと、未だに震えの止まらない両手が、彼が屋上でどれほどの死線を潜り抜けてきたかを物語っていた。それは彼の人生において、かつて考えたこともないほどの無謀な賭けだった。
ガン! ガン! ガン!
キリアンは窓枠を二本の槍で叩き、魔狼の気を引いた。奴を真っ直ぐ下の階へ向かわせるのではなく、自分の方へとおびき寄せるためだ。仲間全員が逃げ切るだけの時間を確実に稼ぐ。自分が逃げるのはその後だ。
間もなく、階段の吹き抜けから魔狼の歪な巨体が姿を現した。その凶暴な真紅の瞳は、獲物を最も残酷な方法でいたぶって殺そうとする明確な殺意に満ちていた。魔狼は標的を視認するや否や、砕けた体内の骨が不気味に擦れ合う音を響かせながら、猛スピードで廊下を駆け抜けてきた。キリアンはすぐさま反対側へと走り出す。彼は階段へ飛び込みながら空中で振り返り、渾身の力で槍を投擲した。しかし、魔狼は二度と同じ手には乗らなかった。奴は鋭い爪で槍を軽々と窓の外へ弾き飛ばすと、勢いを殺すことなく、執拗に獲物へと迫り来る。
投擲による牽制はもはや通用しない。そう悟ったキリアンに残された選択肢は、全力で逃げることだけだった。少しでも時間を稼ぐため、9階の反対側へと方向を変えて駆け出す。だが、廊下の半ばまで来たところで、背後に迫る魔獣の足音が露骨に近づいているのを感じた。おそらく奴は、自分を追いつめるためだけに脚の骨を完全に再生させたのだろう。走りへの集中を削ぐわけにはいかず、キリアンは振り返ることすらできない。すぐ後ろで、奴の荒々しい鼻息が首筋に当たっているのを感じていながらも。
前方の階段までの距離は残り10メートルを切っていた。キリアンは歯を食いしばり、足に全霊を込める。しかし次の瞬間、見慣れたショートヘアの少女が、目の前の階段から駆け上がってきた。
「キリアン、伏せて!!」
ミアはありったけの声を張り上げ、両手に抱えた数十個の薬玉を全力で投げ放った。
キリアンは反射的に頭を下げる。数多の薬玉は彼の頭上を掠め飛び、背後わずか1メートルの距離まで迫っていた魔狼の顔面へと直撃した。魔獣は苦悶の咆哮を上げ、床に倒れ込んで激しくもがき苦しむ。
「早く下へ走って!」
薬玉の効果が単なる時間稼ぎに過ぎないことを熟知しているミアは、キリアンを急かした。
「他の皆は!?」
「下で迎撃の準備をしてるわ。クラインの作戦が上手くいくことを祈るしかないわね!」
一方その頃、建物の出入り口付近。物資や食糧はすでに建物から30メートルほど離れた外に集められていた。そしてクラインたちは、今まで一度も作動したことのない「第4のガトリング砲」の格納スペースに手が届くよう、椅子を積み重ねている最中だった。
「洗濯スキル発動! 『脱水パンチ』!」
クラインの機械化された腕が格納スペースに叩き込まれ、粉塵を撒き散らしながら装甲を粉砕する。彼はそのまま腕を突っ込み、巨大なガトリング砲を引きずり出そうと奮闘していた。
「お前! このガトリング砲には! 1丁につき! 1500発の弾が! 入ってるって言ったよな!」
クラインは本体にぶら下がり、体重をかけてリズミカルに揺すりながら叫んだ。
しかし、びくともしない。彼はサイラスに手招きして加勢を求めた。二人の男がぶら下がって懸命に揺するその様は、まるで木の枝にぶら下がる二匹の猿のように滑稽だった。
「ええ、そうですクラインさん。しかし本来の計画通り建物を倒壊させるには、複数の主柱を破壊しなければなりません。残弾数から計算すると、成功確率はゼロに等しいです」
アルテミスは宙に浮いたまま、ガトリング砲の格納スペースへと入り込んでいく。
『ヴィィィィ!』
金属を切断するような甲高い音が響き渡る。どうやらアルテミスが内部で何かの作業を始めたようだ。
「……なら、建物全体を崩す必要はねぇ。正面入り口の構造だけで十分だ。その程度の瓦礫でも、あの魔狼を丸ごと押し潰すには十分な重さになるはずだ」
クラインは、以前洗濯紐を張るために使っていた正面の柱の列を指差して提案した。
「その条件なら実行可能です。6本の柱に70%以上のダメージを与えれば、前面構造は崩落します。ただし、クラインさん、タイミングは極めてシビアです。崩壊のタイミングが1秒でもズレれば、魔狼は計画通りに潰されず、脱出してしまう可能性があります」
アルテミスは瞬時に導き出した解析結果をもとに警告した。
「……つまり、チャンスは一度きりということですね」とサイラス。
「はい……お二人とも、横へ避難してください」
アルテミスが警告のサインを出すと、二人の男はすぐさま飛び退いた。その直後、巨大なガトリング砲が上部から抜け落ちた。
ドズゥゥン! ガン! ガン! ガン!
凄まじい重量が床に激突し、轟音と共に周囲を激しく揺るがす。巨大な兵器はゴロゴロと階段を転げ落ち、建物の外に無惨な姿で横たわった。
「これ、まだ使えるんですよね?」サイラスが疑わしげに尋ねる。
「使えるに決まってんだろ! 壊れてたのは格納庫の開閉システムだけで、この銃自体は新品同然だぜ……ふんっ!!」
クラインは顔を真っ赤にして巨大なガトリング砲を持ち上げようとした。しかし、銃は微動だにしない。
「……やべぇ」
その桁違いの重さを悟り、クラインの顔からサッと血の気が引いた。
タッ!
突然、2階の窓からミアが飛び降りてきた。彼女はしなやかな前転で着地の衝撃を殺す。
「奴が来るわよ! 準備はできたの!?」
立ち上がりざまに、ミアは焦燥に駆られた声で叫んだ。
「クソッ!! ミア! サイラス! 手伝ってくれ、この大砲を持ち上げるんだ!」
手遅れになる前にと、クラインは慌てて全員を呼び寄せた。
「皆さん、タイミングを合わせますよ。1……2……3……ふんっ!!」
サイラスの掛け声に合わせ、三人がかりで渾身の力を込めてガトリング砲を持ち上げる。だが、それはほんの数センチ浮いただけであった。
「データによりますと、このガトリング砲の重量は弾薬を除いて500キログラムです、クラインさん」
アルテミスが平然と事実を告げる。
「ご丁寧にどうも! キリアンはどうした、ミア!!」
クラインが必死に尋ねる。
「彼の姿が見えた時じゃ、もう手遅れなのよ!」
ミアが即座に言い返した。
クラインは奥歯を強く噛み締め、眉間に深いシワを寄せて、この大砲を持ち上げる方法を必死に捻り出そうとした。仮にキリアンが加わったとしても、この異常な重量を持ち上げられる保証はない。しばらく考え込んでいたクラインの目が、不意に何かを閃いたように大きく見開かれた。
「スキル発動! 『ベッドシーツ交換』!!」




