第26話 『叶梨の精神科実習 ー精神科で出来ることー』
精神科実習5日目。
午後の環奈ちゃんとの面談。
約束通り私は高校生に人気の恋愛リアリティーショー「恋愛学園」の話だけをした。
私はモテテクニックの研究のため
この手のリアリティーショーは片っ端から見ている。
私が出演者の女の子のあざとさについての研究結果を彼女に発表していると
環奈ちゃんは「頭脳の無駄遣い過ぎる」と呆れたように少しだけ笑った。
そして精神科実習6日目――最終日。
「今日はおすすめの恋愛リアリティーショーのプレゼン資料を作ってきたよ」
「先生、暇なの?」
そう言いながら、印刷してきたプレゼン資料をめくってくれた。
「一ノ瀬さんって今日で最後?」
「うん、6日間ありがとうね」
おそらく、来週からは別の実習生が彼女の担当につくことになるだろう。
「……」
「?」
彼女はプレゼン資料に目を落としながら、何かを考えている。
「レクリエーション、先生と一緒なら行ってみたいんですが……」
勇気を出していってくれたのが、わかった。
レクリエーションとは、治療を目的として行われる娯楽の時間のことだ。
うちの大学では土曜日の午前11時から正午までレクリエーション室で行われていて、集まった患者さんと、医師や看護師・作業療法士といった医療スタッフで簡単な運動を行ったり、歌を歌ったり、クリスマスやお正月など季節のイベントを楽しんだりする。
活動を楽しむことによって、ストレスの発散や気分転換、不安を和らげる目的がある。
ずっとベッドから動けなかった環奈ちゃんの、新たな一歩。
「いいよ、行ってみようか」
私は彼女と一緒にレクリエーション室へ向かった。
レクリエーション室には数人の医療スタッフと、4~5人の患者さんがいた。
毎週定期開催されているが、任意参加なので集まりはまちまちだ。
今日のレクリエーションはボードゲームだった。
トランプ、将棋などの王道のものから最近流行っているカードゲームまで多種多様なボードゲームが用意してあり、
それを数人でグループを作って囲っている。
「環奈ちゃん、何やりたい?」
そう尋ねると環奈ちゃんはオセロを指さした。
窓際の二名掛けの席に、オセロをセッティングして
向かい合った椅子に座る。
黒の石を2つ、白の石を2つ真ん中にセッティングして
我々はゲームを始める。
黒の石が環奈ちゃん、私は白の石を使うことになった。
石を置く音が軽くて心地よい。
「あ、この列全部取られた」
「一ノ瀬さんは角を取るのに固執しすぎ」
いつの間にかテンポのいい会話が生まれている。
盤面が半分程度の石で埋まった時、彼女がゆっくりと口を開いた。
「一ノ瀬さん、私、」
彼女は少しずつ高校であった出来事を話し始めた。
以前面談で聞いていたのはグループで「いじられキャラ」として無茶ぶりをされたという内容だったが
それには続きがあった。
クラス全体に広がった「いじり」は日ごとに過激になっていき、
その内容は通りすがりに腹部を蹴られる、虫を食べさせられる、真冬にプールに突き落とされるなど様々な動画がクラス内で拡散された。
その内容は「からかい」に収まるものではなく、ついには性被害に及んだそうだ。
虐められる自分がひどくみじめで
こんな自分を親に知られたくなくて環境を変える勇気が出なかったのだという。
拡散された動画もどう収めればいいのか分からない。
だったらいっそ死にたいと思った、と彼女は言った。
「それはつらかったね」
私がそう言うと、彼女は黙ってうなずいて、
大粒の涙をテーブルにぽとりと落とした。
◆
午後12時30分、私は医局で津田先生と向かい合って座る。
実習の振り返りと共に、
津田先生に環奈ちゃんとの面談内容について報告をした。
「乃木環奈さん、レクリエーションに行けたんですか」
津田先生の優しげな瞳が、少しだけ大きく開かれる。
「一ノ瀬さん、なかなかやりますね」
「いえ、自分が似た経験をしていたので、彼女と同調しやすかっただけかと。
たまたまです」
患者さんに対して、自分語りをするなんて思い出すだけで恥ずかしい。
今回はそれがたまたまいい方向に働いただけだ。
「患者さんに寄り添えたということですよ」
優しいが医師としては厳しいことで有名な津田先生の貴重な褒め言葉も、
私はあまり喜ぶ気持ちにならなかった。
環奈ちゃんが話してくれた内容は、私の心をずっと重くしていた。
「……私、乃木さんをいじめた人達のこと許せません」
津田先生もそうですね、とうなずく。
「動画があるということは、いじめた側の証拠も残っているということです。
おかげできっと彼女らには制裁が下ります
そっちはその道のプロに任せましょう。
僕たちができることは、彼女の心の治療です。彼女がまた社会復帰できるように」
今後は鬱病を発症した原因や今まで彼女から得た生い立ちなどの情報をもとに、津田先生が治療方針を固めていく。
「心の治療……」
「一ノ瀬さんは向いてるかもしれません、精神科に」
ふいに、橘くんの顔が浮かんだ。
私の役目は終わった。
名残惜しいが、また来週からは別の科のローテーションが始まる。
先生方や看護師さんに挨拶をして、医局を出る。
頭を下げた時に見えた床を見ながら
もう少しだけここにいたい、という気持ちが私の中に生まれていることに気づいた。




