下士官食堂に降臨した精霊
ノイこと、ソムチャイです。
次の日の午後、余興で彼女、マイティとスコットの模擬戦が開かれた。
これはスコット的には彼女が強いよって格付けを敢えてオレたちにさせたいって側面はあるだろう。
ラオ族的には彼女に憧れるやつは多くても、実際に恋人にしたり、または欧米の兵隊みたいに女性を襲ったりって欲望があるやつは多くない。正直、女性に関しては白人の兵隊のほうが野蛮だ、と思うことすらある。
正直、じいさんたちからそういう所業を聞いているってのもあるけどな・・・
まあ、模擬戦といっても、彼等が戦うのが好きだ、というわけでもあるまい。
これは余興・娯楽、そして、兵隊達の小さい賭けのタネっていうのもある。
PMC 、会社的には社員同士での賭けは禁止だ。とはいえ、酒保、会社の売店で買うビール一本すら賭けられないということはない。
胴元が立つような組織的な賭けでなく、同僚とビアラオ一本の奢りあい、つまりどっちかが二本買って一本を相手に投げて渡す、くらいなら処罰はない。
ビアラオなら手軽な賭けの対象としてちょうどいいくらいだ。
ハイネケン?士官級なら処罰されないんじゃないかな?オレ達は軍で言えば下士官相当だからな。
まあ、多分格闘戦は二度とは無いから、一度きりなら賭けてもいい気はするけど。まあ、普段通りが一番だ。
で、分かったこと。彼女は強い。それも極めて強い。
オレ達も女性だって分かったとしたら、そういう意味でも色々危険だろうから、いかにも強そうなスコットが「負けてやる」もんだと思っていて、オレ達も、そっちのセンでどっちにするか、スコットがどう負けてやるのか、やらないのかに賭けるという流れだったんだが・・・
そもそも、欧米の白人兵はラオ族の文化を分かっちゃいない。基本的に女には親切にするのが男としての『徳』なんだから、よっぽどのことが無い限り、女を襲う、というお前らみたいな概念はないんだよ・・・
まあ、いいさ。試合も始まった。
まず、彼女はムエタイの戦士のような動きを披露した。まあ、ラオ国でもムエタイの先祖とも呼ばれるムエ・ラオというキックボクシングはそれなりに盛んだ。賭けもな。だから、少額を賭けることを禁止する、というのは実際には不可能だから黙認しているというわけなんだが。
ボクシンググローブではなくて、厚くて柔らかい手袋、だと思うが、彼女はスコットを翻弄しまくった。ジャンプ力が凄いのだ。
近付いてフック、少し離れてジャブ、もう少し離れたら鋭いトゥキック。
当初の予想とは真逆で、いつでもスコットを倒せる彼女が『遊んでいる』状況だった。拳を痛めないように、軽くしか当ててないが、スコットは見事に全弾空振りさせられている。
オレはポーターに乗る彼女を見ていたから、もちろん彼女に賭けていたが、オレの相方、スコットに賭けたほうは、一瞬で真っ青だ。
もちろん、ビールなんてさしたる値段じゃない。
オレには出来ないが、祭礼としてのムエ・ラオのリングに上がるやつだって普通にいる。で、こいつはそうだ。ムエ・ラオのボクサーでもあるってこと。
どうよ、彼女は。
「どうもこうもねぇよ。本気出せば瞬殺だろうよ」
お前は祭りでリングに上がることだってあるんだろ?あれとやったらどうなる?
「バカ言うんじゃねぇ・・・オレは死にたくないよ」
そういうレベル?
「そうだ。第一、細く見えるけど・・・相当重いぞ、彼女。それに、パンチだってちょんちょん当ててるだけなのは、お前にも分かるよな? で、キックのほうも、ジャブみたいなトゥキックしか打ってないけど、もっとずっと重いキックを打てる・・・ように見える」
なぜ打たないんだ?
「終わっちまうからだよ。いくらスコットの筋肉が強くても、膝を打ち抜かれたら立ってらんねぇ」
あの体格だと、お前相手なら頭にも蹴りが届くよな?
「まあな。ガードできずに頭へもらったら死ぬまであるぞ。本気で」
それで真っ青なのか・・・
「ああ、オレは真っ青な顔してるんだ・・・まあ、やる奴らなら、そういう顔にもなるだろう・・・」
ふーん、と聞き流していたが、そのうち、格闘戦は組み合いになった。
これなら多少・・・数センチ小さくても重いスコットが有利かな、と思ったが、前半のダメージの蓄積はあるよね・・・と思っていたがとんでもなかった。
なあなあ、これってジュードーだよな?
「一方的に投げまくっているのをジュードーと呼ぶならな・・・」
つまり、殴り合い、蹴り合いだけでなく、組んでも無理だよって言ってんのかな・・・
「オレ的には最初の時点で無理も無理だけどな」
美人だし、崇めるくらいはできるだろう?
「ああ、崇めるなら可能だ。しかし、初めてスコットのことを可哀想って思うよ・・・」
まあ、優しいところも無いわけじゃないが、基本は外国人幹部だからな。
組んだときには、ありゃ、負けるかもな、と思ったが、一本頂きだな?
「圧倒的有利から組み合いに入ったんだから、相当自信が無きゃ、やんないよ」
そうなんだ。
「最初の一分も経たないウチに、負けたな、今日はって思ってたよ」
組んでからもか?
「明らかに自分より重い奴を軽々と放り投げて、優しめに地面に叩き付けてるんだから・・・これだって本気出してない」
ああ、痛め付けるんならもっと酷い結末にするってことか?
「一発で首が折れるような投げかただって彼女なら出来るだろうな」
余興の模擬戦でそれはまずいだろう?
「まあな。だが、格闘技経験者なら、いい感じに手を抜いてるってのはわかるってこった」
あ、降参したな・・・
「いや、がんばったと思うぜ?スコットは明日は動けないかもしれないな」
とっくに降参してもよかったと?
「そうだな。オレなら一回投げられた時点で逃げだすよ、いやそれ以前で逃げたと思う」
それはムエ・ラオの勇者として問題無いのか?
「勇者ねぇ・・・まあ、死んだら勇者もおしまいだからな」
・・・
その日の夕食ではオレだけじゃなく、みんな、ビアラオを飲んでいた、ほとんどのやつが賭けただろうしな。
元々スコットは士官食堂だから来ないもんだが、その日はボロボロになりながらも彼女とともにオレたちの食堂にも現われた。
ちゃんと二本の足で立ってたのは立派なもんだと思ったが、見えるところにいくつかのアザがあった。多分、服の下はアザだらけなんだろう。
そして、彼女は女であることを隠すのはやめたようで、なんとアオザイで現われた。形容詞は不要というか形容不能、素敵・素晴らしい、としか言いようのない美人だった。
アオザイはラオ国でなく、ベトナムの正装なのは彼女も知ってはいるだろう。しかし、彼女の身長とスタイル、軍服のときですら分かる圧倒的なプロポーションをさらに強調し、本来あるべき違和感を豪快に上書きしてしまっていた。
深い紺色が揺らめくシルクのアオザイが、彼女の驚異的かつ魅惑的な肢体を包み込んでいた。高い襟が彼女の長い首を強調し、深いスリットからは、先程までのブーツではなく、繊細なヒールを履いた長い脚が覗いていた。
誰が始めたかは分からないが、頭を垂れ、合掌し、食堂にある演壇に現われた彼女が、まるで精霊のようであるかのように拝礼を始めた。もちろんオレもだ。
それを見た、スコットは少し狼狽えていたが、彼女は当然、と言わんばかりの態度でそれを受け、数秒の沈黙のあと、さっと手の平を上に向けて前に出し、少し上げた。
「ບໍ່ເປັນຫຍັງ ກິນຕໍ່ຊະ (気にせず食べなさい/ボ・ペン・ニャン キン・トー・サ)」
食堂の空気は一気に柔らぎ、みんなも普段より静かに食事を続けた。
こういうとき、ラオ族の男はそっちをじろじろどころかチラチラ程度にも見ないのが礼儀ってもんだ。
そして、気付いたときにはスコットも彼女もいなかった。
これで彼女の完璧な自己紹介は終わりかと思っていたが、それはオレの認識が甘すぎるだけだったことを知ったのは、翌日になってからだった。




