29. 彩の季・中(10月)15日①
少し重めのエピソードとなります。
――"戻ってきて"と誰かが呼んだ。怖くないよ、一人じゃないよ、と。
長いこと眠っていた。現実が受け止めきれなくて、壊れる寸前の心を守るために。
自分の名はルカ。魔族である父・グレンと、人間である母・ルアーナとの間に生まれた半血の子だ。
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父親とは一度も会ったことがなかった。自分が生まれてすぐに亡くなってしまったからだ。
子供の頃にはよく、街の子供達には当たり前のように父親がいるのに、なぜ自分にはいないのかと母さんを困らせた。
「そうね、ルカ。会えなくて寂しいけれど、父さんはあなたの中で生きているわ。」
「……よく分かんないよ。」
その言葉の意味を理解したのは、それから随分と後のこと。成長した自分に母さんの方から話してくれた。
人間と魔族。種族としての違いから深く関わることのないはずの二人は、母さんが踊り子をしていたある劇場での出会いをきっかけに恋に落ち、ゆっくりと交流を重ねていった。
やがて結ばれた二人は街外れの森近く、小さな小屋で愛を育み、子供を授かる。それが自分だ。
けれど生まれてきてすぐ、赤ん坊が命の危機にさらされていることに気が付く。魔力の器が異常に大きいのに、肝心の魔力自体は不足していたのだった。
それは必要な生命力が足りないのと同義。異なる種族の混血であることや、もともと母が魔力量の少ない体質であるのも影響したのかもしれない。
父であるグレンは選択を迫られた。我が子が長く生きられないことを受け入れるか、自らの命と引き換えに、核ごと全ての魔力を渡して器を満たすのか。
――そうして父は命を落とし、自分はその膨大な魔力を受け継ぐことで生かされた。
息子と引き換えに愛する夫を失って、きっと深く傷つき悲しんだはずだ。それなのに母さんはいつだって朗らかで優しく、愛に満ちていた。
魔族の血が流れていて、子供のくせに強力な魔法を扱う自分には友達がいなかったし、街の人は自分たち親子とは露骨に距離を置いていたけれど、それでも構わないと思えるほどに。
二人での暮らしは慎ましくも穏やかなもので、父の影響か博識な母に、読み書きや計算といった基礎学も教わった。そして何より、二人で肩を並べて本を読む時間がとても幸せだったと思う。
でも、お別れの時は確実に近づいていた。
魔力量の少なさや身体の弱さから、元々長く生きられる人ではなかった。そんな母さんが必死で探し求めてくれた居場所が、アストラ魔法学園。
自由な魔法を愛し、生徒の可能性と選択を重んじるこの学園であれば、特殊な境遇と性質を持つ息子を受け入れ、導いてくれるかもしれない。その願いは届き、試験を受ける資格が与えられた後、無事入学が決まったのだった。
ただ、母さんの身体は想定以上にもたなかった。入学前には限界が近づいていて、だから反対を押し切り、学園には向かわずに傍にいることを選んだ。そのことについて後悔はしない。
そしてついに一人になってしまった後、深い悲しみに沈みながらも、心はまだ形を保っていた。
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魔族と結ばれた母さんのことも、教会は平等に弔ってくれた。でも街の人々の反応は違う。
「魔族に心も体も許すから……。」
「父親の血が濃いのよね?」
「まだあの家に住むのだろうか……。」
囁きは躊躇いがちのようでいて、たしかに自分の耳にまで届いた。ちらちらとこちらを見るのに、顔を上げるとさっと視線を逸らす。まるで何か罪を犯したみたいだ。
悪いことは一つだってしていなくても、ここでは異質なものが嫌われるらしい。それは以前から感じていたことで諦める他なかった。
自分一人になった今、この街の近くに居ない方がいい。思い出の家を離れることは心苦しかったけれど、翌日には荷物をまとめて旅立った。
希望はまだあった。入学を断念してしまった学園が、母さんが探してくれた居場所が、もしもまだ自分を受け入れてくれるのなら――と。
故郷から学園は遠く、何日かかけて向かう必要があった。路銀を節約しながら向かうその道中で、事件は起こる。
「よお、兄ちゃん。随分綺麗な顔をしているな。異国の王子様ってか?」
絡んできたのは盗賊だった。取り囲んだ数人の男が品を定めるように自分を見る。
「ばか、それにしちゃ軽装すぎる。……でもなあ、容姿だけで高値が付きそうだ。なんなら売り払う前に、俺たちと――」
最後まで聞いてはいられなかった。闇が相手の視界を遮り地に氷が張る。魔力を"使う"のではなくそれが"溢れる"ような、初めての感覚。
「や、やめてくれ……!」「殺されるっ……!」
悲鳴が聞こえて、それでも怒りや拒絶のままに相手を呑み込みそうになり――すんでのところで理性が働く。魔法を解除すると奴らは一目散に逃げていった。
身体は無事で、傷一つ付けられていない。でもひどく気持ちが悪かった。




