-空蝉の宴- 3-4
夢彦の持っていた荷物は、雨で中まで濡れており、着替えは全滅していた。
犬飼は仕方なく、いったん自宅に戻り、自分の服を見繕って夢彦に貸し与えた。
多少大きかったらしいが、入らないよりマシである。
その後、いかがわしい雰囲気のホテルを後にし、犬飼が行きつけにしている居酒屋へと場所を移した。
「申し訳ない、ケンさん・・・」
「服の事なら気にすんな」
「い、いや・・・」
夢彦は、うつむきながら上目遣いに犬飼を見た。
この仕草をしてると、ハッキリ言って女にしか見えない。
「そうではなくて・・・飯を・・・おごらせてしまって」
「ほとんど無一文なんだから仕方ねぇだろ。出そうにも出せねぇんだから」
夢彦の財布は、日銭すらないほどスッカラカンであった。
旅費を使い果たし、ここ二日間、何も食べないで彷徨っていたという。
そして、ついに気を失って、路地裏で派手に倒れたのだそうだ。
よく見ると、前髪の隙間から、痛々しい赤紫色の痣と擦り傷が見える。
「色んな連中に会って来たけど、普通行き倒れるか?乞食だって何とかするぞ」
「う、うむ・・・」
「どこから来たんだ?」
「・・・千葉だ」
「学生か?」
夢彦は、うつむいて黙り込んだ。
そんな夢彦を、犬飼は、ひたすら黙って返答を待つ。
沈黙に耐え切れなくなったのか、夢彦は小声でつぶやいた。
「医学専門学校に・・・行っていた。辞めてきたが」
千葉にある医学専門学校と言えば、エリート高等学校から分校した学校である。
高等学校と言っても、現代では大学に相当する。
この時代、小学校を卒業したら、農村の次男坊などは出稼ぎに出る時代であった。
中学入学ですら全体の二割に満たない。
その中学を卒業して、更に専門的な教育を受けるために進学するのは、余程裕福な証拠である。
それが、着るものもなく、無一文で東京で行き倒れたというのだから滅茶苦茶であった。
「で?」
「で?・・・というと?」
「これからどうすんだって事だよ」
「う、うむ・・・」
「その様子だと、身内には黙って出て来たって感じだな」
「―――」
「親戚とか、知り合いは?」
「生憎・・・全くあてがない」
「・・・何しに来たんだ?」
夢彦はズボンを握り締めると、更に小さく縮こまった。
今にも泣きそうなのを、堪えているようだった。
「お、怒らずに・・・聞いてくれないか」
「怒らねぇよ。俺はお前の親じゃねぇし」
「・・・分からんのだ」
「・・・は?」
「・・・き、気が付いたら。東京に来ていた」
「じゃあ、金貸してやるよ。今すぐ帰んな」
「それは絶対に出来ん!!」
夢彦はテーブルに手をついて立ち上がり、犬飼に迫った。
あまりの変貌ぶりに、犬飼はたじろぐ。
しかし、周囲の客の視線を感じ、夢彦は申し訳なさそうに席に座った。
「・・・すまぬ」
「意外とキレやすいんだな・・・」
夢彦は両手で頭を抱えると、うなだれて呻いた。
どうやら、その自覚はあるようであった。
「ま・・・いいけど」
犬飼は夢彦の頭に手を当てると、おもいきり髪をぐしゃぐしゃにした。
呆然と顔を上げた夢彦に、犬飼は可笑しそうに笑い掛ける。
「俺も、お前は先を見据えて行動してるのかって言われると、そうじゃねぇし」
「―――」
「やれば?納得いくまで。あてがないなら、うちに居てイイぞ」
「え・・・ほ、ホントに・・・?」
「俺、家にほとんど帰らねぇから。ゴシップ雑誌の記者やっててさぁ・・・・・・あっ!」
「どうかしたのか?」
「うちの出版社で働かね?中卒なら読み書き得意だろ?」
「え!?」
「無理?」
「い、いや、金もないし・・・仕事を選んでる場合じゃないから、ありがたい話なのだが」
夢彦は、何か探るような目で犬飼を見つめた。
そんな夢彦に、犬飼はきょとんとした顔を向ける。
「どうして・・・そこまでしてくれるのだ?」
いまさら・・・。
これでは、失笑しそうになるのを堪えるゲームである。
犬飼は腕を組むと、目を閉じて大仰にうなった。
眉間にシワを寄せると、片目を開けて夢彦を見やる。
「気が付いたら、ココに来てたから?」
犬飼は、悪戯っぽい笑みをうかべた。
本気なのか、ふざけているのか、その本心が読み取れない。
その振る舞いが可笑しくて、夢彦はくつくつと笑い出した。
「そうだ、一つだけ確認したいんだけどさ」
「なんだ?」
「背の高い女を見なかったか?」
「背の高い女?」
「いや、知らないならイイ」
小首をかしげる夢彦に笑い掛けると、犬飼は杯に注がれた酒を一気に飲み干すのだった。




