第17話 『告白』
花火が終わったあとの河川敷は、妙に静かに感じる。
人の波がそれぞれの宿へ向かって流れていく。
ポリクリ第五班もその流れに乗って宿に戻る。
別れたことを知らない周囲は気遣って、橘くんと私を隣にするが
人混みの中だから何もしゃべらなくても気まずい雰囲気にはならなかった。
宿につくと、皆疲れているので
挨拶もそこそこに、それぞれの部屋へ向かった。
少し離れた場所で見ていた谷口くんが、異変を察知したのか、そっと橘くんに近づく。
私は何を話すのか、気になりつつ、その背中を見送った。
◆
「和真」
橘の背中越しに、谷口が声をかける。
橘は振り向かない。友人に今の顔を見せたくないからだ。
「何だ」
次の瞬間――乾いた音が夜に響いた。
バシッ。
拳ではない。平手でもない。
胸ぐらを掴まれ、壁に強く押された。
「お前、何やっとんねん」
橘は何も言わない。
「好きやのに、なんで一ノ瀬を引き留めんのや?
黙って聞いてるだけじゃあかんやろ」
橘の歯が食いしばられる。
「俺は——」
「長野に帰るから?」
谷口の声は鋭い。
「帰るんやったら、なおさら言えや。時間ないって自分でわかってるやろ」
真っすぐ見つめる谷口の顔を見つめ返すことができず、
橘はうつむいた。
「家の事情がある」
「知っとるわ」
「結婚も、自由にはできない」
「知っとる」
「一ノ瀬にだって、やりたいことがある」
「それも知っとる」
谷口は一歩近づく。
「せやから何や」
橘の瞳が揺れる。
「だからこそやろ。全部諦めとったら、ずっと後悔すんで。
なんでお前疑問形で聞くねん。
『来る?』ちゃうやろ、『来てくれ』やろ。
結局お前は選択する責任を相手に委ねてるだけや」
その言葉は、殴られるより重かった。
橘くんの拳が震える。
「俺は——」
言葉が出ない。
谷口は静かに橘くんの胸元から手を離した。
「俺はな、後悔する和真見るの嫌や」
それだけ言って、背を向ける。
◆
花火大会から戻ってきて、
同室の結衣と愛理沙は先に大浴場へと向かった。
私は後で追いかける、と言って布団の上に寝転ぶ。
いつもだったら泣いている。
今までの自分にはなかった感情だ。
でも——涙は出なかった。
——卑怯だ。
自分のことをそう罵った。
橘くんは優しい。
優しいから、踏み込まない。押し付けない。
――長野、来る?
その一言を伝えるのに、どれだけ勇気が必要だっただろう。
それがわかっていたのに、私は拒絶した。
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次の日の朝、東京に戻る日。
那須塩原の空は清々しいくらいの青空だった。
旅立ちにぴったりな突き抜けるようなブルーと、カラッとした熱さ。
いつもだったら日焼けが怖いところだけど、今日だけは全身で日差しを浴びてみる。
くよくよしてばかりもいられない。
私達は忙しいのだから、悩んでいる時間がもったいない。
帰り道、相沢くんが運転する車内は行きと同じ並びになった。
でも、空気は変わっていた。
疲れが出たのか、誰も何もしゃべられない。
修学旅行の帰りのバスみたいだな、と思った。
終わってしまう寂しさ、ちょっと大人になったようなそんな感じ。
カーステレオから流れる昭和の歌謡ソングがやけに胸にしみた。
そんななかで、私は口を開いた。
「橘くん」
全員がわずかに反応する。
橘くんは驚いたように、目を丸くしてこちらを見た。
「私は橘くんが好き」
真っ直ぐ彼を見つめる。逃げない。
橘くんが息を止める。
「長野についていくとかいかないとか、私たちそんなことばかり話してて」
「……」
「一番大事なところ、伝えてなかったの気づいたから、これだけ言っておく」
あの花火の夜とは違う、もう迷っていない。
「恋愛」の延長線上に、結婚はある。
でも「結婚」は人生だから、私と橘くんの道はもう交わらないのかもしれない。
でも、「好き」っていうのは間違いない感情だから。
橘くんは小さく笑った。
車の中が静まり返る。
塩原温泉郷の街が遠ざかる。
甘い和菓子の匂いも、花火の残像も、全部置いていく。
でも、この地域医療実習で、確実に変わった。




