-空蝉の宴- 3-3
犬飼は、問題の部屋の前で立ち尽くしていた。
とにかく、嫌な予感がしてならない。
こんな状況で、嫌な予感を感じるのは、誰しも当然だ。
しかし、犬飼が感じている嫌な予感は、自分自身に対してである。
ワクワクする。
これから起こる惨事に、好奇心がうずいている。
大手新聞社に勤めている時も、そうであった。
真実の中身なんてどうでもいい。
追っている事が楽しくて仕方なかった。
だから思う。
解雇されたのは、そんな節操のない駄犬に対するお仕置きだと。
だが、それでも懲りない。
今、目の前の何だか分からない状況に、心が躍っている。
身の破滅の第一歩を踏み出そうとしてる自分に、嫌な予感がしてならない。
そんな舞い上がった気持ちを抑えつつ、犬飼は鍵穴に鍵を差し込み、ゆっくりと回した。
かこっ
その軽い音に、心臓が跳ね上がる。
慎重に扉を開けると、なんともいかがわしい雰囲気の部屋が目の前に広がった。
洋室であった。
天井の電気は消えており、ベッドの側のステンドグラスのランプが、色とりどりの光で辺りを照らしている。
ただ、どこかの金持ちの品の良い応接室ではない。
窓は、鉄格子が外側からはめられており、外からの光で怪しい影を映している。
ベッドが隣接している壁には、牢獄で使うような手錠が鎖でぶら下がっていた。
いかにもな演出に、犬飼は眉根を寄せる。
この軽薄な口調で勘違いされる事が多いのだが、女を痛めつけたり泣かすようなシチュエーションが非常に苦手だった。
相手が苦痛の表情を浮かべると、気持ちが萎える。
女遊びをしてる時点で、優しいも何もあったもんではないと思っているが、そこはやはり、男として女を喜ばせられなくて何が男だという矜持とこだわりがあるからだった。
そういった齟齬があるの為、この手のモノを見るのは気分が良くない。
まして、使いたくもなかった。
「・・・そういう趣味じゃない奴で頼むぞ」
犬飼はベッドに近付くと、薄手のシーツに手を掛け、引きはがすように、ゆっくりとめくった。
白い肌が、ランプの光で艶やかに浮かび上がる。
モノクロ映画など、嘘臭く感じるぐらいに鮮やかな様に、犬飼は息を呑んだ。
線が細く、綺麗な顔立ち。
少し癖のある髪が、虹色にキラキラと輝いている。
完全な白髪ではないが、黒髪がほとんどないらしく灰色のようだった。
明らかに十代である為、どこか幻想的な雰囲気がある。
「あ・・・」
更にシーツをめくって、犬飼は顔を引き攣らせた。
何も着ていない。
そして、女かと思ったら、男であった。
服は何処に行ったと、犬飼は辺りを見回す。
すると、部屋の隅にあるイスに、男物の着物が干してあった。
この顔立ちで、日本人という事にもビックリする。
「・・・・っん・・ぁ・・」
不意に、目の前の青年が寝がえりをうって、微かに呻いた。
ゆっくりと目の開けると、ぼんやりと犬飼を見上げる。
瞳の色が、銀細工のような色合いであった。
灰色の髪と相まって、まるでどこぞの芸術家が作り上げた造形物のようである。
犬飼が呆然と見つめていると、青年はハッとした表情を浮かべ、慌てて身を起こした。
そして、自分が一糸まとわぬ姿でいると気が付くと、まるでこの世の絶望を見ているかのように、犬飼を見て蒼白となる。
犬飼は、思わず自分の額に手を当てた。
色んな意味で、頭が痛い。
「・・・あのジジィ、脱がせたって言っとけよ」
犬飼は大きな溜息をつくと、自分の背広を脱いで青年に投げて渡した。
青年は背広と犬飼を交互に見やると、躊躇いがちに背広を引き寄せる。
「これだけは最初に言わせてくれ・・・俺は、男の趣味は、ない」
「―――」
「お前の事は良く知らねぇが、求められても絶っっ対に無理だからな!!」
必死の形相で犬飼が言うと、青年は戸惑った顔で小さくうなずいた。
こんないかがわしいホテルに預けて、コイツをどうさせたかったんだ、あの女・・・。
犬飼は苦虫を噛みつぶしたような顔で溜息をついた。
「俺が、誰だか聞いてるか?」
問い質すと、青年は眉根を寄せて首を振った。
やはり愚問だった。
知ってるくらいなら、まず真っ裸にされていない。
しかも、こんな状況で泣き叫んで逃げもしないコイツは、色んな意味で危うい。
「来るな!」とか「誰だ!?」ぐらい、普通のヤツなら言っても良い所だ。
それが、服を投げて寄こされて素直に受け取る辺り、警戒心が無さすぎる。
言葉巧みにだまされて、私娼窟で身売りする事になっても不思議ではない。
犬飼は、そんな無防備な青年に、掛ける言葉が多すぎて頭を垂れた。
「俺は、犬飼兼仁だ・・・お前は?」
「・・・み・・めひこ」
「え?・・・なんだって!?」
恐喝めいた口調に、青年はビクリと震えた。
そして、背広で顔を隠すようにして、上目遣いで犬飼を見つめる。
中性的な顔立ちのせいもあって、女を相手にしているようで非常にやりづらい。
犬飼は頭を掻いて溜息をついた。
「悪ぃ。もう少し、ハッキリ喋ってくれ・・・」
「鏡 夢彦・・・」
「なるほど・・・・じゃ、夢さん。とりあえず、飯でも食おう」
その言葉に、怯えた様子が嘘のように消え去り、銀色の瞳がキラキラと輝いた。
もうココまで来ると、お菓子を渡してくる不審者について行く子供と変わらない。
放っておけない人柄も、ある種の才能か・・・。
そんな夢彦に完全に毒気を抜かれ、犬飼は吹き出すように笑うのだった。




