番外編⑤ 『財閥令嬢のお見合いと医学部生の本音』
カンファレンス室。
午前の回診が終わり、一ノ瀬叶梨と二階堂結衣はそれぞれカルテをまとめていた。
「そういえば叶梨、専門は精神科にするんですか?」
結衣が質問すると、叶梨の肩がびくっと緊張するのがわかった。
叶梨から直接きいたわけではないが、最近彼女は精神科に関する本ばかり読んでいる。
ポリクリ実習も4分の3が終わったところだが、今までにはなかった傾向だ。
「……そう、あんまり精神科医っぽくないのは分かってるんだけど……」
両手の人差し指をつつきあいながら、おずおずと言う。
精神科医の先生は落ち着いていて、優しく思慮深い人が多い。
つまり一ノ瀬叶梨とは真逆だ。
「そうですか? 私は向いてると思いますよ」
「え!?そうかなあ」
「叶梨は人の心を開くのがうまいですから」
結衣はさも当然とした顔で言う。
「私の人生で初めての友達です」
彼女は微笑んだ。
笑うと花が咲くような、女神の微笑み。
普段はクールな分、不意の笑顔に心を打たれる。
「ゆ、結衣~~~~私も親友だと思ってるよ!」
「親友までは言ってないです」
「ひっひどい!!」
いつものようにじゃれあっていると、
カンファレンス室に同じポリクリ班の朝倉愛理沙が入ってくる。
「結衣、またお見合い断ったの?」
そう言って愛理沙が悪戯っぽく笑う。
「ええ。今月で3件目です」
結衣は記入中のカルテから目を離さず、そう言った。
「今回のは何? 医療法人理事長の息子? 外資系コンサル? それとも大御所国会議員の秘書?」
「……全部当たりです」
「豪華フルコースじゃない」
結衣は小さく息を吐いた。
彼女は二階堂財閥の令嬢。
多角経営を行う一族の長女である。兄が家を継ぐとはいえ、家同士の“縁”は常に求められる。
毎週のように届く釣書。
格式ある料亭で行われる、形式ばった会話。
楽しいものではない。
むしろ労力を使う。真面目な彼女だって休日くらいは自分のベッドでゆっくり寝ていたい。
だが、父の求めに応じてお見合いを続けるのには理由がある。
「見た目がブサイクだった?」
「顔の美醜はわからないのですが、整っている方だったと思います」
「モラハラ男だったとか」
「とても優しい方でした。医師の道も続けていいと」
「贅沢だよー」
隣で叶梨は教科書を広げながら言う。
患者さんの症状からどの病気だと判断するかで悩んでいるらしい。
「私なんて玉の輿目指して医学部来たのに、5年目にしてなんの進展もないしさ……」
叶梨は夏に同じ班の橘和真と別れて以来、フリーだ。
だがまだ未練があるようで、先日はその橘がお見合いをするとかで大騒ぎしていた。
「それはあなたの戦略の問題です」
「辛辣!」
愛理沙がくすりと笑った。
「うう……私、カルテの記入で悩んでるところあるから
指導医の先生に聞いてくるね……」
叶梨はよろよろとカンファレンス室を出て行った。
部屋は結衣と愛理沙のふたりっきりになる。
「……正直なところ、今までのお見合い相手は何がダメだったの?」
そっと、愛理沙が聞いた。
その問いに、結衣は少しだけ視線を落とした。
「たしかに、結婚相手の条件としては十分です」
「十分すぎるくらいよ」
「でも私は、“条件”ではなく“意志”を見たいんです」
「意志?」
「お見合いで紹介されるような人――つまり、父が二階堂財閥に釣り合うと判断するような男性は、ある程度人生が保証されています。
幼稚舎からのエスカレーター式の学校、希望せずとも与えられる学習環境、そして就職先」
その言葉に、愛理沙の表情がほんの少しだけ変わる。
「中には自分の意志がない人もいます。家を継ぐのがゴールで、そこから何をしたいのかのビジョンがない。――自分の人生なのに」
愛理沙が頬杖をつきながらそうね、とうなずく。
彼女も大手美容外科クリニックの娘。そう言った「恵まれた人種」は数多見てきている。
「私は家のために医学部に入ったわけではありません。兄が家を継いでくれるおかげで、私の進路にはある程度の“自由”がありました」
――自分は親の言う通りにするから、女の結衣には自由にさせてやってくれ。
良い嫁ぎ先を見つけるため、結衣に女子大に行かせたがり、女性としてのブランド力や良妻賢母の教育をたたきこもうとする父親に、
兄が頭を下げて説得してくれた。
「せっかくもらった自由だからこそ、妥協したくないんです」
結衣は落ち着いた小さな声で、ただ確かに意思のある目でそう言った。
その時、カンファレンス室のドアがガラッと空いた。
「結衣―!愛理沙―!聞いて!
今そこで橘くんが院内一の美人看護師と言われる桜井さんと笑顔で話してた!!
どうしよう~!」
泣きべそをかいた叶梨が入ってくる。
その瞬間、二人はぷっと噴き出した。
「な、なんで笑うの!?」
結衣と愛理沙は目を合わせた。
「……こういう子って呆れるときもあるけど、ちょっと羨ましいでしょう?」
「まあ、叶梨は、意志強いものね……いえ、意志というか、ハングリー精神?」
「え!? 何の話してたの?」
「結衣の男性の好みの話。意志の強い人が好きなんだって」
隣で結衣がうなずく。
「え、じゃあなんで谷口くんといい感じなの?
あいつ超ちゃらんぽらんじゃない?」
叶梨がきょとんとした顔で結衣に問いかける。
「……」
「……」
谷口くんは桜友館大学医学部きっての問題児であり、パチンコと競馬に熱中するあまり留年した男である。
お坊ちゃんで潤沢な仕送りをもらっているにもかかわらず、ギャンブルで貯金を全て擦ってしまい、ポリクリ班に命乞いをしていた情けない姿はまだ記憶に新しい。
「……たしかに」
「お見合い」と「恋愛」が結びついていなかった結衣は目から鱗が落ちたような顔をした。
「恋は盲目」とはよく言ったもので
人は本当に恋に落ちるとき、元々抱いていた「理想」など関係ないものである。




