第22話 『閉ざされた心』
「……で、どうなったんですか」
結衣はハンバーグをほおばりながら、尋ねる。
お嬢様である彼女は自宅では料亭のようなごちそうか、オーガニックをメインとしたバランスのとれた食事しか出てこない。
だからたまにこうして友人と外食する際には意外とジャンクなものを食べたがる。
今日は結衣と愛理沙と一緒に、実習後にファミレスで
私と橘くんがどうしたらうまくいくのか、作戦会議だ。
「縁談は終わったって。親の勧めで一応会ってただけだったみたい」
「そう、よかったじゃない」
「まあ、親同士が前のめりでもそう簡単にまとまらないですよね。
私も何回か勧められてお見合いしましたけど、合わなかったですし」
二人は、安堵の表情を浮かべる。
「それで、柊さんから聞いたんだけど
橘くん、好きな人いるって言ったんだって」
「タイミング的に、それって叶梨のことじゃないの?」
愛理沙は食事は頼まず、ホットコーヒーとショートケーキをつついている。
「どうだろう……」
「結局、あなたが長野に行く決心がつくかどうかだと思うわよ」
「橘くんに告白もされてないのに、そこで悩むのは尚早な気もする」
そこに悩む前に、私は何かが引っかかっている。
「橘くんもよく分からない人ですよね。よく寝てるイメージしかないです。
だから叶梨としゃべっている時は楽しそうで、心を開いているように見えたんですけど」
結衣がそういうと、愛理沙も同意するようにうなずく。
「そうね、彼はなんていうか…」
愛理沙は少し考えて、口を再び開いた。
「自信がない感じがする」
「自信?」
イケメンで、頭も良くて、スポーツもできる。
しっかりした実家の後ろ盾がある。
勝ち組の要素が詰まったような人なのに。
「お客様、間もなくラストオーダーですが追加のご注文はございますでしょうか」
私達の会話が途切れたのを見計らって、店員さんが声をかける。
時刻は9時半を指していた。
3人で目を合わせて「大丈夫です」と断った。
「来週から外科ローテーションだし、今日はもう帰りましょう」
来週からはこのポリクリで最も過酷とされている
怒涛の4週連続外科ローテーションなのだ。
消化器外科、胸部外科、脳外科、内分泌・乳腺外科の4週だ。
外科は基本的にオペの見学・助手になるのだが
オペの最中は基本的に数時間立ちっぱなしだ。
脳外科ローテーションで8時間手術に立ち会ったという先輩は
「途中で気を失いかけた」と言っていた。
その前評判通り、
私たちは各々別れて手術に立ち会い、この4週間は朝のカンファレンスでしか顔を合わすことがなかった。
橘くんともたまに控室ですれ違って
「今日は肺癌の手術見学行ってくる」
「俺は胸部大動脈瘤」
と世間話だけして、
お互い何か言いたげにするけれど、
時間がなく、それだけに終わってしまった。
◆
「やっと終わったあ」
怒涛の外科ローテーション最終日、
私たちはお互いの健闘をたたえて控室でお茶を飲んだ。
どこかに食べに行くという話もあったが、
いつも張り切る幹事役の谷口くんが手術に2件連続で立ち会って「もう動けない」というので流れた。
私も先週の消化器外科ローテーションの時に、膵臓癌のオペに8時間立ち会った時は気絶するかと思った。
立っているだけであの疲労感なので、メスを握っている先生たちはやっぱり化け物だ。
「それにしても朝田先生の縫合は見事だったわ」
「俺も見た!あの人ドラマ監修もしてるんだよな」
外科志望の相沢くんと美容外科志望の愛理沙だけは
手術の感想を言い合ったりして生き生きとしている。
「来週からは精神科かあ。少しは楽な週になるかなあ」
私がぼやくと、愛理沙は相沢くんの話をとめて私の方を見た。
「いえ、あそこは……かなりハードよ」
なんでも飄々とこなしている愛理沙がそういうので、私たちは気合を入れなおした。
その発言のとおり、次の週はかなりメンタルを削られる週となった。
◆
そして精神科ポリクリ実習初日。
指導医の先生による初日のオリエンテーションが終了し、病棟を第五班全員で回ることになった。
病棟に一歩入った瞬間に、違和感があった。
他の科は外来の患者さんや、行き来する看護師や医師の話声が聞こえたが
精神科の病棟にはそれがない。
静寂そのものなのだ。
私たちも足音を最小限に抑える。
呼吸をするのでさえ、少し緊張した。
静かなだけで、光景自体はあまり変わらないかと思ったが、
ナースステーションのカウンターには厚いガラスがはまっており、
患者さんと看護師たちを隔てている。
「閉鎖病棟の見学をするよ」
指導医の先生に連れられて向かった
閉鎖病棟前の電子ロックを見た瞬間、ドキッとする。
解除音が鳴ると、自動ドアが開き、真っすぐな廊下が続いている。
照明がまた一段階暗い。
そして、どこか緊張を孕んだ空気だ。
「なんか……今までと全然空気違うね」
私が小声で言う。
「そりゃそうやろ、精神科やし」
谷口くんが周囲を見回しながら答える。
その時。
「お、今週の5年?」
低く落ち着いた声。
そう話しかけてきた若い医師を見た瞬間、
愛理沙の足が止まった。
「……え」
前髪をワックスで上げ、ピシッと決めたガタイのいい男性。
私たちとは違って身体の力は抜けていて、
余裕のあるいかにも“仕事ができる若手医師”然とした雰囲気。
男もまた、愛理沙を見て目を見開く。
「……愛理沙?」
場が止まる。
「え? 知り合い?」
谷口くんが口火を切った。
愛理沙は数秒沈黙し、
ものすごく嫌そうな顔で答えた。
「……元彼」
第五班全員が、何を言ったらいいかわからず顔を見合わせる。
その男――菊本雅也は、
気まずそうに笑いながらもどこか嬉しそうだった。
「いやー、偶然ってあるんだな」
その笑顔に、愛理沙は露骨に距離を取った。
普段感情を表に出さない冷静な彼女には、珍しい行動だなと思った。
◆
実習終了後。
「せっかくだしさ、今日みんなで飲み行かない?」
菊本先生が提案する。
彼は初期研修医2年目の26歳、愛理沙とは3年前の学生時代に付き合っていたらしい。
「第五班歓迎会ってことで。精神科って最初緊張するだろ?」
その誘いはあまりに自然だったが、
愛理沙を意識しているのは明白だった。
「行きます!」
谷口くんが即答する。
彼はギャンブル好きでいつも金欠なので、こういった奢られる機会を逃さない。
一番得意なのは競馬らしいのだが、先日も秋の天皇賞で大損したとぼやいていた。
菊本先生と愛理沙の微妙な雰囲気を感じ取りながらも、
後輩から断るわけにもいかず
谷口君に続くように「是非」「いきます」と続いた。
愛理沙のほうが心配でちらっと見るが、彼女は気にしないで、とでもいうように
口角を上げた。
こうして、その夜。
第五班+菊本先生による飲み会が開催された。
◆
会場は新宿御苑方面にある赤ちょうちん系の居酒屋だった。
家庭料理がおいしいと評判のところらしく、19時に到着したにもかかわらずすでに店はほぼ満席だ。
エプロンを付けたおかみさんと挨拶をしてはいっていく。
「あり……朝倉さん、こっち空いてるよ」
「いえ、私は下座で」
愛理沙はそれに露骨に眉を寄せる。
わざと下の名前で呼ぼうとして、彼女の反応を面白がっているように見えた。
菊本先生は愛理沙の隣に座りたがったが、
愛理沙は一番彼から遠い席に座った。
代わりに私が座ろうかと思ったが、
それを阻むように橘くんが彼の隣に座ることになった。
元カノと話したくて、飲み会を企画したのに
自分の希望が通らず彼は少しだけムッとした表情になる。
「橘くん、だっけ?」
「……はい」
愛理沙と話すのはいったん諦めたのか、隣の橘くんに話し始める。
「将来何科とか決めてる?」
「まだ……」
「そっか。でも早めに考えた方がいいよ」
そこまではただの世間話だった。
だが、長い長い自分語り。
「できる先輩」感を見せて、間接的に愛理沙にアピールするつもりらしい。
時々視線が彼女のほうへ飛んでいた。
「俺なんか4年の時から相当病院見学したし」
「医者って、結局フィジカルも鍛えないとダメだから」
「上の先生にも期待されててさ」
「当直もキツいけど、まあ慣れだよね」
橘くんは一生懸命 相槌を打つ。
「はい」
「そうなんですね」
「すごいですね」
「その後どうなったんですか?」
彼は聞き上手で、彼の話の相手をしながら、
グラスの空き状況を逐一確認し、食事が行き届いているか気をまわした。
彼の献身的な動きのおかげで
飲み会も中盤になると菊本先生はすっかり気分良くなっていた。
だがーー。
「だから結局、医者って総合力……」
カクン。
菊本先生の話の途中で、橘くんの頭が落ちた。
「……え?」
菊本先生が止まる。
橘くんはハッとして青ざめる。
「すみません」
「いやいや、大丈夫?」
菊本は笑う。
まだこの時点では、余裕があった。
しかし。
数分後。
「患者との信頼関係ってさ——」
カクン。
再び。
「……」
菊本さんがあからさまに不機嫌な顔になる。
場の空気が凍った。
「お前さ」
菊本の声が低くなる。
橘くんが顔を上げる。
「人が話してる時に何回も寝るって、どういうこと?」
「……すみません」
「疲れてんの?」
「それとも俺の話つまんない?」
「違います」
「何が違うの?」
苛立ちが強まる。
橘くんは言い訳することもなく、ただ目が泳ぐ。
その態度が菊本先生を苛立たせたのか、彼の「指導」はよりヒートアップした。
「学生だからって許されると思ってる?社会出たら通用しないよ?
お前、患者の前でもそうやって居眠りすんの?」
橘くんの表情が固まった。
「……すみません」
「菊本先生、こいつ疲れてるみたいで…」
相沢くんも頭を下げて、止めに入る。
「なに?こいつのことかばうの?
まるで俺が悪いみたいじゃん。お前ら全員甘いんだよ」
菊本先生は止まらない。
むしろ火に油を注いだように、叱責は苛烈になった。
「正直、医者向いてないんじゃない?」
それを言われた瞬間、橘くんはハッとして、
そしてうつむいてかみしめるように
「そうかもしれません」
と言った。
それを聞いて、私の胸がカッと熱くなる。
「そんなことないと思います!」
「……は?」
菊本先生の、深い漆黒の瞳が私のほうにむけられる。
「そんなことは……ないと思います」
ひるまない。
私はもう一度、菊本先生の目を真っすぐ見て言った。
自分より立場の弱いと思っていた女子の学生にそう言われて
少し頭が冷えたのか、
菊本先生は「……そう」とだけ言って、手元の日本酒をあおる。
「申し訳ありません。二度とこんなことがないよう班でも気を付けます」
その隙に相沢くんが畳みかけるように頭を下げ、それに全員が続いた。
◆
その後は当たり障りなく、飲み会は終わった。
酔っぱらった菊本先生を相沢くんと谷口くんがかついでタクシーに乗せると
班員は全員大きなため息をついた。
「橘くん、ごめんなさい。迷惑かけて」
「なんで朝倉さんが謝るの。こっちこそ場の空気悪くして申し訳ない」
愛理沙が橘くんに謝ると、彼は力なく笑った。
「でも別れて正解やな、あれは……」
「恥ずかしいところ見せちゃったわ」
愛理沙が珍しく頭を抱える。
「いや、朝倉さんはいつも完璧やから、
あんなダメ男に捕まるんやなあってなんか逆にホッとしたわ。」
「捕まったわけじゃないわ。ちょっと火遊びしただけよ」
愛理沙のその強気な発言に全員の緊張がゆるんで、皆で笑った。
いつもの雰囲気に戻る。
「じゃあ帰ろうか」
「俺は地下鉄で帰るわ」
そう言ってみんなで駅に向かおうとすると、橘くんは一人違う方へ向かっていった。
声をかけようとしたが、すぐに人込みにまぎれて見えなくなってしまった。
彼の向かった方向を私はしばらく見つめていた。
今日の橘くんは
数時間に及ぶ叱責で体力と気力をそがれているようにも見えたが、
私には、なんだか彼のもっと深い部分を傷つけられたようにも見えた。




