-空蝉の宴- 3-2
雨が降っていた。
梅雨の時期独特の、まとわりつくような雨である。
二、三日降っているというのに、止む気配は全くない。
「・・・寒っ」
夜になって、ワイシャツ一枚では寒かった。
そうでなくても、風邪のせいか悪寒がする。
犬飼は耐え切れず、肩に掛けていた背広に袖を通した。
足早に、先日訪れたホテルの中に入り、身震いしながら受付のカウンターで老人を呼ぶ。
すると、老人が飛び上がるように身を起こし、驚愕した表情で奥から出てきた。
「ケンさん!」
「ネガ代、残りを払いに来たぞ」
「そんなのはイイから、なんとかしてくれっ」
あまりの慌てぶりに、犬飼は怪訝な顔を老人に向けた。
そんな犬飼の様子に構わず、老人は懐から一本の万年筆を取り出す。
「コレ・・・俺のだな」
犬飼は目を丸くして、老人から万年筆を受け取った。
昨日からあちこち探していたが、見当たらかったのである。
その為、どこかに置き忘れたか落としたのだろうと、半分諦めていたのだった。
「お前さんに、返しといてくれと頼まれた」
「返す?・・・誰から?」
「名前は名乗らなかった・・・背の高い、若い女だったよ」
犬飼は息を呑んだ。
思わず、万年筆を持つ手が震える。
「先日の夜、壊してしまったから修理したと言っていたよ・・・それより」
「それより?」
「・・・彼女から、人を預かってるんだ。ケンさんが、引き取りに来るからと・・・」
「・・・は?」
「わ、わしもおかしいとは思ったんだが、断れなかったんだ!その・・・」
老人は肩を縮こまらせた。
明らかに怯えている。
「なんというか・・・断ったら、おしまいのような気がしてな」
老人は、犬飼に縋るような眼差しを向けて来た。
完全に切羽詰まっている。
そんな老人の様子を見ると、犬飼は可笑しそうに笑い声を上げた。
「おいおい、爺さん。そんな、この世の終わりみたいな顔すんなって」
「け、ケンさん・・?」
「大丈夫、ちゃんと連れて行くから。多分、質の悪い俺の友達のイタズラだ」
いつもの軽薄な雰囲気を漂わせ、犬飼は悪戯っぽく笑った。
老人も多少安心したのか苦笑いを浮かべ、鍵を取り出してカウンターの上に置く。
犬飼は部屋番号を書いたプレートを持つと、チャラリと振り回してほくそ笑んだ。
「言っとくが、練習とか言って、俺の写真、撮るんじゃねぇぞ」
老人が、いつものように喉の奥で笑った。
それを見て笑い返すと、犬飼は老人に背を向ける。
気付かれないように溜息をつくと、部屋へと続く廊下を歩き出すのだった。




