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虚空への跳躍と不死身の遠吠え。巨大狼を封じる『摩天楼の檻』作戦

「ゼェ……ハァ……ッ」


静まり返った屋上に、キリアンの重く苦しげな呼吸音だけが響き渡っていた。彼は自身の胸元を見下ろし、傷の具合を確かめた。肉がズタズタに引き裂かれ、血が上着を赤黒く染め上げているが、不幸中の幸いにも骨や内臓にまで達する致命傷ではない。


下へ逃げるのではなく、あえて行き止まりである屋上へ逃げ込んだのは、決してパニックによるミスではない。彼が『守護者ガーディアン』として背負う覚悟が生んだ、意図的な選択だった。

彼が屋上へ向かう道すがら、わざとあちこちになすりつけてきた自らの血の跡。それは、あの怪物ブライトウルフの嗅覚を刺激し、仲間たちから可能な限り遠ざけるための、最上級の『撒き餌』だったのだ。


キリアンは焦燥感に駆られながら、屋上全体を見回して生存ルートを探った。

コンクリートの床に雑草がまばらに生えたこの屋上は、サッカーコートほどの広さがあった。しかし、絶望的なまでに見晴らしが良く、隠れ場所など皆無だった。コンクリートのひび割れから逞しく根を張った数本の細い木と、フェンスに沿って申し訳程度に絡みついている蔦があるだけだ。……これだけ広いというのに、身を隠せるような遮蔽物はただの一つも存在しなかった。


その時だった。

屋上に続く扉の奥の暗闇で、獣の双眸がギラリと不気味な光を放った。

100メートル以上離れた場所から、キリアンは一切の恐怖を見せずにその眼光を真っ向から睨み返した。彼は剣の柄を強く握り直し、奥歯をギリッと噛み締め、悠然と姿を現す怪物との死闘に備えた。


しかし、ブライトウルフは扉の前で立ち止まったまま、すぐには襲いかかってこなかった。

次の瞬間、怪物の巨体が激しく痙攣し始めた。そして、屋上に骨が捻じ切れるようなおぞましい音が響き渡る。


バキッ! メチャッ! ボキボキボキッ!!


階段を通るために醜く圧縮されていた肉体が、本来の『巨大なゾンビウルフ』の姿へとみるみるうちに膨張し、元の威容を取り戻していく。

怪物は首を数回振って準備運動を終えると、再びキリアンをギロリと睨みつけた。その巨大な口からは貪欲な涎がポタポタと床に滴り落ち、ペロリと舌なめずりをする。――これこそが、真の狩りの始まりを告げる合図だった。


キリアンは痛感していた。13階であの怪物とまともに打ち合えたのは、奴が強引に骨を折って機動力を失っていたからにすぎない。完全に修復された本来のパワーとスピードを持つ巨大狼を相手に、たった一人で渡り合うことなど、絶対に不可能なのだと。


ブライトウルフは、まるで時が止まったかのようにピタリと静止した。

だがそのコンマ数秒後。怪物は足元のコンクリートを粉砕し、目にも留まらぬスピードで極上の獲物へと突進を開始した!


キリアンは一瞬の迷いもなく背を向け、行き止まりである屋上の縁へ向かって全速力で駆け出した。しかし、怪物のスピードは彼を遥かに凌駕している。100メートルの距離は瞬く間に縮まり、残りわずか20メートルにまで迫った。

そして、キリアンの前方、あと3歩の場所には、屋上の縁を囲うフェンスしかない。もはや逃げ場は完全に断たれた。


青年は究極の決断を下した。

彼は屋上の縁からフェンスを突き破り、虚空へ向かって大きく身を投げ出したのだ!


いくら不死身の怪物とはいえ、この高さから落下すれば全身が粉砕されるほどの激痛を伴うことは理解している。本能的な危険察知が働き、ブライトウルフは急ブレーキをかけ、猛烈な砂埃を巻き上げながら縁のギリギリで立ち止まった。そして、自ら身を投げた獲物が落下していくのをただ見下ろした。


しかし、キリアンの行動は決して自暴自棄などではなかった。

虚空へ飛び出した瞬間、彼はフェンスに頑丈に絡みついていた太い『蔦』を両手でガッチリと掴み取ったのだ。

強烈な重力が彼の体を真下へと引きずり下ろし、体重の負荷に耐えきれなくなったフェンスの一部が蔦ごと数メートル分ひしゃげて剥がれ落ちた。しかし、その落下エネルギーと蔦の弾力が『振り子』のような凄まじい遠心力を生み出し――キリアンの体は、ぽっかりと空いた13階の窓の隙間へと、まるで弾丸のように吸い込まれ、奇跡的にビル内部への帰還を果たしたのだ!


「グルルルルル……ッ!!」


眼の前の獲物に逃げられたブライトウルフは、怒りに任せて牙を剥き出しにし、天を仰いで狂ったように遠吠えを上げた。その怒声は、ビル全体を震わせるほど強烈だった。


___________________


同時刻。階下の食堂。

屋上から響き渡る怪物の遠吠えは、クラインたちの耳にもはっきりと届いていた。彼らは再び怪物と対峙するため、武器と薬の準備に追われていた。

その怒りに満ちた咆哮を聞いたサイラスは、弟のキリアンがまだ生き延びていることを確信し、密かに安堵の息を漏らした。


全員が総出で薬のシートを開け、ペットボトルのキャップを開けて、アルテミスに絶え間なく材料を供給し続けた。小さなドローンもまた、限界ギリギリのフル稼働で作業を行っていた。彼女は細いチューブを伸ばして負傷者に止血剤をスプレーしながら、同時に新しい『回復薬の玉』を次々と合成していく。


「それで……あいつをどうやって倒すつもりなの?」ミアが沈黙を破って尋ねた。

「……少なくとも、この薬が『足止め』には有効だってことは分かった」クラインは顔を上げて答えたが、その瞳には焦りと迷いが渦巻いていた。


「クライン殿……。あの怪物は不死身の狼です。どれだけ逃げ回っても、奴が我々への執着を捨てることは絶対にないでしょう」サイラスが真剣な眼差しでクラインを見つめて言った。


その言葉に、クラインはさらに眉間を深く寄せた。

「でも、絶対に何か方法があるはずだ! あいつを完全にスクラップにする方法が!」


クラインはブツブツと独り言をこぼしながら、テーブルの周りをウロウロと歩き回った。その間も、彼の手は休むことなく薬のシートを剥き続けている。

「不死身の怪物……殺せない……。ただの犬のくせに、象よりデカくて凶暴だなんて……。あんなの、もし飼い犬だったら、家サイズのバカでかい首輪が必要になるぞ……」


そう呟いた瞬間。突然、彼の脳裏にある『クレイジーなアイデア』が閃き、ピタリと足を止めた。

「……巨大な首輪……家……ケージ……」


クラインの瞳に、希望の光がパァッと灯った。彼は弾かれたように仲間たちの方を振り向き、自分の思いついた作戦を声高に宣言した。

「みんな! あいつが殺せないからって、止める方法がないわけじゃないぞ!」


「クラインさん、一体何を思いついたのですか?」アルテミスが不思議そうに尋ねた。

「あいつの首にデカい首輪をぶち込んで、俺たちの『檻』の中に閉じ込めてやるのさ!」クラインはドヤ顔で言い放った。

残された仲間たちは、互いに顔を見合わせて完全に困惑していた。


「檻?」ミアは訝しげにクラインを見た。もしかしてこの男、極限状態のストレスでついに頭がおかしくなってしまったのではないだろうか。

「その檻というのは……具体的に何のことですか?」サイラスも真面目な顔で尋ねた。


「これだよ。これを檻にするんだ」

クラインは一番近くにあったコンクリートの太い柱まで歩み寄り、コンコンと二回叩いてみせた。


「……まさか、あいつをこの柱に鎖で繋いでおく気?」ミアが信じられないといった様子で聞き返した。

「違う違う! 俺たちの檻は、もっとずっとデカいんだよ」

クラインは両手を大きく広げ、自分が想像しているもののスケールを表現しようとした。


サイラスは眉をひそめて必死に思考を巡らせた。そして……ついに彼の意図に気づいた。

「クライン殿が仰る『檻』とは、このビルそのもののことですか……。この建物を崩落させて、あいつを生き埋めにするおつもりですか!? しかし、一体どうやって!?」


「方法は思いついてる。でも、今は説明してる暇がない! とにかく、食料と物資を限界までかき集めるんだ! 急いでくれ!」

クラインは会話を打ち切り、弾かれたように保管庫へと飛び込んで物資を漁り始めた。アルテミスもすぐさま彼の後を追う。


「クラインさん、本当にこの作戦を実行するおつもりですか?」アルテミスは不安げに確認した。

「……これが最善の策だ。あのゾンビ犬には、ここで永遠に眠ってもらうしかない」

クラインの揺るぎない決意を込めた声を聞き、アルテミスはそれ以上何も言わず、ただ静かに彼の作業を手伝い始めた。

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