第25話 『叶梨の精神科実習 ー叶梨の過去ー』
次の日。
精神科ローテーション4日目の午後。
私は昨日と同じように、環奈ちゃんの病室のドアをノックした。
返事はない。
少しだけ深呼吸をする。
握りなおした手が少しだけ汗ばんでいることに気づいた。
自分の思っている以上に緊張しているらしい。
再びノックをして、「入るよ」と声をかけて、私は病室に足を踏み入れた。
環奈ちゃんはベッドの上半身を少しだけ上げた状態で、
真っすぐに前を見ていた。
何も見つめていない、表情のない顔。
私はゆっくりと部屋の中に入り、ベッド脇の椅子に座る。
「調子はどうかな?」
私が問いかけると、環奈ちゃんは口元を少しだけ動かす。
「ん? 何?」
「話したくないです」
低くかすれた声。だがはっきりと聞こえた。
「一ノ瀬さんみたいに頭も良くて、
顔もかわいくて人生順風満帆な人に、話なんてしたくないです」
攻撃的な言葉だった。
だけどそれは初めて彼女が発した感情でもあった。
「そっか、そんな気持ちにさせてごめんね」
手元の拳をもう一度握りなおす。そして彼女の眼を真っすぐに見つめる。
「今日は私の話していいかな?」
意を決して、私は彼女に向き合った。
「あのね、私 中学生の時いじめられてたんだ」
ずっと蓋をしていた記憶の扉をゆっくりと開ける。
思い出したくなかった過去。
忘れたいと思っていた。
でも当時の記憶を思い出せば彼女に少しでも近づけるかもしれない。
環奈ちゃんに何があって、今どんな治療が必要なのか、
それがわからないと彼女を良い方向に導くことはできない。
「私、微妙に人とずれた発言しちゃうところあってさ」
中学3年生の始め。
私は席が近い、という理由で仲良くなった明るい子たちの多いグループに属していた。
きっかけは、お弁当の時間。
グループのリーダー格の女の子が「最近彼氏に振られた」という話をみんなにしていた時だった。
「振られちゃった、でもまだ彼氏が好き」という話をグループで聞いていた中で
私は彼女を励まさないと、と思って「でも、もっといい人いるって」と言ったのが
その女の子の怒りの琴線に触れたらしい。
「それ、ちょっと上から目線だよね」
「今の彼氏とどうすればいいか、って話してるんだよ」
「叶梨って空気読めないところあるよね」
そう言われた。
そこから何か発言するたびに、「叶梨は空気が読めてない」と言われるようになり
その空気はクラス全体に広がった。
私が何かを言うたびに、クラス全員が笑う。嘲笑だ。
だが教師からは、クラスの中心にいる「おちゃめな愛されキャラ」という立ち位置に見えるらしい。
その微妙なラインを彼らは巧妙に潜り抜けていた。
私はかわいそうな奴と思われたくなくて、彼女らの望む「愛されキャラ」を演じた。
中学のクラスに馴染めていない、みじめに見えるのが、当時の私は一番怖かった。
決定的な出来事が起きたのは、3年生の修学旅行に出発する日だ。
全員私服で教室で集合していた。
私が花柄のワンピースを着ていると、いつも通りクラスの女の子たちが私につっかかってきた。
「叶梨、何その服。似合ってないんだけど」
「頑張っちゃってるのが痛いって」
女の子たちがくすくす笑う。
そこまではいつものことだったので
私もそうかな、とか苦笑いしてやり過ごそうとする。
するとリーダー格の女の子がこう言った。
「体操服あるでしょ、それに着替えさせてあげるよ」
彼女はその場で私のワンピースのボタンに手をかけて、脱がそうとした。
「いいって!男子もいるし……わかったよ。自分でトイレで着替えてくるよ」
私がそう言っても彼女たちは脱がそうとするのをやめない。
「遠慮しなくていいよ、着せてあげる」
彼女たちは私の腕をつかんで、3人がかりでワンピースを脱がせて
私を下着姿にした。
クラス全員が、遠巻きに私を見ている、あの雰囲気。
憐みを向けてくる子も、好奇の目で見てくる子もいた。
ずっと忘れられない。
その時以来、私は教室に行くのが怖くなった。
校門まで何とか行く、でもどうしても、教室の扉をくぐることができず
保健室登校で単位を取り終えて卒業した。
この案件はさすがにいじめの認定をされたのだが、
「やりすぎたおふざけ」として消化されいじめっ子に少し指導が入った程度だった。
その証拠に、いじめっ子の中では推薦で高校に行った子もいるくらいだ。
今覚えばひどい話なのだが、当時の私は「教師」は正しいものと信じて疑わなかったので
「こんなものか」と泣き寝入りした。
「だから死に物狂いで勉強したの」
なめられているから、こんな仕打ちを受けるのだ。
だったらあいつらよりも上に行ってやる。
「私をいじめた奴らをいい大学に入って見返したくて。
その子たちよりも美人になって、
良い旦那さんをゲットして見返したかった。
正直そのために医学部入ったんだよね、不純でしょ?」
「……ゲットできた?」
「それはまだ未達です」
私が冗談っぽく頭を抱えておどけて見せると、
彼女が少し笑顔を見せた。
「そんなことがあったから、環奈ちゃんと自分を重ねてたんだと思う。
どうにかしてあげたくて。
でも押しつけだった、ごめんね」
そして沈黙が走った。
彼女の瞳は少し迷っているように見える。
時計を見ると、予定の1時間を少しオーバーしていた。
「今日はこれで終わり。
お疲れ様でした、聞いてくれてありがとう」
「……何も質問しなくていいの?」
「いいよ。でも明日からはいっぱい雑談しようか。
環奈ちゃん、恋愛リアリティーショー好きなんだって?
最近配信始まった『恋愛学園』見てる?」
彼女はこくん、とうなずいた。
「じゃあ、明日はその話で」
私はバイバイ、と少しだけ手を振って病室を出る。
心臓はずっとバクバクと言っていた。
あの日の記憶の蓋を開けてしまった苦い感情が胸をこみあげている。
医者というのは「頼りになる」と思われなければいけないと思っていた。
だが今の私にそこまでの力量はない。
だったら「話しやすい」と思われればいいのではないか、と思い
私は過去の記憶を彼女に打ち明けた。
少しでも彼女に近づければいい、そう思って。




