第16話 『夜空の下、言えなかった言葉』
塩原温泉郷の夜は、思っていたより涼しい。
花火大会の会場へ向かう道は、浴衣姿の人で溢れていた。
「人多っ……」
結衣は扇子で風を送る。
お嬢様の結衣は、花火大会は貴賓席でしか見たことがないらしく、人の多さにおののいていた。
「まず焼きそばから行くわ」
坂口くんはすでに屋台を物色している。
「先走りすぎ」
橘くんが呆れる。
相沢くんは地元を楽しんでもらうべく張り切っている。
「よし、手分けして屋台買い締めに行こう」
「いや、そんなお腹すいてないです」
結衣が即ツッコミ。
「お前たちはペアでええよな?」
谷口くんの一言で、気づけばペアになりそれぞれ食べ物を調達する流れになっていた。
谷口くんと結衣。
相沢くんと愛理沙。
そして——
橘くんと私。
お好み焼きを探すべく、皆と別れた。
賑やかな人混みのなか、何も話さない私たちは少し浮いていた。
一歩前を進む橘くんが、どんな顔をしているかは分からない。
相沢くんのお父さんのご厚意で、女性陣は浴衣を貸してもらった。
私は水色に淡い金魚柄の浴衣。
髪は愛理沙がゆるくまとめ髪にしてくれた。
「……浴衣、似合ってる」
橘くんはこちらを見ずに、真っすぐに前を見ながらそう言った
私は目を丸くする。
「急にどうしたの」
「いや、別に」
それより話すことがあるだろうと思うが、
居心地が悪そうに褒める彼に、私は少しだけ笑ってしまった。
屋台の灯りが二人の横顔を照らす。
遠くで一発目の花火が上がる。
ドン、と腹に響く音。
二人は同時に空を見上げた。
赤、青、金。
夜空に広がる光。
「綺麗……」
いつの間にか口から洩れていた。
そして橘くんの横顔を見る。
この横顔を、あと何回こうして隣で見られるのだろう。
「なあ」
「うん?」
「昨日のこと」
肩がわずかに強張った。
「縁談、断れなくてごめん」
「……うん」
正面から言う。
逃げない。
また花火が上がった。
ドン。
「俺は、卒業後は」
橘くんは続ける。
「長野に帰らないといけないから」
知っている。私は静かに目を閉じた。
それでも、直接聞くと重い。
「情けない話に聞こえるかもしれないけど、病院を継ぐ身としては、父親は親だけど上司みたいなもので」
「うん」
「逆らえない」
その瞬間、金色の花火が弾ける。
「橘くんって、しっかりした跡取りだよね」
「悪い意味か?」
「ううん」
少し間を置いて。
「羨ましいなって」
橘くんは驚いたのか、目を丸くした。
「羨ましい?」
「決まってる未来があるって、息苦しいかもしれないけど、でも恵まれてるよ。
私はさ、東京でキラキラしていたいとか、年収とか、そういうことばっか考えてて、
ずっと自分って薄いなって思ってた」
笑う。
「ちゃんと“覚悟”決めてる人、ずるい」
「覚悟なんかじゃない」
橘くんは静かに言う。
「え?」
「逃げ道がないだけだ」
これが少しだけ、震える。初めて彼の「弱さ」に触れた気がした。
「俺だって、東京に残れたら楽だよ」
心臓が跳ねる。
「……楽?」
「自分のやりたい科を選んで、研修先の病院を探して」
言葉が、少しずつ本音になる。
「……一ノ瀬や、班の皆と一緒に東京で」
「……それ、楽しいに決まってる」
風が吹く。
浴衣の袖が触れたのと同時に一瞬、指が触れる。
そのまま橘くんは、掴む。
ほんの少しだけ、私の指先を。
「でも」
その一言で、現実が戻る。
「それはできない。だからーー」
掴んだ手が、少し強くなる。
「卒業したら、長野、来る?」
花火が一番大きく上がる。
夜空が真っ白になる。
橘くんの大きな瞳に、花火の色とりどりな光が映った。
映画みたいだ、
私は頭の片隅にで思った、他人事みたいに。
「いけない」
私は一言だけ言った。
橘くんは瞳を見開いて、そして、手が離れる。
「橘くんと一緒にいたいって思う」
涙がこぼれないように、上を向いた。花火を見ているふりをして。
「でも、今、医者にもなりたいって思ってる」
それは、実習を行うにつれて確かに生まれた自分の感情だった。
「東京育ちだから、地域医療ってピンと来てなかったけど、実習やって少しだけわかったよ。
医者の多い東京よりも、責任が重い。地域の人たちの命を預かるってこうゆうことなんだってこと。
長野で医者になる覚悟が私にはない」
橘くんの表情が一瞬だけ歪んだ。
でも、すぐに笑う。
「そっか」
それだけ言った。
最後の大輪が夜空に咲き、ひときわ大きい歓声が上がる。
それと共に、少しずつ光が消える。
暗闇が訪れると、人のざわめきが次第に大きくなった。
「みんなのところに帰ろう、お好み焼き探してどこまで行ったんだって怒られる」
橘くんは私に背を向けて、集合場所に向かった。
二人の間には、あと一歩の距離。
言えなかった言葉が、胸に残る。
言ってしまいたい。
――橘くんが好きだ、一緒に長野に行くって。
でも、何も言わない。
進路が何も決まっていない自分と違って、彼の未来はもう決定事項だ。
覚悟のない安易な言葉で、彼を惑わすことなんてできない。
私達はこの日、お別れを決意した。
婚活はふり出しに戻った。




