第29話 『予想外の長野へ』
「叶梨、年末だけど自分の実家には帰らなくてよかった?」
「実家住みだし、お正月は九州の祖父母が東京に来るのが定番なんだよね。
元旦までに戻れば大丈夫」
12月28日、東京駅から午前9時20分発の「はくたか」に乗って、
私と橘くんーーもとい、和真くんは長野に向かった。
「上田駅で降りて、そこで鈍行に乗り換えて戸倉駅で降りるから」
和真くんはそう言いながら私に新幹線のチケットを渡す。
というか、長野市じゃなかった。
てっきり和真くんの実家は県庁所在地だと早とちりしていた。
東京から約2時間弱。思ったより遠い。
いったいどんな場所なんだろう。
窓の外の景色は大宮を超えると、だんだん山や田んぼが多くなる。
一応和真くんとは初めての旅行になるのだが、甘い雰囲気にはならず
行きの新幹線では彼はずっと緊張した面持ちで腕を固く組んでいた。
「お父さんってどんな人?」
「あ、ああ…」
そう尋ねると固く結んでいた腕が少しだけほどける。
「一言で言うと昭和の親父っぽい感じ。
無口であんまり話さないけど、怒った時とか結構怖い。
昔、大型の台風が来た時
俺 学校で飼ってた兎が心配で夜こっそり一人で見に行ったことがあるんだよね。
そしたら飛んできたガラスで脛をパックリ切っちゃってさ。その時は超怒られたなあ」
「それはそうだよ」
はは、と彼は照れくさそうに笑う。そして続けた。
「救急車もドクターヘリも来れない中、父親が縫ったんだよね。
父親は内科で、外科は専門外なのにさ」
ほらこれ、と言って、彼は脛の傷を見せる。
私は「へー」と初めて聞いたようにうなずくが、
この情報は谷口くんから聞いている。申し訳ない。
「母親は俺が5歳の時に交通事故で亡くなっちゃったから男手一つで育てるの大変だったと思う」
和真くんの母親が亡くなっているのは知っていたが
交通事故だったのか。
あまり深く聞けず「大変だったね」とだけ言った。
「……今更だけど、私付いてきてよかった? お父さんになんて言ったの?」
「大丈夫だよ。父親には普通に、彼女連れてくって」
「お父さんはなんて?」
「『わかった』って」
「……」
その会話だけして、彼はとろんと眠ってしまった。
緊張状態の時こそ眠ってしまうのはナルコレプシーの症状だ。
窓の外を見ながら、私は一人思いを巡らす。
勢いで付いてきてしまったが、不安だ。
でもあの時、和真くんの顔がひどく緊張していたのを見たら思わず口から出ていた。
しなの鉄道に乗り、15分ほどで戸倉駅に到着する。
小さな駅だが喫茶やお蕎麦屋さんなどもあり、レトロな駅舎も可愛らしい。
駅のすぐ後ろまで山が迫っており、非日常の空間に来たという気分が高まった。
ここで和真くんは育ったのか、と思うと胸の奥がドキドキしてなんだか落ち着かない。
「父親が迎えに来てくれてる」
「え!?」
和真くんは顔の横で小さく手を上げた。
心の準備ができていない私は鏡を見て前髪を直していて出遅れる。
スーツケースを転がして急いでついていくと
ロータリーにシルバーのミニバンが止まっていて、運転席から男性が下りてきた。
「はじめまして、和真の父です」
低くはっきりと通る声だ。
和真くんと同様背が高くてスタイルがいい。
年齢の割に若く見えるが
白髪交じりの短髪のグレイヘアはワックスでしっかりとセットされていて
いかにも「院長」という風格がある。
いかにも中年体形のうちの父親とは大違いだ。
「初めまして、一ノ瀬叶梨です。
和真くんと同じ桜友館大学の5年生です。今日は突然来てしまってすみません」
そう言って頭を下げた。
テストや実技試験とはまた違う緊張感があって
私の心臓は早く脈を打つ。
「いえいえ、遠くまで来てくれてありがとう。
荷物は運んでいい?」
そう言って、私のスーツケースを指さす。
「あっ自分で運びます!」
「いやいや、お客さんなんだからこれくらいさせてください」
そう言って和真くんのお父さんは私のスーツケースを車のトランクに運んでくれた。
「一ノ瀬さんと『タロウ』で昼ごはん食べるので、そこまで送ってもらえますか?」
「そばか、いいね。
一ノ瀬さん、ご一緒できなくてすみません。今日はこれから病院に戻らなくちゃいけなくて。
明日は時間があるので、その時ご一緒しましょう」
運転席越しに声をかけられる。
「あ、いえ、はい、明日楽しみにしています」
そういうと、バックミラーに映った目が笑った。
そう、和真くんとお父さんの家族会議に初対面の女が同席するのは、さすがに常識がない。
今日はランチだけ和真くんと食べて解散、和真くんは実家へ。
29日は和真くんと善光寺観光、夜は和真くんの父親と3人でディナー。
30日の午後の新幹線で私は東京に戻る…というスケジュールだ。
そして和真くんのお父さんが運転するミニバンが蕎麦屋に到着した。
「送ってくださってありがとうございます」
「いえいえ、ホテルまで送迎できなくて申し訳ないね。
和真、タクシーで送ってあげなさい」
再び出発する車を、私は頭を下げて見送る。
さて、私たちはランチタイムだ。
『蕎麦処タロウ』は和真くんが「この町で一番おいしい」という蕎麦屋だ。
開店直後にもかかわらず店内の席はすでに満席。
観光客と地元の人が半々といった印象だ。
私と和真くんはざるそばをそれぞれ頼み、
てんぷらの盛り合わせをシェアすることにした。
「お父さん、かっこいい人だね」
「そうかな? うーん、そうか」
彼は少し照れくさそうに蕎麦をすすった。
喉越しがいい、というのはこのことか、と思えるほど滑らかでおいしい。
「自分の親のことだから、そういう客観的なのはよくわからないな」
「親ってそうだよね」
私はうなずいた。
「ちゃんと話してくるよ、専門医まで東京で取る許可取ってくる」
彼は目を見てそう言ってくれた。
私は頑張って、と言ってその日はそのまま旅館に向かった。




