第7話 『色仕掛けは医学的に有効か』
「橘くんと付き合うことになった」
朝のカンファレンス前。
桜友館大学医学部附属病院の学生控室で、私はさっそく結衣と朝倉さんに報告した。
「え!?なんで!?」
二人が声を合わせて私のほうを見る。
「急展開すぎる」
「ポリクリ班には手を出さないのかと思ってたわ」
私もこんなに早く事を進めるつもりはなかった。
ポリクリ班は1年同じ班、
正直カップルがいると班のメンバー的にはやりづらいだろうし、
別れた場合は最悪だ。
ポリクリ班は慎重に、じっくり関係性を進めていく予定だったのに。
あと、実習をしていくうちに恋愛以上の友情が芽生えてしまったというのもある。
「で、でも橘くん、長野の大病院の息子だし!
玉の輿って言う目標からは外れてない」
橘くんの実家は400床規模の長野随一の大病院であり、
彼はそこの三代目だ。
400床といえば大学病院の分院レベルの大きさ!
「だから橘くんとうまくいけば、それはそれで目標達成なの!」
私は人差し指をピンと立てて、ふたりを説得するように説明した。
結衣と朝倉さんは「まあまあ、いいんじゃない」というふうにうなずいた。
もうちょっと興味を持ってほしい。
「でも、そうか、一ノ瀬さんって東京出身だっけ」
「そうだけど」
朝倉さんは口を開きかけて何かを言おうとしてやめた。
気になって問いかけたが、
私の杞憂だと思うから、と言ってそれ以上は言わなかった。
「だから、橘くんの心をもっと掴もうと思って。
色仕掛けって、医学的に有効かな?」
私は上に着ていた白衣の前開きを大きく開けて二人に今日のファッションを披露する。
姉・くるみのクローゼットから借りた勝負服を着てきた。
普段より少し首元の空いたラベンダー色のふわふわニットに
チェック柄の膝上のスカート。
研修に行っても教授に怒られないギリギリを攻めてみた。
「それで病院に行くの?」
結衣が呆れたようにため息をつく。
「ここは戦場だよ」
「いや病院だから」
「でも普通に可愛い。似合ってる」
朝倉さんがしげしげと頭からつま先まで見つめて、そうつぶやいた。
思わぬファッションリーダーの高評価に私は嬉しくなる。
「それでそれで、色仕掛けって、医学的に有効かな?」
二人は再びけげんな顔をした。
「まず“医学的に”の定義から聞きましょうか」
結衣は落ち着いたトーンで即座に返す。
いったんこちらの話を聞いてくれるのが、彼女の良いところだ。
「なんていうか……その……ホルモン的な意味で科学的に証明されてるのかなあ~って……」
「ポリクリは内分泌実験じゃないのよ」
朝倉さんはあきれたように返すが、
このふざけたテーマを意外と真面目に聞いてくれる。
「理論から言うと、短期的な注意喚起には有効ね」
「ほら、有効じゃん」
「最後まで聞きなさい」
朝倉さんは淡々と続ける。
「でも長期的好意形成には弱いと思うわ。
視覚刺激でドーパミンは出るけど、信頼と安心を感じさせるオキシトシンは分泌されない。
この2つがない限り、橘くんとの長期的なお付き合いは難しいと思うわ」
「タイプ分析まで済んでるの怖い」
「観察してるだけ」
「だから露出は逆効果寄り」
「でも効果はゼロじゃないよね?」
「ゼロではない」
よし。なら実行だ。
作戦名:軽度視覚刺激+接触機会増加法。
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今週は眼科のローテーション。教授回診には私達医学部生も末席に加わる。
准教授・鬼塚先生は大変厳しい人で、彼の圧は常に空気をマイナス10度に冷やす。
移動中、私は橘くんの横へ。
「今日、寒くない?」
私は橘くんに胸元を見せつけるように白衣をあおぐ。
「寒いね。冷房が強いのかも」
彼は顔色を全く変えずに、世間話の一環といった感じて応じた。
不発。
負けるもんか。
作戦第2弾、ボールペンをわざと落としてみる。
「きゃっ」
「大丈夫?」
「大丈夫大丈夫」
私はしゃがんでボールペンを拾う。
上からのアングルだと、太ももと胸元ががっつり見えるはず。
しかし橘くんも私に合わせてしゃがむ。
目が合った。
……。
一瞬の間、顔と顔の距離がぐっと近くなる。
橘くんの黒目がちな大きな瞳に自分の顔が映った。
私の心臓は大きく跳ねるーーなんだかすごくいい雰囲気……。
と、思ったのもつかの間。
「朝ちゃんと食べた?」
「へ?」
「顔色、ちょっと悪い」
そっち!?
「いやその」
「最近忙しいから、無理したりしてない?昨日は何時に寝た?」
これは恋人同時の会話ではない、医療問診だ。
完全に患者扱いである。
「これ食べなよ。とりあえず応急処置」
そういってポケットからブドウ糖を取り出した。
なんでこんなものがポケットに。
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昼休みの学生控室で結衣と朝倉さんとお昼ご飯を食べる。
「どうだった?」
朝倉さんが聞く。
「健康チェックされた」
「ふふ、すぐ鼻の下伸ばすような男の子よりずっとマシよ」
「そうかなあ」
私はやりきれない気持ちで、お弁当に入っていた唐揚げをつつく。
「でもずっと視界には入ってたわよ」
「え?」
「橘くん、あなたが立つ位置変わるたびに確認してた」
朝倉さんはコーヒーをすすりながら、ニヤッとした表情で私を見た。
「でもね、一ノ瀬さん」
「なに」
「今日のあなた、ちょっと必死すぎるわ」
ぐさ。
痛いところを突かれる。さすが医学部、観察力がある。
「焦ってるの?」
言い当てられる。
来年からは国家試験対策。
大学を卒業すれば研修医の仕事に専門医試験の勉強に忙しくなる。
今年一年で相手を見つけられなければ、医学部に入った意味がない。
「焦ってる」
正直に言った。
朝倉さんは少しだけ優しく笑った。
「玉の輿の目標は悪いとは思わないわ。女性のキャリア形成には結婚と出産は重要な要素だし。でも橘くんは“守りたい人”より“並びたい人”を選ぶんじゃないかしら」
「並びたい人?」
「対等に隣に立ってくれる人」
その言葉に、私の胸が静かに揺れた。
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そのとき。
学生控室の扉がノックされた。
「一ノ瀬、いる?」
橘くんだった。
結衣と朝倉さんが空気を読んで、ランチボックスを速やかに片付けて、席を外す。
「さっきはブドウ糖、ありがとう」
私が言うと、橘は首を振って昼食はちゃんと食べたか、と尋ねた。
そして。
「無理しなくていいよ」
「え」
「今日、なんか頑張ってたでしょ」
ばれてた。
相手に見透かされている色仕掛けほど恥ずかしいものはない。
私は自分の顔が赤くなっていくのを感じた。
「その服、似合ってる。本当に」
どくん。
「でも」
また“でも”。
「一ノ瀬は、いつもの方が好き」
時間が止まる。
「明るくて、ちゃんと患者さん見るとき真剣で、一生懸命で、たまに変なこと言ってて」
「変なことは余計!」
せっかく褒めてくれているのに、照れ隠しで、可愛くない反応をしてしまう。
「そこも含めて」
橘くんは柔らかく笑った。
その笑顔に、胸がキュッと苦しくなる。
彼はそう言うと、
机の上についていた頬杖が溶けるように崩れ落ちて、そのまま机の上に突っ伏して寝てしまった。
彼の言動に胸を高鳴らせていた私は、拍子抜けする。
「な、なんなのよ、もう……」
安心したような、ちょっと残念なような。
でも少し、落ち着いた。
焦らなくていい。
落とすのではなく、隣に立つ。
恋は少し形を変える。
私、結構本気で橘くんのこと、好きなのかも。
私の医学的結論。
信頼関係は、最強の長期処方薬である。
――副作用:こっちまで本気になる可能性あり。




