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番外編④ 『二番目の才能』

キャンパスが閉鎖されるギリギリの夜21時40分――

桜友館大学(おうゆうかんだがく)医学部の学生ラウンジでは珍しく谷口直哉(たにぐちなおや)が一人で医師国家試験問題集を解いている。


5年生の秋にも関わらず、すでにページは付箋だらけで

問題文もマーカーで埋まっている。


そこへ、控えめな足音が近づいてくる。


「……珍しい光景ですね」

谷口と同じ班の、二階堂結衣(にかいどうゆい)だ。

学生ラウンジに似つかわしくない、上品なワンピースを着ている。

一見地味に見えるが、実は学内きってのお嬢様だ。


「見られてもうたか」

谷口はまるで警察に見つかったスパイのようにおどけて見せるが、問題集は閉じない。


「あなたは、本気を出さない主義では?」

「何それ。いっつも本気やで。ひどいわ、二階堂さん」

軽口。

だが目は笑っていない。

結衣は向かいに座る。

「お兄様から、何か言われたんですか」


谷口が一瞬、固まった。

谷口の兄は京都大学医学部を卒業し、現在は内科専攻医として同大学に勤務している。

彼の実家のクリニックを継ぐ“本命馬”だ。


「まぁな。『国家試験くらいは一発で通れよ』やて」

隠す必要もないので、結衣に打ち明け 皮肉っぽく笑う。


「“くらい”やで? さすが京大生様は違うよなあ」


結衣は何も言わなかった。

谷口は机に肘をつき、天井を見る。


「小さい頃からや。

俺がテスト90点取ったら、兄は100点取っとった。

少年野球で俺がヒット打ったら、兄はホームランやった」


声は淡々としている。


「せやから俺、考えたんや。

一番になられへんなら、

最初から“二番目キャラ”でええやん、って」


「期待値を下げとけば、がっかりされへん」

結衣の胸が、静かに締めつけられる。


「もったいないですね。あなたは、本当は一番を狙える人です」

「それが一番しんどいんや」

谷口は笑う。


「本気出したら、“兄と比較できる位置”に戻るやろ?

また同じ土俵や。

勝てへんのに、そんなのむなしい」


学生ラウンジは静まり返り、時計の秒針の音だけがやけに大きく響く。


「……逃げですね」

結衣は静かに言う。


「せやな」

彼は問題集を閉じる。


「“正解”を選べるやつばっかりやない」


谷口はいつも明るく、ポリクリ班のメンバーを賑やかすムードメーカーだ。

だが、その瞳の光が時々とても暗くなることが

結衣は気になっていた。

それは決まって「順位」が付くものに対面した時だった。


彼は地頭と要領がよく

たいていのことは一発でこなせるし、物覚えも良く、コミュニケーションだってうまくやって見せる。

実習担当からは非常に優秀だと評判だ。

だが、試験などの順位が付くものに関しては途端に、空気が抜けた風船のようになってしまうのだ。


「だけど、本当は1回くらい真正面から勝負してみたいのでは? お兄さんと」


その悪癖を治したいという気持ちを、結衣は気づいていた。

だからこそ、はっきりと背中を押すのが、彼には効く。


「逃げないでください」

結衣は真正面から言い切った。


「財閥のお嬢様に言われると重いな」

思わぬ言葉に、谷口が目を細める。


「私はあなたより多い対象と、ずっと比較され続けてきた人間ですから」

彼女は静かに続ける。


「もし、お兄さんに勝てなくても“自分で挑んだ敗北”なら、誇るべきですよ」


その真っすぐな励ましに谷口は小さく笑う。

「……あんた、ほんま怖いわ」

「褒め言葉と受け取ります」


彼は立ち上がる。

「二階堂さんにそう言われたらしゃーない。1回だけやってみるか!」

問題集を開き直す。

いつもの明るさが谷口に戻った。


「国家試験、満点近く狙ったる」


結衣の瞳がわずかに揺れる。

「本気、出すんですね」

「せや」

彼は肩をすくめる。

結衣は嬉しそうに笑った。

その笑顔は、今まで見たどんな美術品よりも綺麗だと、思った。


「なぁ、二階堂さん」

「何ですか」

「俺が一番になったら、俺と付き合ってくれる?」


結衣は一瞬言葉に詰まり、そして小さく微笑む。

「付き合いません」

ばっさり。

――わかっていたけど。

谷口はわざとらしくうなだれた。


「だけど、その時は——正当に評価します」


顔を上げると、結衣が顔を真っ赤にして不機嫌そうに眉を寄せる。

それを見て谷口は吹き出す。

「それ、口説き文句?」

「違います」


夜のラウンジ。

優等生と留年生の静かな心理戦は、ほんの少しだけ前進した。



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