第20話 『盗み見と盗み聞き』
事態が動いたのはセミナーから1週間後の土曜日だった。
実習が休みのその日 私は予定がなかったので
買い物でも行こうと一人有楽町のあたりをふらふら歩いていたら
橘くんと柊さんが歩いているのを見つけた。
映画を見てきたのか、柊さんの手には話題の新作映画のパンフレットが収まっている。
そのまま二人はカフェに入っていった。
――縁談、本当に進んでるんだな。
その時初めて実感した。胸の奥が冷えていく。
追いかけて同じカフェに入ろうかとも思ったが、さすがにやめた。
ジーンズに量販店のトップスというラフな格好で来てしまったし、
デートに乱入するなんてさすがにルール違反な気もした。
帰りの足取りは重かった。
そしてさらに一週間後。
「だからなんで俺なん?」
「いいじゃん、今度学食奢る!」
「あんなん一食600円せーへんやん」
私は再び谷口くんを呼び出した。
今週、柊さんと二回目のデートをするという情報を彼から聞き付けたためだ。
「口滑らさんかったらよかったわ」
彼は大げさに頭を抱えて見せた。
今日、柊さんと橘くんは四菱二号館美術館で企画展を見た後、
丸の内のイタリアンでディナーをする予定らしい。
これも谷口君から聞き出した。口が軽すぎる。この人には秘密の話はしないようにしようと誓う。
私達は丸の内の駅の改札の外で、二人を待ち伏せする。
写真撮影をする観光客や待ち合わせ客が多いので、私たちがたたずんでいても全く目立たない。
谷口君は持っていた紙袋の中からアイスコーヒーを2つ取り出した。
長丁場を予感していたらしく、集合前に買ってきてくれたらしく
ひとつを私のほうに渡す。
口に含むと冷たくておいしい。
「二人を見つけてどうする気なん? 尾行でもする?」
谷口君はわりとノリノリで、帽子とサングラスをかけて変装をしているつもりらしい。
「……」
私は口ごもった。
何も考えていなかったからだ。
二人のデートは気になる。
どんな会話をするのか、
橘くんはどんな顔で笑うのか。
それを見て、どうするの?
「邪魔したいのか、諦めたいのか」
谷口君が2択を与える。
「わからない……」
私は情けない声で正直に答えた。
谷口くんは小さくため息ついて、子供をあやすように背中をたたいた。
「和真も結構、一ノ瀬のこと好きだったと思うんやけどな」
「……じゃあ、東京に残ってくれればいいのに……」
半分軽口、半分本気で、私はポロリとこぼした。
谷口君はアイスコーヒーにささったストローをくわえたまま、私のほうを一瞥する。
珍しく真面目な表情だ。
「……それができひん気持ちは、俺もわかるわ。
実家裏切るってそう簡単なことちゃうで。
そもそも継ぐ気がなかったら、浪人までして医学部はいっとらんと思うわ」
私はハッとした。
谷口くんも大阪の開業医の次男だ。
橘くんも谷口くんも、自分の実家という勤め先と要職が用意されている。
恵まれている一方で、それしか人生の選択肢がないというのは息苦しいものだろう。
「……ごめん、考えなしだった」
謝る私に、谷口くんがぎょっとした。
「すまんすまん、一ノ瀬を責めとるわけやないで。
跡継ぎのプレッシャーは俺も思うところがあるから、つい強い口調になってしまったわ」
慌ててフォローする。
谷口くんは遊び人なぶん、女子には優しい。
「和真の場合はなおさらかもしれんなあ。あいつ親父さんに命救われとるから」
「命?」
私が尋ねると、谷口君は「しまった」という表情で舌を出した。
励まそうという気持ちからなのか、思わず口を滑らしてしまったらしい。
「教えて!」
「……」
「教えてくれないと、橘くんに谷口くんが口滑らせたこと言う!」
「……内緒やで」
やっぱり口が軽い。
「和真の、右脚の傷跡見たことある?」
私は温泉の時見えた右脚の大きな傷跡を思い出し、うなずいた。
13年前、大型の台風が長野県を直撃した。
10歳だった橘くんは、その台風によって右脚に大けがを負った。
飼育委員だった橘くんは、学校で飼っている兎が気になって
一人で見に行ってしまい、
飛んできた窓ガラスで脛の筋肉までパックリと深く切ってしまったらしい。
偶然にもその場面に出くわした学校の先生によって
橘くんの実家の診療所に運び込まれたが
その時の橘くんの実家は今の「橘総合病院」とは比べ物にならないほど、入院設備もない小さな診療所だった。
山間にある、その地域唯一の診療所「橘内科医院」。
一刻も早く外科のある病院で、止血処置をしたうえで損傷した組織を適切に縫合しなければ
出血多量と感染によって命も危ぶまれる。
だが土砂崩れによって総合病院に繋がる国道はふさがれ、救急車も来れない。
大雨によってドクターヘリも運行不可能な状態だった。
それを橘くんのお父さんが、専門外でありながら、縫合処置をしたらしい。
その出来事がきっかけで、
地域に総合病院がないことを危ぶんだ橘くんの父親は
街の診療所だった「橘内科医院」に
外科部門やその他の専門科を次々に増設していき
現在の四百床規模の大病院になり上げたということだった。
生死をさまよっていたところを父親に助けられた橘くんは
父親の仕事のことを尊敬しており
そしてその恩に報いるには父親が地域医療の発展のために尽くした「橘総合病院」を引き継いでいくことだと彼は思っている。
あの不格好な傷は、専門外の医師が縫ったからだった。
必死に息子を助けようと努力した、跡だ。
「だから和真は東京に残る決断はできんと思うわ。
あいつんち、母親を5歳の時に亡くしてるらしいし、親父さん一人になってしまうからな」
話を聞き終える頃にはアイスコーヒーの氷は解け切っていて
カップから落ちた雫が地面に水たまりを作っていた。
「あっ和真たち、来たで!」
谷口くんが駅の改札を指さすと
そこには仲良さそうに並んで歩く橘くんと柊さんがいた。
柊さんはピンクのリボンブラウスと、紺色のミニスカート。
ふわふわと巻いたポニーテールが揺れている。
その時、強い風が吹いて柊さんの高いヒールが少しだけふらついた。
橘くんが自然と腕を差し出し、
彼女がそこに自分の腕を絡ませた。
そのまま二人が歩いていくのがスローモーションみたいに見える。
「おい!一ノ瀬!追うか?」
谷口くんは私の肩をたたく。
「ううん、やっぱりいい」
私は首を振った。
「付き合わせてごめん、もう行こう。カフェでも奢るよ」
橘くんたちに背を向けて、
私達は歩き出す。
深く息を吐いて、目を閉じるが網膜に腕を組んで歩く二人が焼き付いてしまっている。
――お似合いだった、悔しいほど。




