第28話 『当直、ふたりきりの夜』
ポリクリ班第5班のムードメーカー・谷口直哉という男は、医学部きっての問題児だ。
パチンコで単位を落とし、競馬に生活費を落とし、CBTも落とした前科持ち。
なのに。
なぜか恋愛の話だけは、妙に核心を突く。
クリスマスパーティーの翌日、
今週は産婦人科ローテーション中。
他の班のメンバーとはタイミングが合わず、今日は谷口くんと二人で学食に行くことになった。
目当てはクリスマス仕様の日替わりランチだ。
クリスマス当日ということで、チキンとクリームスープと、小さいケーキが付くという大盤振る舞いだ。
窓際の席を確保し、さっそく一口頂くと、
チキンは口に入れるとほろりとほどけるくらい柔らかい。
学食のクオリティを超えている。
「で?」
谷口くんもチキンをほおばりながら言った。
「橘とはどうなんや」
「直球すぎ。デリカシーない!」
彼の方向をキツくにらむ。
「じゃあ班で集まってるところでいちゃつくな」
「……」
うるさい。
でもそれはその通りだ。
「で、どうなんや」
たしかに。誰かに話を聞いてほしい気分ではある。
私は白状するように谷口くんに話し始めた。
「……本気の『好き』ってなんなんだろうな……」
「……難しいことは俺に聞くな」
「ほら、なんていうか」
私はストローをいじる。
「自分と相手に、相容れない希望があるとして、
相手の希望を受け入れられない自分は「本気の好き」じゃないのかもって思ったら、一歩踏み出せない」
長野に来てくれる相手を探している橘くん、
東京に残りたい私。
橘くんと将来を考えるには、その希望は捨てないといけない。
それをできない自分は、あんまり橘くんのことが好きではないのかもってずっと考えていた。
谷口くんが箸を止める。
「誰の話や」
「私の話」
あっさり認めると、彼は「おお」と声を上げた。
「自覚したんやな」
「うるさい」
谷口くんは少し考えてから言った。
「いや、それもう「本気の好き」やろ」
「え?」
「人間な、条件とか、損得勘定で動いとるうちはそんな悩まん。答えは明白やからな。
そこに感情が入ってしもてるから悩む。
ほな、それはもう『本気』やろ」
「谷口くんならどうする? 長野についてく?」
谷口くんは首を振る。
「正解なんてないで。どっちも正しいし、どっちも未練は残ると思う」
谷口くんは少し、間を置いた。
そして慎重に、丁寧にこう言った。
「自分が後悔をしないほうを選ぶ」
「後悔……」
なんでこの人、普段はあんなにポンコツなのに。
「今日の夜、二人で当直やろ。がんばりやー」
優しく、そしてちょっと楽しんでいるかのように谷口くんは笑った。
それと同時に、彼の言葉に私は固まった。
そう。よりによって実習期間中に数回しかない当直実習がよりによって今日。
しかも橘くんとなのだ。
◆
17時。
普段の実習だったらここで終了のところ、私たちはここから朝の8時半まで私たちは病院内で待機だ。
「じゃあ実習生の二人は、当直室で待機で。何かあったらこれで呼ぶから」
そう言って指導医の先生に学生用のPHSを渡された。
当直というのはある種の賭けだ。
今日もお産や救急が入らなければ、我々は朝まで眠れるし
逆に何件も入ってしまう場合もある。
愛理沙と相沢くんのペアは新月の日に当直になってしまい、
分娩室の順番待ちが起こるほどお産が立て込んで目が回る忙しさだったという。
「深夜から忙しくなる場合もあるから、今のうちに休んでおいてね。
お産はいつ来るか予想がつかないから」
そういって同じく今夜当直のはずの指導医の先生は入院患者の回診に向かった。
鉄人だ。
二人医局に残された私たちは顔を見合わせる。
「とりあえず当直室行こうか」
私が黙っていると橘くんがそう提案した。
当直室のフロアに向かうと、白い扉がズラッと並んでいる。
パッと見は病室のドアとあまり変わらないデザイン。
私達は鍵の開いている個室を探してドアを開ける。
「わ、当直室初めて……」
ベッドと簡単な机、小さい洗面所がついた簡素で小さな個室。
ホテルとまではいかないが充分明るくてきれいだ。非日常を感じて少しテンションが上がった。
「前の当直の時はずっと控室でしゃべってたもんな」
そして少しだけ沈黙。
「じゃあ、私、隣の部屋行くね」
なんだか橘くんの顔が見れなくて、そそくさと退散しようとする。
「わかった。PHSは俺が持ってるから、呼ばれたら声かける」
「う、うん。おやすみー」
まだ18時前だけど「おやすみ」って不思議な気分だ。
隣の部屋も似た作りで、私はそのシングルベッドの上に身体をうずめた。
――つもりが、ベッドはめちゃくちゃ固かった。
よく見たらマットレスが極薄。
深い眠りを避け、呼び出しのコールにすぐ反応できるように、あえて固いベッドを採用しているという噂は本当だったようだ。
疲れは取れなさそうだが、一応あおむけで横になってみる。
右隣の橘くんの部屋でも「固っ」という彼のひとりごとが聞こえて
思わずくすっと笑った。
壁が薄いようで、彼が動く気配がする。
なんだか同じ部屋にいるようで一層ドキドキして照れ臭かった。
そう思いながら、私は瞼を閉じると、そのまま眠りに落ちていった。
◆
トントン。
ノックの音で目が覚めた。
――ここは……?そうだ、当直室だった!
「は、はい!!!」
「一ノ瀬、俺」
橘くんの声が聞こえる。
もしかして呼び出しがあったのかもしれない。
私は急いでドアを開けた。
「ご、ごめん。寝てた」
「知ってる。めちゃくちゃいびき聞こえた」
「!??」
彼はクシャっと笑って
「うそうそ。
夜ご飯まだだろ? コンビニで買ってきたんだけど一緒に食べないか?」
その笑顔に逆らえず、私は部屋に彼を招き入れた。
椅子などはないので、二人で一緒にベッドに並んで座る。
「卵サンドイッチと、春雨スープ。それに無糖の紅茶買ってきた」
彼はソファの上に次々とコンビニの購入品を並べる。
そのほかにもお菓子もいくつかあって、彼ももしかして少し浮かれているのかもと思った。
「ありがとう、よく私が好きなものわかったね」
「8か月も一緒に実習回ってたら好みくらいわかるよ」
いつもコンビニで買うときのラインナップを覚えていてくれたのか、とちょっと胸が熱くなる。
私が卵のサンドイッチをかじる隣で、
彼は昆布のおにぎりをほおばっていた。
「精神科実習はどうだった?」
彼は2つ目のおにぎりの包み紙を開けながら、そう尋ねた。
「難しかったよ。女子高校生と患者さんを担当したんだけど
面談の時にはどんな言葉を選べばいいのか、悩んだ。
選択肢って無限にあるんだなって」
「たしかに、他の科とは違う頭 使うよな」
「そうなの」
「でも一ノ瀬、うまくできただろ?」
彼は微笑んだ。
その笑顔をみて、私は少し泣きそうになる。
「一ノ瀬には、警戒心がうすれるというか、なんていうか話したくなるオーラがあるんだよな」
そう言うと、照れ隠しなのか
手元に持っていたスープのカップの残りを一気飲みする。
――言おう。言うなら今しかない。
橘くんの人生と、混じらわないかもしれない、自分の進路を。
「橘くん、私、精神科行きたいんだ」
精神科ローテーションが終ってからひと月。
私はこれから選ぶ専門の科をどうするかずっと考えていた。
初期研修を終えて専攻医になるときに医師は自分の専門を選択する。
専門医の資格を取って一人前になるのには10年弱かかるため、この選択は一生ものだ。
思い浮かぶのは環奈ちゃんの笑顔、そしてーー橘くんの笑顔。
自分が何がやりたいか、自分にどんな人が助けられるか。
「精神科の初期研修をどこで受けるか調べてたんだけど
やっぱり東京とほかの地域では件数も桁違いだった。ちゃんと勉強して一生の仕事にしたいから桜友館に残って専門医までは取りたいと思ってる」
ずっと考えてた、「私のやりたいこと」。
だけどそれは「初期研修から長野で受ける」という彼と離れることを意味していた。
「一ノ瀬」
「はい」
「俺、一ノ瀬のこと好きだよ」
「!???」
今日の天気でも言うように、彼はあっさりと私に伝える。
「え、は、話聞いてた!? 長野に行けないって話してたんだけど!?」
「聞いてたよ。一ノ瀬はどう?俺のこと嫌い?」
「え……好き」
嬉しそうに微笑む。
橘くんってこんな幼い顔をして笑うんだ、と思った。
さらっと言ってしまったがその顔を見て急に照れ臭くなる。
前回付き合ってた時はここまで見せてくれなかった。
私が恥ずかしくてうつむいていると
膝に置いていた手を、橘くんが握る。
「実習始まったばかりの頃、条件で恋愛している一ノ瀬のこと正直引いてた。
でも俺もずっと条件で見てたことに気づいたんだ」
「条件?」
私が尋ねると、橘くんはこくりとうなずいた。
「卒業したら、長野に来てくれるかどうか」
実家の病院を継ぐという決められた未来。
そこに当てはまる相手を、彼も見つけようとしていた。
「でもそんな親が決めた条件に逆らいたいと思えるほど
一緒にいたいって初めて思った。
一ノ瀬もさっき言ってたじゃん。
選択肢は無限にあるんだって。何もすぐに長野に行くだけが、未来じゃない。
二人で一緒にいられる選択肢、一緒に考えてみようよ」
「両想いってこと?」
「そうだよ」
「もう1回 付き合う?」
「俺はそうしたい」
彼の瞳があまりにも真っすぐで、
「あと、今日で『一ノ瀬』やめない?」
一ノ瀬を……やめる……?
フリーズして考える事3秒、そして。
「そ、それって結婚!??」
橘くんは声を出して笑った。
「それもいつかしたいけど、呼び方。
叶梨って呼んでいい?」
「ああ、名前……」
拍子抜け。
――いやでも「いつかしたい」って言った??
橘くんってこんなぐいぐいくるキャラだったんだ。
さっきから私は耳まで赤くなっている。
「いいよ、私も和真くんって呼ぶ」
「ちなみに将来的に長野に行くのはあり?」
「それは……ありだけど」
長野なら新幹線で1時間20分だし、
そこまで我は通せない。
「じゃあ俺も専門医まで、東京で取るよ。
実際 経験値は詰めるし」
「え、でもお父さんにすぐ帰ってくるよう言われてるんじゃ……」
「親父は説得する。
叶梨と一緒にいたいからな。ちょうど明後日から正月休みで帰省するし、その時に話してみる」
そう言うと彼はちょっと怖いけど、といって苦笑いする。
不安そうに、瞳が揺れている。
その顔を見て、私は思わず口から言葉がこぼれた。
「ねえ和真くん、私も長野についていっちゃだめ?」
未来を決める、冬休みが始まろうとしていた。




