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最終話 『婚活の行方』

医学部5年生、第5班最後の実習ローテーション――病理診断科。

長かった臨床実習も、今日で最後だった。


それぞれの実習を終えると、5班全員で

お世話になった指導医の先生方をひとりずつ回って挨拶をした。


最後の先生に挨拶をして、廊下に出ると

班員全員が小さく息をついた。


「……終わったね」

「終わりました」

「実感ないなあ」


皆でぽつりぽつりと呟いた。

その言葉には、安堵と寂しさが入り混じっていた。

この一年、本当にいろいろなことがあった。


いろんな人と婚活をした。

地域医療実習で医者の仕事を意識した。

精神科で初めて自分の進みたい専門を見つけた。


自分の未熟さを突きつけられて、何度も心が折れそうになった。

それでも毎日この大学病院に通えたのはポリクリ班の仲間がいるからだった。



「じゃあ打ち上げは来週土曜の18時に、新宿の『つたや』で」



今日は結衣(ゆい)谷口(たにぐち)くんの都合が悪いようで、打ち上げは来週行われることになった。

学生控室ではいつもはずっとふざけあっていたのに、今日はずっとみんな言葉が少なかった。

疲労感なのか、余韻を味わっているのか分からない。



「じゃあお先に」

そう言って班の皆がひとりずつ学生控室を出ていく。

この1年は「また明日ね」と言って別れていたのに、明日からはもう実習で集まることはなく違う方向に進んでいく。



控室は私と和真(かずま)くんだけになった。


叶梨(かりん)

「うん?」


私がロッカーからスプリングコートを着ていると、

和真くんはすでに帰る支度を終えて座っている。


「実習終わったな」

「うん、なんか……あっという間だったかも」

「俺も」


和真くんは穏やかに笑ったあと、少しだけ真剣な表情になる。


「このあと、少し時間ある?」

「え?」

「話したいことがあるんだ」


その真剣な声色に少しドキッとしながら、私は小さく頷いた。


「……うん」



和真くんに誘われ、向かったのは桜友館(おうゆうかん)大学(だいがく)医学部附属病院の屋上庭園だった。

大学病院には患者さんのリフレッシュのため、こうした庭園が設計されていることが多い。

日が落ち始めているためか、誰もいなかった。


夕焼けは街並みを淡く染めている。

春の訪れを感じさせる風が吹き抜け、コートの裾を揺らした。



屋上庭園に来るのは久しぶりだった。

実習の合間、谷口くんとここで缶コーヒーを飲みながら愚痴ったこと。

夜遅く、結衣と愛理沙(ありさ)と疲れ切った顔で夜景を眺めたこと。


さまざまな記憶が胸に蘇る。

和真くんはフェンス越しに街を見下ろしながら、ゆっくり口を開いた。



「俺さ、昨日電話で父親と話したんだ」

「おお、真一朗(しんいちろう)さん元気?」

「うん、また叶梨さん連れて来いって」


和真くんは、年末年始の帰省以来、時々真一朗さんと電話で話すようになったみたいだ。

電話をした翌日は必ず嬉しそうに報告してくれる。



「それで、卒業後の進路のことも話した」


「……うん」


「そしたら、将来のことは“自分で決めろ”って言われた」


私は目を見開く。


「それは……?」

どういう意味、と問いかけようとすると、和真くんが遮って続ける。



「初期研修も、その後の専門医取得まで含めて、東京に残っていいって」



和真くんは少し照れくさそうに笑った。

だけどこんなに嬉しそうな顔は初めて見た。



「専攻医まで進んだら、週1で手伝いに来いっていう条件付きだけど。

いろいろ話し合ったんだ。

実家の経営のことも、俺の持病のことも、……叶梨とのことも」



その視線が、まっすぐ私へと向けられる。

胸が、大きく鳴った。



「俺さ、叶梨と一緒にいたい」


夕風が静かに吹き抜ける。

その言葉だけが、はっきり耳に残った。


「一晩中起きていられたのも

ナルコレプシーのこと打ち明けられたのも叶梨が初めてだった。


これから先、多分もっと大変になる。研修医になったら今より余裕なんてなくなるし、喧嘩もするかもしれない」


「……うん」


「それでも、隣にいてほしい」



そう言って、ポケットから小さなケースを取り出した。

私の呼吸が止まる。



「叶梨」


和真くんは一度息を吸った。

普段は落ち着いている彼が、今は少しだけ緊張している。


そしてそのケースを両手でひらくと、そこには綺麗な宝石が付いたリングが収まっている。

夕焼けの光がその宝石に反射し、小さな花火がいくつも打ち上げられたように輝いていた。



「俺と、結婚してください」


世界から音が消えたように、静まり返る。

声が詰まって、私はすぐには言葉を返せなかった。

代わりに、ゆっくりと夕暮れ時の空を見上げる。

真っ赤に染まった夕日と、夜のとばりのグラデーションが美しくて涙がこぼれてくる。


自分はずっと、“条件”ばかりを見ていた。

それは過去に自分を見下してきた人たちに、自分はこんな素敵なパートナーを捕まえた、とアピールしたい勝手な理由からだった。


将来性や家柄、スペック。


そんな打算で相手を見ていた。

今、涙しているのはその夢が叶ったからじゃない。

和真くんに「一緒にいてほしい」と思ってもらえたこと、ただそれが嬉しい


私は涙を滲ませながら、小さく笑った。



「……私、玉の輿目当てだよ」


ちょっと冗談っぽく言ってみると和真くんは優しく目を細める。


「知ってる」

「条件ばっかり見てて、打算だらけで……」

「それで叶梨と付き合えたなら本望だ」


私はまっすぐ彼を見つめた。


「今は、和真くんだから好き」


「……」


「この先その条件が変わったって、どんな時もずっと一緒にいたい」



そして、涙混じりに微笑む。


「よろしくお願いします」

次の瞬間、和真くんが私を強く抱きしめた。


「……っ」

服越しに伝わる体温と鼓動が、やけに近い。



「よかった……」


心の底から安心した子供のような声に、私は思わず笑ってしまう。


「そんなに緊張してたの?」

「当たり前だろ。プロポーズだぞ」




珍しく余裕のない返事だった。


抱きしめる手が少し緩み、和真くんが私を見下ろす。

私が顔を上げたその瞬間、彼はそっと唇にキスをした。


優しくて、不器用で。

けれど、何より誠実なキスだった。



夕焼けの光が沈んで、夜の静寂が私達を静かに包み込む。



一生連れ添って生きていくのに「条件」は大事だ。

人は誰にだって譲れないものがある。


だけどそれが関係ないって思えたこと、

この人のために変えようって思うこと、

それが本当の意味での「愛」なのかもしれない。



庭園に植えられた桜のつぼみが膨らんでいる。

春はすぐそこまで来ていた。


「医学部女子 一ノ瀬叶梨の玉の輿狙い婚活譚」をここまでお読みいただき心より感謝申し上げます。


もしよろしければ、ポイントやリアクション、感想等で応援頂けると嬉しいです。



次回更新、エピローグをもってこの物語は完結とします。

お楽しみに!

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