表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/32

第12話 『那須塩原へ、恋と温泉と地域医療』

「ねえ、バカンスにでも行くつもり?」

巨大なリュックとスーツケースを携える私に、

結衣(ゆい)が呆れた声で言う。


7月の東京は日陰でも蒸し暑く、熱風の中を歩いているようだ。

そんななか私達ポリクリ第5班は新宿駅西口の小田急ハルク前に集合していた。


「違うよ、地域医療実習だよ」

私は真面目な顔をして答えた。

遊びに行くつもりなど毛頭ない。


そう、私たちはこれから班全員で那須塩原へ地域医療実習へ向かう。

地域医療実習とは医学部5年生の必修科目で、

大学病院の外に出てその名の通り『地域の中での医療』を体験する目的で行われる。

大学病院はその特性上、重症・専門的な患者さんが多いが、実際に医師として現場に出るとなれば

風邪などの軽い病気から高齢者のケアなど「生活」と密接にかかわる医療を求められる。

その実際の現場を見るのが『地域医療実習』というわけだ。


私達は那須塩原で、4週間にわたり実習を行う。


私、結衣(ゆい)愛理沙(ありさ)谷口(たにぐち)くん、そして(たちばな)くんが待っていると

パパ―っと軽いクラクションが鳴った。


「お待たせー!」

私達が声の方向をみると、

大型ワゴンの運転席の窓から顔を出した相沢(あいざわ)くんが手を振っている。

実習先へは那須塩原出身の彼が、車で送ってくれることになっていた。


「相沢くん、お迎えありがとうね」

5人がぞろぞろとワゴンに乗り込む。


「任せといて! 那須塩原は結構近いよ。約三時間!」

「いや遠いわー」

助手席に座った谷口くんが渋い顔をする。

スポーツカーを乗り回していそうな風貌の彼だが、実は乗り物に弱いらしく

数種類の酔い止めと水を握りしめている。


私は後部座席で橘くんの隣をさりげなく確保した。


「じゃあ出発するよー」

エンジンがかかる。

窓の外に新宿の都庁前のビル群が流れていく。


空はペンキをひっくり返したような、雲一つない綺麗なブルー。

眩しい太陽、

遠くに聞こえる蝉の声。

そして――

橘くんの横顔。


「楽しみだな」

ぽつりと彼が言う。


「え!?」

彼がニコッと笑う笑顔に動揺。


「地域医療」

「……うん」


そっちか。

自意識過剰。

ちゃんと実習モードに切り替えなきゃ。


「はいはい、後部座席のカップルはイチャつかないでくださーい」

運転席から相沢くんの声。


「「イチャついてない!」」

声がハモる。


「ほらもうシンクロしてる!」

相沢くんの更なるツッコミ。うるさい。


「相沢くん、前見てください。事故ったら地域医療どころじゃないですから」

結衣がため息をつく。


東北自動車道かを走って1時間半、西那須野塩原のインターチェンジでおり、

そこからさらに1時間ほど車を走らせるとようやく塩原温泉郷に到着した。


橘くんと隣の席でドキドキしていた私だが、

車に乗っている間、橘くんはほとんど眠っていた。

さすが「睡眠重視」の人。

ドキドキを返せ。



「おお……」

車から降りると、思わず声が漏れた。


いつもは遠くに見える山が目の前に迫っている。

青々とした緑が眩しい。

道にはいたるところに「天然温泉」と書かれた看板が掲げられている。

東京とはまるで違う景色だ。



「いいだろ? ここが俺の地元」

相沢くんが誇らしげに笑う。

東京出身の身からすると、「地元」というのものがある人はなんだか少し羨ましい。


隣にいる橘くんの顔を見ると、彼も相沢くんと同じような目をしていた。

長野を思い出しているのだろうか、少し懐かしんでいるかのような表情だ。


「明日から塩原記念(しおばらきねん)病院(びょういん)で実習だな!」

相沢くんが説明を始める。


「院長の城戸(きど)先生はうちのOBで、めちゃくちゃ熱い人だから覚悟しとけ」

「熱いって?」

「外科医なんだけど、めちゃくちゃ声がデカい」

「もう怖いですね……」

お嬢様の結衣は荒っぽい人が苦手だ。


今日は予定がないので、まずは宿にチェックインする。

我々の泊まる「塩原(しおばら)観光荘(かんこうそう)」はバブルの時に大流行した大型の温泉宿で

源泉かけ流しの温泉が売りだが、設備が少し古くなっているせいか割とリーズナブルに予約ができた。


チェックインを済ませ、男女それぞれの部屋へ向かうため別れるとき、

橘くんが私を呼び止める。


「明日から頑張ろうな」

「うん」

一瞬だけ、目が合う。

それだけで心臓に鼓動は早くなった。


________________________________________


夜。

温泉に入って火照った体をふかふかの布団の中に埋めて、私は天井を見る。

橘くんとの距離が日ごとに縮まっていくようで嬉しい。

でも電話の向こうの長野は、消えていない。


私は、何を選ぶんだろう。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ