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第32話 『高級料亭で彼氏の父親に会う』

「ねえ前髪変じゃない?」

「変じゃないよ」


「巻き髪じゃなくて、ハーフアップのほうが良かった? 派手すぎる?」

「そんなことないって」



善光寺(ぜんこうじ)の観光を終えた私たちは、

和真(かずま)くんのお父さんと3人で夕食を取るべく、待ち合わせの料亭に向かった。


今回の食事処は全部和真くんに任せていたのだが

到着したその料亭を見て私は度肝を抜いた。


看板に「さとう」と書いてあるばかりで一見すると食事処とはわからない。

おそらく紹介制の料亭で、知る人ぞ知る、という感じなのだろう。



料亭の仲居さんに通された個室の窓からは

雪化粧をした日本庭園を望むことができた。

こんな場所は初めてなので、さすがの私もそわそわしながら和真くんのお父さんの登場を待った。


「お連れ様がお見えです」


仲居さんのその言葉で背筋をピンと伸ばす。


仲居さんの後ろから、スーツ姿の和真くんのお父さんが現れた。

仕事終わりに急いできてくれたのだろう、額に少し汗を浮かべている。


「お待たせしてしまったかな」


「いえ、今来たところです。

改めまして、一ノ瀬叶梨(いちのせかりん)と申します」


「和真の父の(たちばな) 真一朗(しんいちろう)と申します。

わざわざ長野まで来てくれてありがとうね」



そう言って和真くんのお父さん、もとい真一朗さんは口角を少し上げた。



「長野はどう?」

「すごく良いところです」


最初はそんな雑談から始まった。

最近の医学部事情、ポリクリ実習でのハプニング、地域医療実習……。

共通の話題があるので、話には困らなかった。



事態が動いたのは、最後の土鍋ご飯が出てきたタイミングだった。


「和真、東京に残りたいという話だが」


真一朗さんが口に箸を運びながら、淡々と話し始める。



「サブスペシャリティまでではなく、初期研修の2年間は東京に残っていいだろう」


真一朗さんが和真くんに提案する。

譲歩はしてくれたものの、期間としてはまだ短い。



「サブスペシャリティの取得までは許可できないということですか」


和真くんがそれを察したらしく、もう一度食い下がる。



「彼女と一緒にいたいという気持ちは分かる。

だが和真、病気をコントロールしながら働くのは大変だぞ。一時の感情ではなく自分の将来を優先すべきだ」


「覚悟しています。それに一時の感情ではありません。だって俺と彼女は」


私と真一朗さんが和真くんに注目する。

そして一呼吸おいて、彼はこう言い放った。


「結婚するので」


その一言で、私はフリーズし、真一朗さんは味噌汁を吹いた。


――な、なに今の。

プロポーズ……!???

嬉しいけど、嬉しいけど、不意打ちすぎる!



「わはははははは!」


私が目を白黒させていると真一朗さんが声を上げて笑った。

この人、こんな風に無邪気に笑うんだ。

嬉しいやら恥ずかしいやらで私はずっと和真くんと真一朗さんの顔を交互に見ていた。



「彼女と一生一緒にいたいです。だけど彼女の夢も諦めてほしくない」



和真くんはその後も動じずに続ける。


「お願いします。父さんの役に立つ人間に必ずなります」


彼はそう言うと、立ち上がって深く深く頭を下げた。

私も慌てて彼に合わせて頭を下げる。

真一朗さんはふっと笑った。


「私の役に立つかどうかは考えなくていい」


和真くんが下げていた頭を少しだけ上げた。

真一朗さんが立っていた私たちに座るように促す。



「そうか、和真。いつの間にか大人になったんだな」



真一朗さんは、こみ上げた感情をかみしめるように、そうつぶやいた。



「それじゃあ和真、叶梨さんを旅館まで送ってあげなさい。

叶梨さん、またね」


「はい、また」


真一朗さんは朗らかに笑ってタクシーに乗って再び病院へ戻った。

私と和真くんはタクシーが見えなくなるまで見送り、

そしてもう一台、自分たちの乗るタクシーを待つ。


「叶梨、ごめんな。結局はっきりしなくて」


冬の冷たい風がそっと私たちの横を通り抜ける。

それが合図のように、和真くんはまた私の手を握った。


結局、東京でサブスペシャリティまで取るという許可ははっきりとは得られなかった。

ただ真一朗さんは「考えておく」と言ってくれた。



「将来にかかわる話だもん、お父さんもそんなすぐに決められないよ」



だけど隣の和真くんの顔が、行きの新幹線よりもずっとスッキリしている。

私はそれだけで十分だった。



「そういえば、明日は午後の新幹線だよな? 午前中はどうする? どこか観光する?」


彼が明るい声で聞いた。


「あ……ごめん。明日の午前中は真一朗さんと松本城(まつもとじょう)行く約束してて」


「!? いつのまに!?」


「え……和真くんがお手洗いで席外してる時に。

お城好きです、って話したら『長野に来たら松本城は見なくちゃ』って」


和真くんは理解が追い付かないようでクラクラしている。


「叶梨、城好きだったの?」


「好きだよ、ほら、待ち受けずっと姫路城(ひめじじょう)だもん」


私はそう言って姫路城と私が映っている待ち受けを見せる。

松本城はたった5つしかない、天守が国宝指定されているお城の一つなのだ。

特に冬は雪が積もった北アルプスと黒い外観のコントラストが美しいと評判だ。

戸倉(とぐら)から松本城は少し距離があるので今回は諦めていたが、真一朗さんが車を出してくれるというので思わず飛びついた。


「叶梨は本当に……そういうところだよなぁ」


呆れたように、でもちょっと嬉しそうに頭を抱えて笑った。


「そういうところって何?」

「人たらし」


褒め言葉か貶しているのかよく分からない。

しかし和真くんが笑顔だからまあいいか。


「和真くんも一緒に行く?」

「行くよ!」


即答だった。



和真くんと真一朗さんは

父親に恩を返さなければいけないと思っている息子と、

ナルコレプシーを抱えながら生きていく息子を心配する父親で

すれ違っていたように思う。


和真くんは恩を返すために長野に帰らなければいけないと思っている。

真一朗さんは息子が心配で自分が助けられる環境に置いておきたい。

そのすれ違い。


だけどきっともう大丈夫だろう。

和真くんが、お父さんに本音を話せたから。


彼が笑う顔を見て私は漠然とそう思った。


息子とその彼女である一ノ瀬叶梨との会食を終えた橘 真一朗はタクシーに乗りながら

自分の頬が緩んでいることに気づいた。


過眠症の一種であるナルコレプシーを患っている息子が

今回の会食で一度も眠らなかったのである。


いつも緊張する場面になると彼は自分の意志と関係なく眠ってしまっていた。



彼がナルコレプシーを発症したのは中学生の時だ。


高校受験の途中で眠ってしまい第一志望の進学校に落ちてしまい泣いている息子を見た時、

真一朗は自分が力ある限り、彼が明るい人生を送れるように一生サポートしようと誓った。


息子自身も努力家で、一浪して医学部に合格した時には診療中だったにもかかわらず崩れ落ちるほど嬉しかった。



今までの和真の発作のパターンでは緊張状態が続くと強い眠気に襲われ、

逆に楽しい時や興奮状態にいるときは起きていることができた。


今日の会食で眠らなかったのは叶梨と一緒にいるからだろう。


いい出会いがあったのだ。


息子が自分の手を離れたことが

彼は嬉しくもあり、少し寂しさも感じながら帰路に就いた。


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