番外編② 『美容外科志望のプライドと影の努力』
朝倉愛理沙は良くも悪くも、注目を集める人物だった。
ポリクリで怒られないギリギリの明るさに染めた長い栗色の髪。
スッと通った鼻に、綺麗な二重。
そして肌は発光しているように美しく、毛穴ひとつない。まるで陶器のようだ。
彼女の家は女性ならば知らない人はいない大手の美容外科クリニックだ。
美しい彼女はクリニックの「歩く看板」と言えた。
一方で陰口も、目立つ彼女には多い。
愛理沙が大学の廊下を歩いていると、前から来ていた六年生の先輩が彼女を見つけると
避けるようにサッと曲がった。
そしてクスクス、と冷たい笑い声が聞こえる。そして。
「朝倉さん、金曜の夜にホテル街で見たよ。加藤くんと一緒にいた」
「えーっあの『薬学部のプリンス』と? 他学部にも手出してるわけ?」
愛理沙はため息をついた。
こんなことは日常茶飯事だ。だが負けん気の強い愛理沙はここで黙っていない。
「こんにちは、先輩。気づかなくてすみませんでした」
愛理沙は後輩らしく頭を下げて見せる。
「あなたと休日まで話したくないから別にいいわよ」
「そうじゃなくて、先輩も加藤さんのこと、好きだったんですね」
なるべく平坦な声で、今日の天気の話をするみたいなトーンで愛理沙はそう告げた。
そちらのほうが相手を逆なでできると思ったからだ。
六年の先輩は図星だったようで、顔を赤くして、ふんっと言って去っていった。
その美貌と華やかな経歴から、愛理沙に近づいてくる男性は多い。
彼らとのデートは愛理沙も嫌いではなかったので声をかけられたら応じた。
同期の一ノ瀬叶梨が望むような生涯のパートナーを探すために付き合うのではなく、それは勉強ばかりの日々の潤いや刺激を求めた、ゲームみたいなものだったり、ひどい時はたった一夜の暇つぶしだったりした。
あまり女友達を作るのも得意ではないし、
周りのフォローもしないでいたら「男好き」の噂はどんどん広がった。
付いたあだ名は「男漁りの女王」。
他人の評判などどうでもいい。
確かなのは技術だけだ。
愛理沙は実習が終わると、今日もシミュレーション室に向かった。
実習も終わった夕方の校舎の廊下は静かで、
自動販売機の低い駆動音だけがやけに大きく響いているように感じる。
朝倉愛理沙はそんな大学棟のシミュレーション室で一人、縫合練習パッドに向かっていた。
練習をしている最中、頭の中に何度も浮かぶ言葉がある。
――美容外科? 楽して稼げるよね
何度も言われた言葉。
「楽じゃないわよ」
小さく呟き、針を進める。
真皮を正確にすくい、間隔を揃える。
完璧な縫合が出来上がると
彼女はふっと息を吐いて、椅子の背もたれに背中を預けた。
父は大手美容外科の理事長。
五歳上の姉は、すでに業界では名の知れた美容外科医となっていた。
――いいよね、親の病院継げばいいんだから。
また誰かの声が、聞こえる。
だからこそ。
「——どれだけ技術が必要かも知らないくせに」
その時、シミュレーション室のドアが静かに開く。
気配に気づいて愛理沙が振り向くと、そこには同じポリクリ班の二階堂結衣がたたずんでいた。
「残っていたのですね」
「バレた?」
「電気がついていましたので」
愛理沙は肩をすくめる。
「ねぇ結衣。私、美容外科志望って言ってるけど——」
「ええ」
「ちゃんと“腕”で認められたいのよ」
結衣は無言で縫合跡を見る。
「……きれいです」
「でしょ?」
少しだけ誇らしげ。
「でも美容外科って、偏見多いのよ。楽だとか、お金だけとか」
「実際は?」
「救急より緊張するわよ。だって“健康な人の人生”を変えるんだもの」
病気や怪我の治療と違ってゴールがなく、
「美しさ」という曖昧な正解に常に挑んでいかなければならない。
その人が求める「美しさ」でなければ失敗。だからこそ医療訴訟が多い科でもある。
0.5ミリの誤差が、一生残る。
「朝倉さんは、見かけによらず真面目ですね」
「失礼ね?」
二人は小さく笑う。
静かな夜。
遠くで救急外来のコールが鳴る。
「少しでもうまくなりたいの。
それで私の手術した顔を見た患者さんに、“朝倉先生にお願いしたい”って言われたい」
結衣は静かに頷く。
「あなたなら、言われます」
「即答?」
「即答です」
そこで勢いよくドアが開く。
「え、なんか二人だけで信頼関係築いてない!?私も混ぜて!」
同じポリクリ班の一ノ瀬叶梨だ。
「あら。あなたも練習する?」
「やぶへび!? 外科志望じゃないからいらないよ」
「あら、あるわよ。将来、医者夫婦ならオペ室で並ぶ可能性あるでしょ?」
「ハードル高い!!」
叶梨は真剣に縫合を始める。
案の定、波打ってしまった。
結衣がため息をつき、愛理沙が横から指導する。
「そこ、真皮浅い」
「糸引きすぎです」
「ひぃぃ!」
三人の笑い声が響く。




